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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (37)

  • 予測ができなきゃ行動もできないし将来は真っ暗?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人間は「予測」に従って動きます。いや、実際には予測が働かないと動けないといっていいはずです。その意味では、予測は人間にとって行動するためのリソースであると言うことができると思います。 では、その際、人間は予測しようと意識して予測しているかというと、そうではないとも思います。 J・J・ギブソンの生態心理学においては、生物を取り囲む環境を構成する表面の性質やレイアウトの組み合わせに応じて、環境そのものがその生物の行動を促進/抑制するリソース(=アフォーダンス)と考えられていますが、予測はこの行動を促進するリソースとしての環境認識と同時に立ち上がるものと考えてよいと思います。 ようするに、人が予測しようと思って予測しているのではなく、むしろ、ある環境が眼前に立ち上がってくる際、人

    s_ryuuki
    s_ryuuki 2011/12/16
    もがく必要があると。
  • バットを持ったまま、守備にはつかないでしょ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 バットを持ったからといって、ヒットやホームランが打てるわけではありません。当たり前の話ですね。 でも、それがバットのような物理的な道具ではなく、手法や考え方みたいなものが相手だと、途端に、この当り前がわからなくなる人がいます。 バットの振り方がわかっても、相変わらずヒットやホームランが打てないことは理解できるのに、手法の使い方を知るだけでは結果が出ないということがわからない。 いやいや、それ以前に、バットが野球に密接に結びついた道具で、ほとんどそれ以外の用途がないことが理解でき、かつバットをつかうには野球のことも知らないといけないことはわかるのに、ある手法を知る際にそれが使われる場について理解することが大事であることがわからなかったりします。 こう書くと、おかしさはわかって

  • 選択する眼、リリースする眼: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 めずらしくニュース記事の引用から、エントリーを書きはじめてみる。 スタンフォード大学が2009年8月に公表した、タスク処理に関する研究結果の話から。 この研究は、スタンフォード大学が2009年8月に公表した調査結果の説明になるかもしれない。同大学の研究者たちは、日常的に複数のタスクの処理に追われるている人々は、認識能力に悪影響を受けることを発見した。「Cognitive Control in Media Multitaskers」(メディアマルチタスカーの認知制御)と題された調査報告書によると、タスク切り替え能力のテストでは、メディア上で多数のタスクを処理している人々(ヘビーメディアマルチタスカー)の能力は、少数のタスクを処理しているユーザーのグループよりも劣るという結果と

  • 際立つ者に: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 際立つ。際に立つ。 真ん中にぬくぬくといたのではわからないことが、中心を逸れて、際に立つことで見えてくる。 世の中の際。領域/分野の境界。意識と無意識の境目。 自と他の交わり、混ざり合う際で、異質なモノと出会うことから何かがはじまる。逆にいえば、そうした際にこそ、はじまりはある。入学式も成人式も来そうした際に立つ節目であるからこそ、そこから何かがはじまる可能性をもっていたはずだ。 中心からは何もはじまらない。 中心には予定調和だけがある。そこにいる限り、停滞が唯一の友達だ。 中心は多くの場合、自分である。 自然にしていたら、際からは常に離れていることになる。 だから、際立つためには、意図的に自分から離れないといけない。 無関心自分の関心のないこと、知らないことに、いかに目

  • あきらめる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なかなか自分自身でも実行がままならなくて、まだまだだなと思っているが、あきらめることが何より大事なのではないかと薄々気がついてはいる。 期待しない何かを成そうとすれば実はそれをあきらめなくてはいけないのだと思う。 あきらめた瞬間から、ことはうまく回りはじめる。 だが、なかなかあきらめるというのは簡単ではない。あきらめきれずに期待してしまう。その期待というのがやっかいた。期待がことをうまく運ばせる邪魔をする。 だから、あきらめるというのは単に自分では何もせずに他人がどうにかしてくれるのを待つことではない。 逆なのだ。他人がどうにかしてくれるという期待をいっさいあきらめることなのだ。 自分でどうにかしないと同時に自分でどうにかしようとすれこともあきらめなくてはいけない。他人に期

  • 枠の外:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 企業で働いていると、決まった枠組みのなかで仕事をすることは避けられない。むろん、それがすべてではなく時には既存の枠組みをいかに外して考えるかが問われることもある。だが、いったん壊した枠組みも結局のところ、儲けや売上に還元されていくことは企業内で仕事をする限り避けられるものではない。 だからこそ、学生のうちは枠に縛られずにとことんやる方法こそを身に付けてほしい。学生に対して企業ごっこのような枠組みのなかで考えたり、安易に思考の方法を学ばせるような教育は感心しない。そんなことは企業で働くようになればいくらでも実践的に学べることだし、いくら精巧に組み立てたところで「ごっこ」はごっこでしかないからだ(失敗したり結果が出せなかったからといって給料を下げられたりはしないのだから)。 そ

  • 常識という無知: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 時々驚かされることがある。 常識人のアナーキーさに。 「無理せず流れにまかせればいい」などと、近代以降の「進歩」「改善」を基的な行動指針を根から覆すような言葉をさらっと口にだす。 このブログにも明らかなように時々、近代以降の方向性に対して批判的な考えを口にする僕さえも、口にすることを躊躇してしまうような言葉をいともたやすくさらっと。そんな根的な近代否定をなんの迷いもなく口にされると、僕のほうが驚いて近代擁護側にまわってしまうくらいだ。 もちろん、それを口にした人にそんな深い考えはない。 きわめて常識的に「無理なく」という保守的な態度を表明しただけだろう。 けれど、だからこそ恐ろしい。 無知であるが故に、過去に人びとが努力して行ってきたことを、さらっと何気なく否定して

  • なぜ?を問う力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なぜ?を問う力が不足している。 いや、他人に訳を訊ねる力が足りないというのではなく、目の前で起こった事柄の理由を自分に対して問う力がないのだ。 目の前で起きる事柄を当たり前と思って見過ごしてしまうことが多すぎて、すべてがわかったつもりなのか、なぜ?を問うことでちゃんと理解してみようという態度が著しく欠けているのである。まさに前回書いた「知っているということの呪縛」である。 なぜミスは起こったのか? なぜあれがこれより人気があるのか? なぜあの場所はいつも混雑しているのか? 目の前で起こっている事柄をなんとなく見過ごしてしまうのではなく、なぜ、それはそうなのかと疑問をもつことができるか? つまりはここでの関心事は問題発見能力についてである。問題が見つからなければ、解決は図れな

  • 知っているということの呪縛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「抽象的/具体的という軸に対して消極的態度をとる」では、人は文章を読んでも、自分が知らないことはわからないと書いた。 よほど想像力を使って創造的な編集をしながら読まない限り、未知の事柄を理解するのはむずかしい。文章がわかりやすいという場合、知っている事柄が並んでいて、その既知の並びが総合的にみると、知らなかったことを語っているように思える場合だろう。人は知らない事柄を文章をなんとなく読むだけでわかることはできない。 とうぜん、このこと自体、教育とか学習のあり方を考える上では重要な事柄であるのは間違いないが、今日はその話ではない。 今日の話は、では、どうすれば未知の事柄を既知に変えることができるかということと、知っているということの呪縛に人がいかに囚われやすいかということの2

  • 他人の話の意を汲む: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 他人の話を聞いて、言葉そのまましか理解できないか、言葉で表現された以上に相手の意図を汲めるかどうかの差は大きい。 別に、それは相手の気持ちをわかるという話ではなく、相手が何かをお願いしてきたり、何かを話題にしてきた際に、なぜ相手がそのお願いや話題をいまするのか、なぜこの文脈のなかでしているのかということから構造的・論理的に想像できるかどうかという意味で。 関係性を捉えているかもちろん、それが可能になるには、普段から人が行う物事や、世の中で起こる事柄を関係性において捉える見方に慣れている必要がある。 みんなが急ぎ足なのは、何かがその先にあるのだろうとか、先輩の機嫌がわるいのはさっきの会議で何かあったのではないかとか。 別に下手な勘繰りを常にしようとか、物事には必ず理由があると

  • 文脈から切り出し、抽象化する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 観察した自然を切り取る。体験した場のエッセンスを抜き出す。交わった相手の良さを引き出す。こうしたことを行うには、自分が観たもの、体験したものから特定の要素を抽象化する力が必要になります。 つまり、自然を観て絵を描く。体験したことを元に文章を書く。相手の良さを引き出すプロデュースをする。こうした創造的活動には、抽象化の力があることが前提になるのです。 最近、この「抽象化」ということを考えています。 抽象化にはまず自分が実際に観たり触れたりする現実の文脈から要素を抜き出せないといけません。要素を抜き出し、必要な要素だけに単純化し、単純な要素だけで事象を組み立てる力が抽象化です。 例えば、街できれいな女性を見かけたとしましょう。 あとで、その女性のことを思い出すとき、僕らはその女

  • アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと: DESIGN IT! w/LOVE

    これも立派な意見だと思うんですが。 さて、問題は、自分の意見がない場合だ。そういう場合も当然意見が少なくなる。自分はどちらかというとこちら側にあてはまるかもしれない。おそらく何を考えればいいのかがぶれてしまうのだ。 意見をいわなくてはいけないとか、むずかしく考えすぎてるんじゃないでしょうか? そりゃ、時が来れば自分の意見を求められる場面もあると思いますけど、アウトプットを増やさなくてはいけないのは、そんなタイミングじゃないんですね。もっと前、ずっと前の段階です。自分の意見を言わなきゃなんていう最後のタイミングのことばかり考えちゃうから間違うんですね。 むしろ、アウトプットができない人がまずやるべきなのは、相手が話しているあいだの自分のインプットを増やすことだと思います。 ようは次の3つ。 オウム返しをする質問をする相手の話の良いところをほめる ここでいう相手は、あなたに何か課題をあたえる人

  • メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の

    s_ryuuki
    s_ryuuki 2010/01/22
    メタ認知、抽象的思考
  • 欲望を知る: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分が欲しいものがわかっているか。自分がやりたいことがわかるか。 このことが売れるものをつくること、ビジネスを成功させるうえでの最低限の条件ではないかと思うのだけど、どうだろう? ちゃんと自分の欲望に気づく感受性を養えているだろうか? 自分の欲望に気づく感性を持ち合わせていないのなら、他人の欲望を理解することがきわめてむずかしいはず。他人の欲望を解せず、他人にものを売ることは困難だろう。他人が欲するものをつくることはできないだろう。 自分の欲しいものがわかっているか。自分のやりたいことがわかっているか。 それができていないのなら、ものづくりはできない。ビジネスを創造することもできないだろう。 ものをつくり、売るための想像力が欠けているものを売ることから体験を売ることへ。そん

  • 応用力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 応用力が足りない。教科書通りにしか物事を進められない人が多いように思う。 対処すべきケースが教科書通りならなんとかできるが、教科書には書かれたのとは異なるケースに出くわすと途端に立ち往生もしくは出鱈目なアクションとなる。 世の中、教科書通りには事が運ばないケースの方が多いから、なかなか仕事が進まない。あるいは出鱈目なアクションで、それ、当に仕事したことになるの?と疑問に思うことも。 基を応用して、パーツとなる手法を組み合わせながら、問題を解くという創造力が書けている。そういう頭の使い方に慣れていないのかな、と。 基を理解すること応用力に欠ける要因のひとつは基が理解できていないことだと思う。ある問題を解くのになぜその方法を用いるのかということを理解せずに、ただ教科書に

  • やっぱり感受性が学ぶための基礎なんだろうな: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 物事からなにかを感じとる力。 自分が感じていることを意識のうえでも受け止める力。 客観的な知識ではなく、自分で感じたことを信じる力としての感受性。 この感受性がいろんなことを学んだり勉強したり理解したりする上での基礎となるものなんだろうなと思います。 頭がわるいとかではなく、感受性がよわい「いま勉強中です」とか「いろいろ教えてください」とか口ではいいながら、いつまでたっても成長しない人がときどきいます。たしかにそういう人は勉強していたり、いろんな人に教えてもらったりしていたり努力はしているのですが、なぜかどこか決定的に飲み込みがわるいし、みると勉強の方向性や疑問の持ち方がズレていたりする傾向があります。 程度は極端にダメなのもあれば、ちょっとズレてるなという程度のこともある

  • 「わからない」を自分で引き受ければ他人の目を気にして焦る必要はない。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 うーん。わからなかったら、わからないでいいじゃんと思うんだけどなー。 すくなくとも焦ってすぐにわかろうとしなくてもいいと思うんですよ。 わかるとかわからないとか所詮は個人の問題だと思っています。 いや、全部がそうじゃなくて、人間社会の仕組みとしての決めごと―たとえば試験の答えだとか、法律で決められてるやっちゃいけないこととか、待ち合わせの場所と時間とか―そういうのは、決まっていることをわかる必要があって、決めたことが1つなら答えは1つです。 でも、そういう決めごとの外にあるもの―たとえば他人の気持ちとか、誰かによって主張された内容とか、自然や日常の出来事をどう解釈するかとか―を、どう見るか、わかるかは所詮は、わかる側の個人的な問題でしかない。たとえ相手に「なんで、私の気持ち

  • 機会がないとか経験がないとかいうけれど: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「機会がないからできない」「経験がないからわからない」 まぁ、間違ってはないですね。 でも、そう思うなら機会を作るため、経験を積むため、行動してるの?っていうと、そうじゃない人が多い。何それ? 「できない」「わからない」って言うために「機会」とか「経験」のなさを口実にしてるだけなのかなって不審に思ってしまいます。 毎度のことですけど、行動力がないな、臆病すぎるよなって感じます。 わかってからやろうとするな、わかる前だからやれとにかく、わからないからやらない、動かないって傾向がある人が多いのかなと思います。 でもね、わからないのは動かないからだよって思うんですね。 恋愛とかでもそうじゃないですか? 出会いがないとかいうけど、それって自分で積極的に行動しないからってところが大き

  • PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 会社でも、個人でも、自分(たち)ができること・やりたいことをうまく外部の人に理解してもらえてなくて損してるよなーと感じることがよくあります。 まわりにもっと自分(たち)ができること・やりたいことをわかってもらえば、いまよりやりたい仕事ができるようになるし、やりたいことをもっと楽にできるようになるのになーと、はたから見ていて感じるわけです。 そういう人(たち)って、一言でいえば、PR下手。 だって、よく知らない相手と仕事するより、多少なりとも相手ができること・やりたいことを知ってたほうが仕事するうえでのコミュニケーションの苦労もずいぶん軽減されるのに、相手に自分のことを知っておいてもらうための事前のPRができない。 誰が何ができるかがわかっていれば、相手はそれが必要になったと

  • 人を育てる刺激のある環境: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日は転職後、初の調査報告会に参加。30名弱が参加しての報告会でしたが、なかなかおもしろかったです。 ユーザー調査の結果をもとにさまざまな職能・職種にある方々がデザインの可能性に関して議論を重ねた2時間。やっぱり、こうして事実ベースでデザインについて議論をするのって楽しいですね。僕も調査でユーザーの行動を観察したりユーザーの声を聞いたりした立場から話をさせてもらいましたが、それぞれが専門的な立場から考えを述べ合う場というのはいいなと思いました。こういう時間こそ今回の転職に期待していたものかなと感じ、転職してよかったなとはじめて実感できました。 刺激のある環境が人を育てるさて、久しぶりに楽しい刺激をもらった一日でしたが、僕は人が育っていくためにはその人が多くの時間を過ごす職場