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政治と哲学に関するrodoriのブックマーク (17)

  • ジョセフ・ヒース「キャンセル・カルチャーはシンプルに説明できる」(2023年12月3日)

    今や誰もがキャンセル・カルチャーについて論じるのに飽き飽きしている。そろそろ私たち研究者が議論に参加してもいい頃だろう。最近、イブ・ンの“Cancel Culture: A Critical Analysis”『キャンセル・カルチャー:批判的分析』を興味深く読んだ。このはキャンセル・カルチャーにそれほど批判的というわけでもなかったが、この現象の歴史を提示している点で有益だった。ただ残念なことに、このは事例を豊富に載せているだけで、キャンセル・カルチャー現象の明確な定義や説明は提示していない。そこでエントリではこの空白を埋めるために、根底にある社会的ダイナミクスの分析に基づいて、キャンセル・カルチャーのシンプルな理論を提示したい。 議論を始める上でまず明確にしておくべきは、キャンセル・カルチャーの起源が政治的なものでも文化的なものでもないということだ。キャンセル・カルチャーは、ソーシャ

    ジョセフ・ヒース「キャンセル・カルチャーはシンプルに説明できる」(2023年12月3日)
  • ピープルのいないところにポピュリズムあり?/酒井隆史

    ピープルのいないところにポピュリズムあり?——「健全な病理」としてのポピュリズム 1, あいまいな「ポピュリズム」 ポピュリズムという言葉から、ここ日ではどのようなイメージが浮かぶでしょうか? メディアの劇場政治を通して単純なフレーズで人気取りをおこなう政治家と、それに踊らされる愚かな大衆、といったところが、一般的通念でしょうか。 おそらく、現代の世界の政治の一番の特徴はなにか、と問われるならば、まっさきにあがる答えのひとつが、ポピュリズムであるとおもいます。現代が、ポピュリズムの時代であることはまちがいないのです。 しかし、この言葉は、少し前まで、研究者にはなじみのあるものでしたが、日語で一般的に流布していたとはいいがたいものでした。ここにはひとつ興味ぶかい示唆があるとおもいます。つまり、おそらく、日は少なくとも戦後半世紀ほどのあいだは、ポピュリズムを経験していないのです。それが変

    ピープルのいないところにポピュリズムあり?/酒井隆史
  • ポピュリズム理論家としてのカール・シュミット? | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

    稿は、2020年4月28日に開催されたポピュリズム国際歴史比較研究会の第二回会合で報告した内容の一部である。 長野晃(慶應義塾大学法学部非常勤講師) 喝采による民主主義とポピュリズム 「一億の私人の一致した意見は、国民の意思でも公論でもない。国民の意思は歓呼、喝采、即ち自明で反論し難い存在によって、過去半世紀に極めて入念に形作られてきた統計装置によってと同様に、否それよりも一層民主主義的に表明されうる[1]」。 この文章は、国民社会主義(ナチズム)への左袒という過去にもかかわらず今日の法学・政治学にまで大きな影響を及ぼし、日でも多くの訳書が刊行されている国法学者カール・シュミット(1888-1985)によるものである。 多元主義を拒み、同質的な国民を民主主義の前提とするシュミット。そればかりか、秘密投票に拘束されない「喝采」にこそ真正の民主主義の発露を見出すシュミット。民主主義概念に

    ポピュリズム理論家としてのカール・シュミット? | 研究プログラム | 東京財団政策研究所
  • 【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】

    オーストラリアの政治学者。現在、シドニー大学およびベルリン科学センターの政治学教授。アデレード大学で政治、政府、歴史について学び、トロント大学で哲学と政治経済分野の博士号を取得。その後ケンブリッジ大学で研究を続けた。民主主義に関するクリエイティブな考え方を持つことで有名であり、1989年には世界初の民主主義研究所であるセンター・フォー・ザ・スタディ・オブ・デモクラシー(CSD)を創設した。ここ最近では、シドニー・デモクラシー・ネットワーク(SDN)を創設・運営した。ニューヨーク・タイムズ、アル・ジャジーラなど各種メディアにコメントを寄せている。 世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史 そういえば、知らなかった。4000年の民主主義の歴史を完全網羅。民主主義は、歴史の終点となる最終的な政治形態ではなく、常にさまざまな専制主義からの挑戦を受け続けている。ウクライナ問題、台頭する中国、ポ

    【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】
  • 「EUのすべてを保護国に」プーチンの“思想的ブレーン”が明かした世界観 | 「プーチンのラスプーチン」とは何者か

    プーチンに大きな影響を及ぼす「ある人物」 「プーチンの思想的メンター」「プーチンのラスプーチン」と呼ばれる男がいる。プーチン大統領に大きな影響を与えてきたとされる、モスクワ大学元教授のロシア人哲学者アレクサンドル・ドゥーギン(60)だ。 「おおがらで、あごひげを蓄え、長髪で、ダンサーのように歩く。15ヵ国語を操り、ありとあらゆるを読み尽くし、酒をストレートであおり、快活に笑い、知識の宝庫で、好人物」 スペイン紙「エル・エスパニョール」で、フランスの作家エマニュエル・カレールは、そんなふうに彼を描写する。 ドゥーギンは30代の頃、彼のことを「20世紀後半、最も偉大なロシアの哲学者」と呼ぶ学生や聖職者、ボヘミアンからなる熱心な支持者を集めていた。そんな彼らを前にドゥーギンは、神風特攻隊や三島由紀夫の話などを美談として語り、やがてロシア軍参謀部の将校やロシア国防省の戦略家、そしてウラジミール

    「EUのすべてを保護国に」プーチンの“思想的ブレーン”が明かした世界観 | 「プーチンのラスプーチン」とは何者か
  • スラヴォイ・ジジェク「欧州は難民に対する“二重基準”という醜さを曝け出した」 | ヨーロッパを守るとはどういう意味か

    スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクがメディア「プロジェクト・シンジゲート」に「ヨーロッパを守るとはどういう意味か?」と題した記事を寄稿。難民対応へのダブルスタンダードを批判し、ヨーロッパを守るための最善の方法について、ロシア中国よりも良い選択肢を提供できると他国に示すことだ、と論じている。 二重基準「誇りと恥」 ロシアウクライナ侵攻を受け、スロベニア政府は即座に20万人のウクライナ人難民を受け入れる用意があると宣言したと、現地メディア「トータル・スロベニア・ニュース」などが伝えている。 このニュースについてジジェクは「私はスロベニア国民として、誇りに思うと同時に恥ずかしくも思った」と記し、スロベニア政府が、アフガニスタン難民の受け入れを拒否し、ベラルーシからポーランド国境に大勢の移民が押し寄せる「移民危機」が起こった際にはヨーロッパが攻撃を受けていると主張して、排除を支援した事例と

    スラヴォイ・ジジェク「欧州は難民に対する“二重基準”という醜さを曝け出した」 | ヨーロッパを守るとはどういう意味か
  • 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

    平成7年8月15日 (英語版はこちら) (中国語版はこちら) (韓国語版はこちら) 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。 敗戦後、日は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。 平和で豊かな日となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを

  • 【書評】ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『スタシス――政治的パラダイムとしての内戦』(青土社、2016年) - かわたれどきの頁繰り

    書は、「スタシス」と「リヴァイアサンとビヒモス」という二つの章から成っていて、前者はギリシア民主制における内戦(スタシス)を論じ、後者はトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を取り上げ、人民、国家、群がり(マルチチュード)の機制のなかに内戦を位置づける論考となっている。 アガンベンは、第二次世界大戦以降、世界中で勃発している争いが国家間戦争と呼べる争いではなく「世界的内戦」であると指摘するハンナ・アーレントやカール・シュミットを引用しながらも、それらは「内戦のように政治システムの制御と変容へと向かうようには思われず、無秩序の最大化へと向かうように思われるような戦争」であり、その理論的探究は「内戦理論ではなく、ただ国内紛争のマネジメント、つまりはその運営、操作、国際化でしか」(p. 12) ないと指摘する。 内戦理論に関する論考が少ないもう一つの理由として、革命概念の時代的「人気」によるのだ

    【書評】ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『スタシス――政治的パラダイムとしての内戦』(青土社、2016年) - かわたれどきの頁繰り
  • 『〈政治〉の危機とアーレント』 佐藤和夫著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    西洋近代思想への警鐘 政治とは権力の争奪ではなく、利益配分の仕組みでもなく、政治家の就活などではなく、まして娯楽ショーではない。では、政治とは何だろう。20世紀後半にアメリカで活躍したドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレントは、政治を成り立たせる条件を徹底的に考察し、現代の危機の構造を明らかにした。今私たちが猛省すべき問題がここにある。 アーレントの著作を翻訳してきた著者は、この哲学者、とりわけ主著『人間の条件』が「難しい」との告白から始める。その原因は彼女がたどった思想経歴から解きほぐされる。ナチスの時代を生き抜いたこのユダヤ人哲学者は、全体主義の起源を解明する中で、次第に西洋近代思想の全体を問題化する必要性に直面した。そこで問題になるのは「私的所有」の意味であった。富の追求を国家規模で拡大する近代社会では、私的領域、つまり自分らしくあるためのプライヴァシーが失われ、それに伴い公的生活が消失

    『〈政治〉の危機とアーレント』 佐藤和夫著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    rodori
    rodori 2017/11/12
    “アーレントは、政治(ポリティクス)の原点を古代ギリシアの「ポリス」の経験に見る。政治は、経済的利益の追求から独立して初めて可能になる。”
  • 民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀の「民主主義2.0」の議論は、実は朝生を見たぐらいであとは断片的にしか追いかけてないのだけれど、情報をある程度総合するに、彼はルソーの直接民主主義を引用しながらこの新しい「民主主義」のあり方を説明しているらしい。しかし、ぼくにはもう一人、彼の議論には隠された登場人物がいるような気がしてならない。それは、カール・シュミットである。東浩紀がシュミットを読んでいることはすでに明らかになっている。そして、シュミットもルソーを引用して「民主主義」を説明するのだ。 1923年に出された『現代議会主義の精神史的地位』において、シュミットはルソーの「一般意志」について次のように述べている。「人民は元来決して具体的な内容に協賛を与えるのではなく、抽象的に、投票の結果現れる一般意志に、協賛を与えるのである。・・・この結果が個々人の投票の内容と誤っているならば、評決に敗れた者は、彼が一般意志の内容について

    民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 思惟の記憶 ハイデガーとアドルノについての試論 : アレクサンダー・ガルシア・デュットマン

    アレクサンダー・ガルシア・デュットマン 著・大竹弘二 訳(月曜社) 『友愛と敵対 絶対的なものの政治学』によって注目をあびた若き俊英ガルシア・デュットマンの著書『思惟の記憶』(A5判・340頁・4800円・月曜社)がこのたび刊行された。書はデュットマンのフランクフルト大学に提出された博士論文であり、その意味では彼のその後の仕事にとっての出発点に位置する処女作ともいうべき著作である。 デュットマンは前著『敵対と友愛』において、カール・シュミットが政治空間の実定性を決定づける最大の要因として導入した「敵対」という線分を内在的に脱構築し、それを通じて晩年のデリダの重要な主題であった「友愛の政治」の可能条件の解明へと向かおうとした。その際にポイントとなったのは、「敵対」という線分のうちにはじつは内部=此岸としての敵と外部=彼岸としての敵とのあいだの決定不能な二重性が孕まれており、敵と味方という一

  • イスラーム革命の本質と目的

    بسم الله الرحمن الرحيم 『イスラーム革命の質と目的 - 大地の解放のカリフ制』 Ⅰ. イスラーム政治論概説 序. イスラームには「供物」がない。 偶像崇拝を厳禁するイスラームに神像がないことは周知であろう。モスクは何もない空間であり、画像にせよ、彫像にせよ、神を表す像は一切存在しない。 モスクには神の像がないだけではなく祭壇がない。教会、寺院、神社などで見られるような、線香、灯明、花などが捧げられる場がモスクには一切ない。 仏壇や神棚にお供えをし、そのお下がりを人間がいただく、といった象徴的行為としてさえも、イスラームには神に供え物をするということがない。 同じく偶像崇拝を禁ずるユダヤ教では、正式な儀礼では、幕屋の祭壇を作り、動物を屠り焼き尽くしその煙を主に捧げる。ちなみにこの聖書の儀礼の「焼き尽くす」(ヘブライ語ではolah)がナチスの「ホロコースト」の原義である

  • アレント『暗い時代の人々』序文とブレヒト「後世へ向けて」 - Hello, How Low?

    暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫) 作者: ハンナ・アレント,阿部斉出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2005/09/07メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 12回この商品を含むブログ (31件) を見るリベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで 作者: 柴田寿子出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2009/09/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 4回この商品を含むブログ (13件) を見るお亡くなりになった柴田寿子先生のアレントについて書かれた論文(「政治的公共圏と歴史認識――アーレントにおける「光の物語」と「闇の記憶」」『リベラル・デモクラシーと神権政治:スピノザからレオ・シュトラウスまで』東京大学出版会、2009年所収)を読んでいたら、なぜかすごくぐっときてしまった。アレントにおいて公的領域に属さない事柄は、公的領域が人々が誰

    アレント『暗い時代の人々』序文とブレヒト「後世へ向けて」 - Hello, How Low?
  • '11読書日記61冊目 『カント政治哲学講義』アーレント - Hello, How Low?

    完訳 カント政治哲学講義録 作者: ハンナアーレント,ロナルドベイナー,Hannah Arendt,Ronald Beiner,仲正昌樹出版社/メーカー: 明月堂書店発売日: 2009/03メディア: 単行購入: 2人 クリック: 9回この商品を含むブログ (12件) を見る318p 総計18648p そんなにちゃんと読んでいない。アレントの議論の射程を、講義録編集者のロベルト・ベイナーが上手くまとめてくれていた。特に、アレントは判断力を、初期の頃のように活動者の政治的判断力としてのみ捉えているのではなく、観察者=注視者の判断力として捉えていたというところ。観察者=注視者は過去を、言わば、救うことができる唯一の存在である。それはニーチェの永劫回帰の思想ともつながりを持つ。どちらも、歴史という意味のない循環する時間に意味を与えようとする試みなのだ。ニーチェ、ベンヤミン、アレント。このあたし

    '11読書日記61冊目 『カント政治哲学講義』アーレント - Hello, How Low?
  • ララビアータ:不動の動者 - livedoor Blog(ブログ)

    思想史的な仕事をする場合、必要な感覚の一つが文脈的思考というものであろう。イデオロギー的修練を経ていないナイーヴな研究者は、歴史上の思想家たちの言葉をそのまま真に受けてしまって、彼らが生きていた論争的文脈を見落としてしまうものである。それは、彼らが生きていた歴史状況への情報が不足しているということでは必ずしもない。むしろ、彼らが闘っている問題状況の今日的アクテュアリティに対する盲目なのである。 思えばこうした感覚は、小説の読み方に似ている。小説を享受できる能力は、げに、現実とかけ離れた物語の中に、己れの人生の問題を読み取り、逆に現実の中には、様々の理念の可能的実現を構想するものである。現実生活に完全に埋没しているようなところには、現実を別様に意味づけたり、別様の可能性を見たりする態度は、育ちようがないからである。そのような場合、「現実」は、日常経験の断片的印象の奔流に還元されてしまう。 そ

    rodori
    rodori 2013/04/05
    「自らは何ら欠けることなく、それゆえ永遠不動なものが、それへの憧れを引き起こすことによって、他のものたちを動かすのである」何かおぞましいものとしての不動の動者について。
  • なぜアラブの革命精神を恐れるのか? スラヴォイ・ジジェク

    http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/01/egypt-tunisia-revoltを和訳しました。 なぜアラブの革命精神を恐れるのか? チュニジアとエジプトにおける叛乱では、イスラム原理主義の姿をまったく見かけない。これは注目すべきことだ。民主主義というもっとも非宗教的な伝統にのっとって、エジプトの民衆は、抑圧的な体制や体制の腐敗、そして貧困に対して叛乱をおこしたのだ。そして、自由と経済的な見通しを求めたのである。「アラブ諸国にあっては真の民主主義的センスは少数のリベラルなエリートのみに存在し、それ以外の膨大な数の大衆は、宗教的原理主義か、さもなければナショナリズムによって動員されるだけである」という西洋のリベラル派が持つシニカルな知見は間違っていると証明されたのだ。しかし、大きな疑問は残る。次に何がおこるのか?政治的な勝利者と

    なぜアラブの革命精神を恐れるのか? スラヴォイ・ジジェク
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