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ブックマーク / blog.lacolaco.net (5)

  • 却下できる人が承認することに意味がある | Marginalia

    コードレビューに限らず、いろいろなレビューがいろいろなプロセスに組み込まれている。だが、レビューにおいて、たとえ内容に瑕疵があっても承認されるなら、そのレビューは単なる形式・儀式に過ぎない。"何かを保障するためのプロセス"としてのレビューを機能させることを目的とするなら、そこには却下の可能性があることが必要条件だ。 保障: ある状態がそこなわれることのないように、保護し守ること。 https://kotobank.jp/word/保障-630029 却下と批判的立場そのようなレビューにおいて、レビュアーは「これは承認しても大丈夫か」と思考する。「承認しても大丈夫だ」という確信を得るということは、裏返せば「却下すべき理由がない」という確信を得ることである。その確信が得られるのは「却下すべき理由を探したが見つからなかった」ときである。つまりレビュアーに承認を求めることは、「却下すべき理由を探す

    却下できる人が承認することに意味がある | Marginalia
  • 社外勉強会への参加は個人のキャリア戦略だけでなく組織が取り組まなければならない課題でもある | Marginalia

    引用第7章 越境学習 7.2 越境学習の深層に存在する主要な社会的ニーズ 一般的に人は同じ組織のなかに長くいると、「過剰適応の罠」 や 「能動的惰性」 にとらわれる可能性が高くなるといわれている。ここで 「過剰適応」とは、組織に人が過剰に適応しだすことによるデメリットである (Chao 1988)。また、能動的惰性とは 過去の成功体験にしがみつき、それを永遠に繰り返そうとする個人の状態をさす(松尾2011)。 第3章で論じたような組織社会化の諸力の影響が強ければ強いほど、個人は組織に慣れていく一方で、 ともすれば組織に過剰適応を果たす。自己の組織の特殊性,ステレオタイプ、特有の思考形式を獲得し、 次第に無自覚になり、「文化的無自覚性」の境地に至る。それが進行しだすと、今度は「能動的惰性」 を獲得する。かくして、創造的な仕事を行おうとする個人,自らのキャリアや能力開発に意識的な個人は次第に減

    社外勉強会への参加は個人のキャリア戦略だけでなく組織が取り組まなければならない課題でもある | Marginalia
  • Trace-based Testingというアイデアに感動した | Marginalia

    先日、Trace-based Testingなるテスト技法についてのブログを読んで感動した。(感動しただけでまだ試してはいない。) 何に感動したかというと、トレースによってシステムの振る舞いをテストするというアイデアは、僕がPHPカンファレンス福岡で発表したテストについての基的な考え方とこの上なくマッチしていて、なおかつ具体的な技法としてトレースをテストに使うという発想は僕の中になかったからだ。あっぱれという感じだ。 PHPカンファレンス福岡では、テストの質は開発者が安心を得るためのプロセスであり、したがって、「このテストが通るなら番でも期待通りに動作するはずだ」と思えるようなテストが、テストとしてのパフォーマンスが高いと話した。 Trace-based Testingがもっともよく機能するのは、開発者がデプロイ後にシステムの正常動作を検証するために最も信頼しているものがトレースであ

    Trace-based Testingというアイデアに感動した | Marginalia
  • 「小さくリリースする」以前に、リリースが小さいとはどういうことか | Marginalia

    「どのように小さくリリースするか」ということを議論する以前に、「リリースが小さいとはどういうことか」についての認識を合わせられてなかったら、準備はまったくできてないと言っていい。 何においてもそうである。「どうやっておいしくハンバーグを作るか」を議論するには「ハンバーグがおいしいとはどういうことか」についての共通認識が必要だ。ハンバーグのおいしさについての意見が噛み合ってなかったら、その人達がどれだけ話し合っても「どうやっておいしくハンバーグを作るか」に答えを出せるわけがない。 だから、なんらかのきっかけで「リリースの大小」に問題意識が向いたのなら、「リリースが小さいとはどういうことか」が最初の論点にならなければいけない。(もちろん「リリースとは何を指すのか」についても当然共通認識が出来ていないと意味がないが) 大きい・小さいという尺度は、面積や体積をもった物体同士を比較するのに使われる表

    「小さくリリースする」以前に、リリースが小さいとはどういうことか | Marginalia
  • IT系勉強会のいまと、集うということについて | Marginalia

    今年に入ってから、オフラインのIT系勉強会や開発者カンファレンスがじわじわと復活してきているが、興味深いと思っているのは、開催にあたってより大きなコストのかかるカンファレンス規模のイベントのほうが、復活のスピードが早いように思われることだ。 逆に小規模の、駅名+技術のような勉強会のほうが復活していないものが多いように感じる。これには会場確保の難しさやオーガナイザーの状況の変化などいろいろな要因が簡単に思いつくが、特に考えてみたいのは「集う」ということそのものの困難さに気付かされているのではないかということだ。 人が集まって何かをイベントを開催するためには、そこに人を「集わせる力」が必要である。大規模なカンファレンスと小規模の勉強会の大きな違いは、その「集わせる力」に対する投下コストにあると思う。より商業的な色合いを持つイベントであるほど、そのコストの多くは「集わせる力」の増強に使われる。集

    IT系勉強会のいまと、集うということについて | Marginalia
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