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-遥か彼方の彼方からに関するriywoのブックマーク (12)

  • ネットの「いいひと」、リアルの「いいひと」 - 遥か彼方の彼方から

    戯言結論としては、ネットで凄く良いことを書いている人というのは、かえって信用できないということですね。そういう人は、もしオフ会でセミナーを開いたとしても、きっと一番後ろの席に座り、全然無関心であったり、質問をしたとしても、とても悪い質問をするのではないでしょうか。こういう人には、ぜひとも気をつけたいものですね。ネットで攻撃的なことを書く人は当は良い人か? - ハックルベリーに会いに行く どうも、ネットと現実では悪い意味で性格が反対になっているtek_kocです。ブログには攻撃的なことや、ネガティブなことを極力書かないようにしていますが、現実の僕はいつだって口が悪くテンションが低いです。もしオフ会でセミナーが開かれたとしても恐らく一番後ろの席に座りますし、口べた故にろくに質問もできません。僕にはぜひとも気をつけて欲しいものですね。「いいひと」って? でも、それ以前に「いいひと」って現実とネ

    riywo
    riywo 2008/07/07
    テンションの高い人は見てて楽しいけど,飽きるね.根暗な人がボソッと言う,輝く言葉とかの方が僕は好き.
  • 過程ばかりを重視してませんか? - 遥か彼方の彼方から

    戯言「結果が全て」は嫌われ者結果が全てという言葉があります。どれだけ努力をしたか、どんな方法をとったか、真面目だったか不真面目だったか、そういったものを考えず、目標を達成したかだけを見る。 この言葉ってあんまり好かれてないなと思うんですよ。どこか、嫌われ者な感じがする。心が強い人は好んで使いそうですが、おおかたの人は嫌いかなと思う。 結果が全てという言葉には、過程がどうでもいいという意味合いがすごく感じられる。ズルしていいとか、何をやってもいいとか、そんな感じ。一生懸命とか、頑張ったこととか、そういったものを無碍に否定されて嬉しいという人はあんまりいない。最終的に駄目でも、そこまで頑張ったことを評価して欲しいですよね。僕だってそうです。 結果が全てじゃない 結果は全てじゃないです。どう考えたって、結果より過程の方が長い。例え失敗しても頑張ったことは確実に力になるし、試合に負けたってゲーム

    riywo
    riywo 2008/06/29
    アウトプットしか見ない人も,プロセスしかみない人も,同じ穴の狢.プロセスとアウトプット,さらに言えばインプットまでトータルでイメージできてこそ,人を見る目が生まれるのかも
  • 「いじめるのが悪いっていう訳じゃない」 - 遥か彼方の彼方から

    いじめるのが悪いっていう訳じゃない」 戯言 いじめるのが悪いっていう訳じゃない。別にいいんだよ、いじめても。 ただね、お前達はそんな下らないことをする人間になっていいのかってことを私はいいたいの。 小学生の頃か、あるいは中学生になりたての頃か。クラスメイトへの「からかい」が度が過ぎる*1と言うことで、僕を含めて何人かが呼ばれた時に言われたのが、上の言葉です。 僕のは記憶はどうしようもないくらい曖昧で、その言われた状況*2はもちろん、どの先生に言われたかも、どんな風に言われたかも覚えていないのですが、こんな風なことを言われたというのだけは、すごく記憶に残ってます。 当時はよく意図を汲めず、変なことを言うなとみんなで苦笑いしてましたが、今思うと結構素敵な言葉だなと思います。普通は「相手の気持ちも考えろ」ですもんね。 Permalink | コメント(0) | トラックバック(1) | 08:

    riywo
    riywo 2008/06/29
    僕もたまに度が過ぎてしまうことがある.いじめが下らないとまでは言わない.必要悪の部分もある.けど,おもしろくはないね.たのしく生きたければ,やっぱりいじめはあんまりよろし
  • インターネットは加速装置。良くも悪くも。 - 遥か彼方の彼方から

    戯言今日のメッセージは「宿題を手っ取り早く終わらせるためにググってコピペするのはかまわないが、あくまで確信犯としてやってほしい」ということ。特に仕事でネットを使う時には、ネットにはでたらめな情報・勝手な意見があふれている、ということをキチンと認識した上で使いこなしてほしいということ。 難しい問題に直面したときに、自分で考える前にまずググって答えを探してしまっていませんか?ネットで見つけた解決方法をろくに考えずもせずに採用してしまっていませんか?自分で考える前にググっていませんか? このエントリが発端となり、「ググってばかりで考えない奴が多い!」とか「むしろググりまくって考えるきっかけを!」とか「ググってもいいけど、ググられる方が得だよ」とか色々なことが書かれてます。 それは、どっちも正しいです。少なくとも僕はネットをやり始めてから「考えること」を大切にするようになったし、実際よく考えるよう

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    riywo 2008/06/25
    うまいね.確かに「単なる」加速装置でしかない.それをどのように活かすかはユーザの関心次第.
  • 学歴なんて本当の本当にいらないんだよ - 遥か彼方の彼方から

    戯言「学歴なんて当の当にいらないんだよ」なんてことを後で言えるためにも、低ランク大学在籍ながらも頑張ろうと思ってます。学校でも僕は真面目なタイプじゃないし、活動的でもない。それでも、ブログやサイト運営*1、プログラミングや同人サークルの活動を通して高いところに登って、学歴がなくても大丈夫だよと言ってみたい。 何だかんだでほら、学歴いらないって人は高学歴じゃないですか。学歴がなくても頭がいい。あるいは強運の持ち主だったり、センスがよかったりする。 その点僕は、そのどれにも属しません。僕にしては多すぎる読者数*2のこのブログも、最初は酷かった。日記ブログの足下にも及ばないような内容です。プログラマーの才能だってない。同じ情報科の人に「プログラム出来る」みたいな目で見られてますけど、そんなの昼休みと放課後に組んで、家でもそういうや記事を読んで、ようやく初心者の一歩手前です。 運もなければ地

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    riywo 2008/06/25
    いわゆる高学歴から学歴不要と言っても誰も聴いてくれないのは事実だからこういうのは嬉しい.ホントに頭がいいって言うのはこういう風にメタに捉えられることなんだよ,うちの大学の
  • 人に教えるときの常識 - 遥か彼方の彼方から

    戯言先日、大学の昼休みに他の研究室にお邪魔したときのことです。やりかけの実験があったようで、机の上にオシロスコープやら回路やらが並んでいました。まだネットワーク通信のテストも先の頃。光ファイバの知識はほとんど0に近かった僕は、その研究室にいる友人に色々なことを聞いていました。 そこで僕はかなりトンチンカンな感想をもらしたんですよね。「へー光ファイバって反射して戻ってくるんだー」とかそういう感じのもの。そしたらもう、m9(^Д^)プギャーーーッされちゃったわけですね。「ほら講義でやってたじゃん」「N先生いつも言っているだろ」「じゃなかったら光ファイバーじゃないっしょ」「反射しなきゃどう通信するの」どんなツッコミされたかを詳しく覚えては以内ですが、まあ大体こんな感じの内容です。 悪気はないと思う。でも、しょんぼりはした。 別に彼のことを責めるつもりはないんですよ。彼に悪気があったとは思わな

    riywo
    riywo 2008/06/25
    これはホント難しい.僕は頭の中ではなるべくゼロから組み立てられるようにしてるけど,それを他人の脳に伝えるには時間がかかりすぎる.コピペできたらいいのになぁ.そう思ってWiki
  • 地球が大切ならエコよりもやることがあると思う - 遥か彼方の彼方から

    戯言地球を大切にしようという発想 ここ数日、エコという言葉をよく耳にします。テレビで特番でもやっているのか頻繁に聞くし、母親も「エコのことネットで調べて教えてよ」と言ってきました。 地球の資源には限りがある。温暖化したら大変なことになる。だから地球を大事にしよう。出来るところから、少しずつでいいから。エコロジーとかエコライフとかいうのは、こういう発想みたいです。 別に僕はエコそのものを批判するつもりはないです。よくあるエコ批判に、実は地球温暖化していないとか、個人レベルでは無意味だとかがあります。でもまあ、いつか資源が無くなってしまうことは事実ですし、心がけとして悪いことだとも思えないです。 エコよりも大切なことでも、そんなに地球が大切だというのなら、もっとやるべきことがあると思うんですよ。出来ることから少しずつ、レジ袋を減らそうとか割り箸をやめようとかよりも大切なことが。 それはずばり、

    riywo
    riywo 2008/06/25
    かっこいいなぁ.実際そうだけどね.どんな行動でも人に言われてやるんじゃあどれも無駄だよ.エコじゃないよ.てめぇの頭使ってこそ,生きてる価値が出るってもんだ.そのためにまず
  • 情報科大学生でさえそうなんだもの - 遥か彼方の彼方から

    戯言講義でパソコンのことを学び、プログラムを組み、LAN設定なんかをして、HTMLも授業で扱ったりして、レポートを書くのにパソコンを使って、通信の仕組みを学び、空いた時間の遊びでさえLANを使ったネットゲームだったりする僕のいる情報科*1でさえも、ブログを書いている人はわずかですし、SBMを使っている人は皆無だし、ついったーにのめり込んでいるのもいない。 僕みたいな例外が、はてなダイアリーでくねくねしたり、twitterで変態発言したりしてはいるけれども、情報科の学生だって基的には普通の学生です。 それを考えれば、一般人とか学生とかが小難しいツールを使わないのはわかる気がします。そんなに便利にしなきゃいけないほど不便に思っている人はいないだろうし、わざわざブログで何かを語ろうとする人も少ない。多少難しいのは何とかなったとしても、目に見えるメリットがないとポカーンなんじゃないかと思う。だか

    riywo
    riywo 2008/06/24
    まったくそうだね.世の中どこに行っても普通の人間ばっかり.つまんないね.ハルヒじゃないけど,変わった奴に会いたいよ.Twitterは少しそれに近い場所だ.
  • にせもの流 - 遥か彼方の彼方から

    戯言夢なんて若いうちに諦めろ「俺、アニメーターになりたい」って。・・その画力で?「経営者になりたい」・・「小説家になりたい」・・「才能を生かしたい」・・今でもいるらしいですよね。そういう人。当は気づいているはずなんですよ。心の奥底では。「一生童貞」「夢は叶わない」って。その事実を見たくないんですよ。防衛機制ですね。〜(略)〜来なら思春期の内に自分が社会のどの辺にポジショニング取るべきか学ぶはずなんです。自己の理想像と現実との解離に悩まされるんです。ひどい人になるともう死ぬ殺す位のレベルで。勇気がないから童貞とか・・・ これはグサリと来る。 才能が無いという自覚僕を含む多くの人には才能なんてものはありません。ないです。もちろん才能をどう定義するかは人によって違いますけど、多くの人は普通の域を超えることは出来ないです。みんながみんな有名になったり夢を叶えたり出来ないんですから、まあ当然のこ

    riywo
    riywo 2008/06/24
    好きならそれでいいんだよね.そんでもって,どんな業界・どんな世界にも自分の役割は必ずあるよ.それが見つかると信じて,それまでは下手でもいいんじゃないかね.
  • 初めは無理をして、徐々に力を抜いて - 遥か彼方の彼方から

    戯言初めはどれもつまらない 始めたばかりのころは面白さがわからないものって、結構あると思うんですよ。出来るようになって、コツをつかんで、初めて面白くなるもの。ルールが難しかったり、奥が深すぎるものなんかは特にそうですよね。 僕が一年ほど前まで熱中していたギルティギアという格闘ゲームなんかはその典型的な例で、難しいルールに強すぎる対戦相手でかなり敷居が高く、最初の頃はちっとも面白くなかったですが、練習を繰り返してぼちぼち勝てるようになったころには、もう病的なくらいはまってました。 ブログも、プログラムもそうです。誰も読んでないブログを続けるのは苦痛だったし「こんにちは世界!」と表示させるだけのプログラムには何の魅力もなかった。どれも、途中で挫折しました。僕には向いてない、僕には才能がない、こんなの面白くない、どうせすっぱい葡萄だ……etc  自分に対して言い訳して、もっと気軽に始められるもの

    riywo
    riywo 2008/06/24
    ちょうど今自分がそんな感じだ.ブログについてもSBMについてもちょっと力を抜いている.でもそれはアウトプットを緩めただけで,頭の回転を緩めることはしない方がいいかも.
  • 大切なのは、自分に上手に嘘を吐けること - 遥か彼方の彼方から

    戯言 僕は定期的に憂になります。自分の実力不足、将来の不透明感、周りのいざこざ。夢見ているものに手は届かないという感覚と、手が届いても実は下らない物なんだろうという予感。 いつもは大切に見える物が途端にどうでもよくなってきて、全てを投げ出してしまいたい感覚に陥ります。大学なんてやめていいんじゃないか、プログラムなんて僕には向いてないんじゃないか、物書きの作業なんてかけらも出来てないじゃないか、趣味も特技もやりがいも全部捨ててもいいんじゃないかと。 もちろんこの感覚は一時的な物で、大抵は数日寝れば消え失せます。いつも通りポジティブシンキングな僕の出来上がりです。頑張らずにはいられないという気持ちでいっぱいになる。 でも、こういった期に入るたびにいつも思う。大切なのは、自分に対して上手に嘘を吐くことなんじゃないかなと。 何かを目指して頑張るのなら、自分はそれを達成できると思わないといけない

    riywo
    riywo 2008/06/09
    まぁバカであることは大事だよね.理路整然と判明している世界におもしろさはないもの.予想外が起こることを信じるには,バカになるしかない.
  • 学びたければ、教えればいい - 遥か彼方の彼方から

    戯言僕が今の僕よりもずっと馬鹿だった中学生の頃、家庭教師の先生にある勉強法を教えてもらいました。当時こそそれをうまく活用することが出来ませんでしたが、その方法を実践するようになった今、僕の理解力は以前の数倍になったと思っています。 その方法とは、勉強したことを人に教えるです。学びたければ教えればいいという発想ですね。ごくごく単純な方法ですが、曖昧で終わりがちの知識がどんどんと整理され、理解するのも早くなった気がします。 人に何かを教えるのには、3倍理解していないといけないというのを聞いたことがあります。自分でもよくわかってない状態だと、人にはまともに教えられないです。何となくわかったかもしれない、っていうのは人に教えようとしたときにも「それはつまり、えーっと、あれだよあれ。そうそう、それ系みたいな。いや、ちがうちがうそうじゃない。えっとさ」みたいな曖昧な表現しかできないです。 また、教え方

    riywo
    riywo 2008/05/21
    僕の基本姿勢はこれ.自分が勉強したことからどれだけエッセンスを抽出して,かつそれをわかりやすく構造化できるかということが勉強であり,その通りたどれば誰でも理解できる様な形
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