いまから15年ほど前のこと、「週刊現代」編集部に戻って、まっさきに執筆を依頼したのが溝口敦さんだった。そのときの様子を、溝口さんは自伝的ノンフィクション『喰うか喰われるか 私の山口組体験』(5月13日刊、講談社)でこう書いている。 二〇〇六年三月、講談社の加藤晴之さんに会ったとき、彼から「細木数子について四回くらい連載できないか」といわれた。彼はこの年の二月、「週刊現代」の編集長に就いたばかりだった。 細木数子に特別関心があるわけではなかった。何か目障りな女がいるなぐらいの認識で、テレビで彼女が登場する番組に出合うと、チャンネルを替えていた。彼女を見る気がしなかったのだ。 当時の細木数子は、自ら考案したという占星術と、「地獄に落ちるわよ」「あんた死ぬわよ」など啖呵売のような喋りで人気者となり「視聴率の女王」の異名をとるテレビタレントだった。だが業界筋では、陽明学者で政界のご意見番・安岡正篤