タグ

ブックマーク / dennou-kurage.hatenablog.com (13)

  • 会社員には「長時間労働をする自由」など必要ない - 脱社畜ブログ

    電通の過労死事件を受けて、長時間労働についての議論がいま盛んになってきている。そんな流れの中、こちらの記事を読んだ。 www.outward-matrix.com 「長時間労働の是非」について議論をしていると、このように「残業をしたくてしている人の自由まで奪うのはおかしい」という意見がほぼ必ずと言ってよいほど出てくる。理屈としては理解できない部分もないわけではないのだけど、残念ながらこの意見には賛成できない。 この手の意見を要約するなら「長時間働きたい人には長時間働く自由を与えて、残業したくない人は残業しない自由を与える。自分の意志で自由に働き方を選べるようにすべきだ」といった感じになるかと思う。なるほど、たしかに自分の意志が最大限尊重されるという点ではかなり良さそうだ。しかし、当にそんなことは可能なのだろうか? まず第一に、「自分の意志」を外から推し量ることの難しさを考慮する必要がある

    会社員には「長時間労働をする自由」など必要ない - 脱社畜ブログ
  • 「大事なこと」と「どうでもいいこと」をどう区別するか - 脱社畜ブログ

    昨日、「飲み込みが早い人」は何が違うのかという記事を書いたが、今日は少しだけその補足を。 昨日の記事では、飲み込みが早い人は「上手に枝葉を捨てられる人」だと書いた。もっとも、「上手に枝葉を捨てる」と言うだけなら簡単だが、実際にそれをやるのは決して簡単ではない。何かを新たに学び始めた人の多くは、最初は何が枝葉で何が幹かわからない。上手に枝葉を捨てるには、前提としてすばやく「大事なこと」と「どうでもいいこと」を区別する必要がある。 方法はいくつかあるだろう。すぐに思いつくのは、そのスキルを身につけている人に直接聞くという方法だ。ただ、これは結構微妙なところもあって、人によって何を大事と考えるかにはバラつきがあり、時には初学者が気にしなくてよいことまで「大事だ」と説明されるかもしれない。熟練者の中には、知識をひけらかしたがるタイプの人も決して少なくなく、中にはいたずらに初学者を混乱させるだけの人

    「大事なこと」と「どうでもいいこと」をどう区別するか - 脱社畜ブログ
    ruinous
    ruinous 2014/02/08
  • 完璧主義の治し方 - 脱社畜ブログ

    完璧主義者と言われる人たちがいる。 仕事であれば必ず100%の完成度を目指し、それ以外は認めない。簡単な仕事ならそれでもいいのだけど、少し難しい仕事で完璧主義を発揮しようとすると、ほぼ間違いなく途中で挫折してしまう。そうでなくても、100%に到達するまでものすごく時間がかかる。そのせいで、他の仕事に支障が出たりする。完璧主義は、あまり仕事には向いてない。そもそも、完璧な仕事なんてまず存在しないからだ。 一番最悪なのは、自分の上司が完璧主義者な場合だ。部下が80%の完成度で仕事をしてきても、それでよいと言うことができない。完璧以外はすべて認められないので、ミスは直ちに叱責の原因になる。多くの場合、こういう人はチームを無駄に疲弊させ、80%どころか50%のアウトプットも生み出せなかったりする。 実は、僕も昔は完璧主義っぽいところがあった。例えば、歴史の勉強をしようと思って教科書をアタマから読み

    完璧主義の治し方 - 脱社畜ブログ
    ruinous
    ruinous 2013/12/20
  • 「規則正しい生活」はつらい - 脱社畜ブログ

    会社員時代、最もつらかったことのうちの1つが、毎日毎日同じ時間に起きて、電車に乗って会社まで行くことだった。 満員電車が殺人的な混雑で、精神的のみならず物理的にもしんどいということは言うまでもないが、それ以外にも毎日毎日同じ時間に会社に行かなければならないという「規則正しさ」がどうも自分には合っていなかったように思える。例えば月曜日の夜とかに、ふと寝る前「また明日も、明後日も同じように朝起きないといけないんだよなぁ」と考えてしまってなんとも々した気分になったことを覚えている。 自分の人生を振り返ってみると、どうも「規則正しさ」が苦手なのは、会社に限った話ではないようだ。例えば中学校とか高校の時間割に従った生活は正直なところだいぶ苦痛だった。授業自体は別にそんなに苦痛ではなくて、「自分の気分に関係なく、半強制的に時間に区切られて生活しなければならない」という状況が、どうも窮屈で仕方がなかっ

    「規則正しい生活」はつらい - 脱社畜ブログ
  • 「論理」だけで人は説得できない - 脱社畜ブログ

    他人を説得しようとする時に、その人を「論破」してしまう人がいる。 そうしたくなる気持ちもわからないではない。「説得する」というのはすなわち相手に意見を変えさせるということなので、素朴に考えると相手に意見を放棄させればいいということになる。もっとも、このやり方がうまくいくことはそんなにない。どんなに正論でも、意見を否定されると人はいい気持ちにはならない。実際にはそれはあくまで「意見」の否定でその人の「人格」を否定したわけではないのだけど、多くの受け手はそんなふうに好意的に解釈をしてはくれない。 AさんとBさんがお互いの意見を聴衆に向かってスピーチして、聴衆がどちらか正しいか決める、というのであれば「論破」もいいだろう。AさんがBさんを論破した結果、Bさんはとても嫌な気分になるかもしれないけど、この場合の意思決定権者はBさんではないのでまあ問題はない。しかし、「説得」の場合は意思決定をBさん自

    「論理」だけで人は説得できない - 脱社畜ブログ
  • 好きなことを仕事にして幸せになるための条件 - 脱社畜ブログ

    仕事選びについて昔からずっとされている議論に、「好きなことを仕事にするべきか」というものがある。 たとえば村上龍の『13歳のハローワーク』あたりだと、この考え方が全面的に肯定されている。「仕事人生の大半を占めるのだから、そこで好きなことをしないでどうするんだ」という意見を言う人もいる(実際に計算してみると、どんなに多くても仕事人生の30%も無いのだけど)。仕事の「環境」よりも「やりがい」が強調されることが多い日では、基的に「好きなことを仕事にすべき」という意見は多い。 仕事Aと仕事Bがあって、仮に他の条件(給料とか人間関係とか拘束時間とか)がすべて同じであれば、誰だって「好きなことに近い仕事」の方を選ぶだろう。また、嫌いで嫌いでしょうがないことを仕事にするのも普通は避ける。「仕事に対する好み」が職業選択の際に考慮すべき一つの変数であることには僕も同意する。 ただ、「好きなことを仕事

    好きなことを仕事にして幸せになるための条件 - 脱社畜ブログ
  • 「あなたにしかできない仕事」を無くすために必要なこと - 脱社畜ブログ

    以下の記事、かなり共感できる内容だった。 「あなたにしかできない仕事」はない http://www.nikkei.com/article/DGXBZO61432220S3A021C1000000/ 「替わりの効かない人材」を目指せというアドバイスは、結構いろんなところで見かける。この記事でも触れられているように、「自分にしかできない仕事」を作ることで、自己実現をしようとしている人たちもいる。たしかに、「君の代わりはいくらでもいる」と言われたら、誰もいい気持ちはしないだろう。「◯◯さんがいないと困る」と言われると、誰だって「頼られてる」ことを実感する。 しかし、この状態は組織としては健全ではない。個人単位で見ても、「◯◯さんしかできない仕事」ばかりでは、業務の集中を招き、容易に長時間労働に繋がる。仕事が特定個人しかできないものだとしたら、将来のスケールアップも見込めないということになる。「あ

    「あなたにしかできない仕事」を無くすために必要なこと - 脱社畜ブログ
  • 「権利行使には義務が伴う」というフレーズに対するよくある誤解 - 脱社畜ブログ

    昨日、片山さつき氏の人権天賦説放棄発言についての記事を書いたが、この記事に対する反応で、「権利行使に義務が伴うことは自然」という反論をする人がtwitterなどを見るとちらほらいたようである。 この、「権利行使には義務が伴う」というフレーズほど、誤解されているものは無いと僕は思う。今日は、その指摘をしておこう。 よくある間違いなのだが、この「権利行使には義務が伴う」というのは、「義務を果たすことによって、初めて権利が付与される」という意味ではない。権利行使を義務の対価と考えるのは、(近代の自由主義的な考え方の下では)正しくない。例えば、かつては日にも一定額以上納税をしないと選挙権が無かったという暗い時代があったわけだが、「権利を義務の対価」と考えると、このような考え方を肯定することになりかねない。 「権利行使には義務が伴う」というのは、もっと単純な話である。例えば、僕には選挙権がある。投

    「権利行使には義務が伴う」というフレーズに対するよくある誤解 - 脱社畜ブログ
  • 「生産性の概念の欠如」はなぜ起こるのか - 脱社畜ブログ

    以下のちきりんさんの記事について。 「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015 ちきりんさんのおっしゃるとおり、「生産性の概念の欠如」に陥っている職場は日には多い。お役所なんてのはその最たる例だが、民間企業でも「生産性」という概念が根付いている職場はあんまりない。僕の前職は比較的生産性にはうるさい職場だったのだけど、いわゆる大企業に就職したり公務員になった友人に会ったりすると、結構な割合で組織の非生産性について愚痴を聞かされる。 では、こういった「生産性の概念の欠如」は、なぜ起こるのだろうか。ちきりんさんの記事だと (…)会社側に加え働いてる側にも「労働時間が減ったら困る」みたいな感覚がある。「残業代でローンと教育費を払ってます。なので、労働時間、短くなるの困ります」って・・・。 そこには、「働く時間を2割減

    「生産性の概念の欠如」はなぜ起こるのか - 脱社畜ブログ
  • 会社を辞めたら色々と健康になってきたっぽい - 脱社畜ブログ

    会社を辞めて、大体3ヶ月ぐらいになる(会社を辞めました)。最後のほうは有給消化をしていたので、実際に会社に行かなくなった期間はもう少しだけ長いのだけど、最近明確に体調面で変化を実感したのでそのことについて少し書きたい。最初に断っておくが、これは完全に僕の個人的な話である。 会社員時代と会社員を辞めた後の今で、一番大きく違いが実感できるようになったのは「髪の毛の状態」だ。会社員時代、僕は結構な白髪に悩まされていた。入社したばかりのころはほとんど気にすることはなかったのだけど、入社して半年・一年と経過するうちに、少しずつ髪の毛に白い部分が目立つようになってきた。最初は「若白髪は金持ちになるっていうしなぁ」とか呑気なことを考えていたのだけど、同僚に「日野くん、白髪多いね」とか言われることが増えるにつれ、徐々に「ヤバいかも」と思うようになった。 それでも「禿げるよりはマシだよなぁ」とか「司馬遼太郎

    会社を辞めたら色々と健康になってきたっぽい - 脱社畜ブログ
  • 日本人はいつから通勤に苦しむようになったのか - 脱社畜ブログ

    以下のエントリを読んだ。 出勤はやっぱり儀式?〜社会化寿命の短期化と予期的社会化の連鎖反応 http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/09/09/073342 とても面白い考察だった(おまけに、最後には拙著『脱社畜の働き方』をご紹介いただいている。ありがとうございます)。 「予期的社会化」という概念はこの記事で初めて知ったのだけど、会社員時代を振り返ると、出勤はたしかにモード切り替えの側面を伴っていたように思える。起きたばかりの意識朦朧の状態で朝ごはんを詰め込み、歯を磨き、スーツに着替え……とかなんとか嫌なデイリールーチンをこなしているうちに、徐々にモードは「仕事」へと切り替わっていく。こうやって日々の出勤準備をこなして、電車に乗って会社まで運ばれていくという行為は、まるで工場のベルトコンベアーに乗せられて色んな工程を経て出荷されていく製品みたいで嫌

    日本人はいつから通勤に苦しむようになったのか - 脱社畜ブログ
  • 『ウェブはバカと暇人のもの』:バカと暇人にならないために。 - 脱社畜ブログ

    中川淳一郎さんの『ウェブはバカと暇人のもの』 を今更ながら読んだ。 ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) 作者: 中川淳一郎出版社/メーカー: 光文社発売日: 2009/04/17メディア: 新書購入: 35人 クリック: 977回この商品を含むブログ (217件) を見る 『ウェブはバカと暇人のもの』があまりにも面白かったので、同じテーマを扱った『今ウェブは退化中ですが、何か?』(講談社)、『ウェブを炎上させるイタい人たち』(宝島社)まで一気に読んでしまい、僕はすっかり中川さんののファンになってしまった。最新作の『ネットのバカ』はまだ読んでいないのだけど、今から読むのが楽しみだ。 今ウェブは退化中ですが、何か? クリック無間地獄に落ちた人々 (講談社BIZ) 作者: 中川淳一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/12/18メディア: 単行購入: 2人 クリック: 54回

    『ウェブはバカと暇人のもの』:バカと暇人にならないために。 - 脱社畜ブログ
  • メディアリテラシーを身につけるために大切にしたい考え方 - 脱社畜ブログ

    数日前に話題になった記事。 「まとめサイトに洗脳された大人」と「まとめサイト思想に染まる若者たち」 http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/04/004426 「マスコミの偏向報道」を声高に叫ぶ人に限って、ネットに書いてあることは何の確認もなしに受け入れていたりする。テレビや新聞の言うことを無批判に受け入れるのも、ネットに書いてあることを無批判に受け入れるのも、ある特定のメディアの内容を自分で吟味せずにそのまま取り入れてしまっているという点では何も変わらない。ネットの情報に精通しているからと言って、メディアリテラシーが高いということには当然ならない。 テレビにせよ新聞にせよネットにせよ、メディアの情報を適切に読み解く、つまり「メディアリテラシー」を身につけるためには「自分で考える」ことが必要不可欠だ。ただ、「自分で考える」といっても、漠然と

    メディアリテラシーを身につけるために大切にしたい考え方 - 脱社畜ブログ
  • 1