私の好きな映画に、金子修介監督「宇能鴻一郎の濡れて打つ」というのがあるのだが(これは傑作!)、この金子監督の父親というのが変わった人で、いつもスーツの上に「アメリカはベトナムから手を引け」と大書したゼッケンをつけて、毎日、電車通勤していたそうだ。私がなんらかの政治的(?)アクションを起こそうとするとき、なぜかいつもこの人のことが思い浮かぶ。 それはたぶん、「ひとりであること」を決しておそれないということ、たとえ人から白い眼で見られようとも自分なりのスジを通すことであって、それは大衆の支持を得るとか得られないとか、政治的実効性を持つとか持たないとかいうこととは関係がない。 私はいまこの原稿を、朝5時、京大時計台前のクスノキの下に張ったテントで書いている。私たち2名の始めた泊まりこみの無期限ストライキ(首切り職員村)は今日で13日目に突入し、今後の見通しも立っていない。 私たちの主張は、京大が
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