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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (25)

  • 「川崎市:朝鮮学校に横田さん著書支給へ 補助金未執行分で」 | 私にも話させて

    「川崎市:朝鮮学校に横田さん著書支給へ 補助金未執行分で」 http://mainichi.jp/select/news/m20130220k0000m040100000c.html 上の記事を読んで驚いたのだが、この阿部孝夫・川崎市長が、通学する子供に対して、拉致の責任がお前たちにはあるとレッテル貼りする行為をやっておきながら、「子供に責任はなく、川崎市民であるので教育の保障をしていくことは重要。教育そのものへの支援をやめるのは極端だ」などと白々しく弁明している点は、今回の行為がどれほど破廉恥なものであるか、市長自身が薄々気づいていることを示している。 しかし、川崎市長は氷山の一角であって、今回の措置を支える認識が日社会には恐らく定着しているのではないか、と思わせられてしまう状況であることこそが恐ろしい。例えば、日を代表する大手出版社である文藝春秋が、一般向けの「文春新書」の一冊とし

    「川崎市:朝鮮学校に横田さん著書支給へ 補助金未執行分で」 | 私にも話させて
    sarutora
    sarutora 2013/02/21
    通学する子供に対して、拉致の責任がお前たちにはあるとレッテル貼りする行為をやっておきながら、「子供に責任はなく…」などと白々しく弁明…今回の行為がどれほど破廉恥なものであるか市長自身が薄々気づいている
  • 「戦後社会」肯定と靖国公式参拝問題 | 私にも話させて

    安倍晋三の、岡崎久彦との対談を読んでいたら、興味深い発言に遭遇した。以下は、総理大臣の靖国参拝に関する安倍の意見である。 「A級戦犯が合祀をされているから、参拝してはだめだ、けしからん人間だと国が判断するというのは、きわめておかしなことです。例えば賀屋興宣氏も重光葵氏も両氏ともA級戦犯です。しかし彼らは赦免されて、政界に復帰します。賀屋さんは池田内閣の法務大臣、重光さんは鳩山内閣の外務大臣になって、国連に日が復帰したときの日本代表を務めました。そして重光さんは戦後、勲一等に叙せられています。批判する人たちは、そうした歴史をどうしようというのでしょうか。消すことはできません。 実際、戦後、国民の間から、1952年4月28日に発効した対日講和条約以降も服役しなければならない戦犯の早期釈放を求める声が高まり、日弁連が政府に提出した意見書が皮切りになって、全国から四千万人もの署名が集まります。

    「戦後社会」肯定と靖国公式参拝問題 | 私にも話させて
    sarutora
    sarutora 2013/02/20
    安倍は恐ろしく正しいことを言っている。つまり、戦後日本社会を肯定するならば、歴史認識の観点からは、首相の靖国公式参拝を否定することはできないのである。
  • 2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(下) | 私にも話させて

    3.「戦後社会」の正当化とレイシズム だが、今回の一連の言説に関して、公正性の消失を指摘するだけでは十分とは言えない。矛盾した話ではあるが、他方で、「正義は我にあり」として、普遍的な次元において自分たちの正しさは担保されているのである。そのような姿勢を可能にしているものが、私が論文「日は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で指摘した、「戦後社会」の擁護と「平和国家」日という認識である。 「戦後社会」の擁護とは、戦後日が過去清算を概ねまともに行なっていた、という認識と表裏一体である。さすがにこのような主張を大真面目に語る人間は少ないが、以下のような薬師寺克行・朝日新聞論説委員(元『論座』編集長)の主張がその一例である。 「戦争によって完全に崩壊したアジア諸国との外交関係を回復するため、戦後、日政府は腰を低くして自らの行いの非を認めて謝罪するとともに、各国の経済発展

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    sarutora 2010/12/01
  • 2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(上) | 私にも話させて

    1.尖閣諸島(釣魚島)問題について このところの政治・言論上の、一連の大きな動きについて、まとめて書くつもりだったのだが、長くなるので全体を分載することにした。延坪島砲撃事件とその日への影響や、沖縄知事選についても述べたいのだが、それを論じる前に、尖閣諸島(釣魚島)問題について述べなければならない。 この問題については、浅井基文氏が、日共産党の主張の支離滅裂さや、安全保障問題との関係、中国側の主張など基的な点に関して、詳細かつ極めて説得的に論じているので、未読の方はまずはそちらを参照されたい(私は尖閣諸島は中国領だと考えているので、浅井氏とは立場が異なるが)。 今回の一連の尖閣問題に関する日の言論状況への批評として、メディア上で一番的確だったのは、韓国の保守紙、朝鮮日報(日語版)の2010年9月27日付の記事ではないかと思われる。記事には以下のようにある(強調は引用者、以下同)。

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    sarutora 2010/12/01
  • イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて

    1. 最近、イスラエル/パレスチナ問題に関するブログ記事を読んで、強い違和感を覚える機会があった。発言者の方々は、<佐藤優現象>批判や岩波書店による私への嫌がらせ・弾圧に積極的に賛同して下さっている方がであるが、リベラル・左派批判が「内輪化」することを防ぐ意味から、率直に異論を出した方がいいと思うので、以下、述べることにする。また、これを機会に、イスラエル/パレスチナ問題に関する言説の最近の傾向について、思うところを述べておきたい。 2. ブログ「media debbugger」の吉沢樹氏が、最新記事で、「「STOP!!無印良品キャンペーン」への賛同と若干の疑問について」という一文を書いておられる。 http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-109.html 吉沢氏については、上で述べたように私は感謝しており、また、伊勢崎賢治やら竹内好やらを持て

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    sarutora 2010/08/16
    >日本のリベラル・左派内部の/日本社会の「良心派」(自分自身)の力の発展、「健全な保守」や「国益的合理性を有する保守」との連携を重視しようという近年の流れ
  • 「よい大連立」と社民党 | 私にも話させて

    菅直人首相が消費税に言及した当の理由は不明であるが、以前指摘したように、『世界』等のリベラル・左派「論壇」において消費税容認論が支配的になっていたことも一因かもしれない。実際、私の指摘どおり、神野直彦を委員長とする政府税調専門家委員会も、中間報告で消費税増税を提言したわけだし、これなら「世論」的にいけると思ったんじゃないかな。菅は、現在のリベラル・左派「論壇」が、「世論」なぞ全く反映していないことを見落としていたのではないか。もしそうならば、寺島実郎の「駐留なき安保」論を真に受けた鳩山前首相と同じ轍を踏んだことになる。 参院選後に「消費税増税」を目的とした大連立が来る、ということが散々言われているが、むしろ警戒されるべきは、1年近く前に「よい大連立か、わるい大連立か」で書いたように、「新自由主義」的大連立への対抗として(といっても消費財増税という基方針は変わらないが、増税時期や増税幅を

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    sarutora 2010/07/07
  • イデオロギーの終焉(中) | 私にも話させて

    3. この「イデオロギーの終焉」という事態においては、従来型の「右」か「左」か、という区分は、全く意味をなさない。ある意味で、全部が「右」になったとも言えるし、「右」と「左」が国益論の枠組みで再編された、という言い方もできるだろう。ここにおいては、従来の左派は、国民レベルではより平等主義的に、対外国人レベルではより排外主義的な傾向を強めると思う。 例えば、外国人労働者問題について考えてみよう。この場合、政策的には、一定流入させて単純労働力は阻止、という方針自体は左右ともに変わらない。だが、財界や保守派においては、対外関係への顧慮という要素があるのに比べて、左派は、「新自由主義」に反対するとの口実で、外国人労働者流入反対を公然と掲げるようになるだろう(既になっている)。 関連して、左派が、閉鎖経済への傾向を持っていることも指摘できよう。例えば、ポピュリズム系の護憲派の典型である『通販生活』を

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    sarutora 2010/02/21
  • 歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて

    前回(第1回)からかなり間隔が空いてしまったが、「レイシズム的保護主義グループの成立」の第2回である。 1. このところ、日リベラル・左派の間で、「ナショナリズム」の復興論(「リベラル・ナショナリズム」)があちこちで唱えられている。そして、私見によれば、ここで唱えられている「ナショナリズム」は、非常に奇妙な特徴を持っている。この奇妙な「ナショナリズム」は、レイシスト的保護主義グループの存立基盤の根を支えるものであると思われる。 この「ナショナリズム」を検討するに際しては、「ナショナリズム」肯定論者の一人である萱野稔人と、高橋哲哉の対談(高橋哲哉・萱野稔人対談「ナショナリズムが答えなのか」『POSSE』vol.2、2008年12月)が大変興味深い。 萱野はここで、 ①グローバリゼーションそれ自体は、先進国と第三世界の経済格差を縮小させているのであるから、日国内の経済格差を問題にするな

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    sarutora 2009/11/08
  • 「良心的」な立場とは何か――岡真理氏と『金曜日』 | 私にも話させて

    1. 『金曜日』の最新号を見ると(と書き出さなければならないのが嫌なのだが)、佐高信による鈴木宗男への提灯インタビュー記事があったり、多勝一の「何度でも言う、千島全島はロシアの侵略だ」というタイトルの記事があったりと、また一歩混迷が進んだような内容だったが、それらだけならばあえてこのブログで取り上げるまでもなく、「また『金曜日』が自滅している」と感想を持つだけで終わっていただろう。 ただ、同号には、橋哲也による岡真理氏へのインタビュー記事が掲載されている。岡氏と『金曜日』については、思うところがあるので、今回は、この件を中心に取り上げる。 なお、岡氏へのインタビューは、『金曜日』の全66頁(表2・表3を含めれば68頁)中、6ページにわたっており、岡氏の大きな写真も4枚も掲載されている。破格の待遇と言っていいだろう。少なくとも私は、『金曜日』でこんなに長いインタビュー記事を見たことがない

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    sarutora 2009/11/01
  • 梶村秀樹の苛立ち | 私にも話させて

    朝鮮史研究者・梶村秀樹の講演録に、「解放後の在日朝鮮人運動」がある(『梶村秀樹著作集 第6巻』に収録)。1979年に行なわれた講演で、1980年に手を加えて出版されたものだ。7、8年前に読んだはずなのだが、状況の進展(悪化)のせいか、梶村の問題設定の卓抜さと分析の鋭さに圧倒された。前回は一体何を読んでいたのか。 論点は非常に多岐に渡るので、機会があればまた述べてみたいが、この講演録で最も印象深いのは、梶村の、日人左翼への苛立ちである。 戦後、在日朝鮮人は在日朝鮮人連盟(朝連)を結成し(1945年10月)、活発に活動を展開した。朝連の幹部は、日共産党員であり、共産党の運動にも朝連を動員させ、大きな役割を担っていた。 にもかかわらず、米軍や日政府による朝鮮学校の破壊などの朝連、在日朝鮮人への攻撃や、朝連の解散の強行(1949年)といった事件に際し、共産党は、「知らん顔」をしていた。朝鮮

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    sarutora
    sarutora 2009/10/25
    >戦後直後の進歩的知識人や共産党系知識人の諸活動、盛んだったという労働運動など、当時の広義の左翼全般に対して、根本的な疑念を感じざるを得ない。もちろん、これは現在進行形の問題である。
  • 「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて

    ブックオフで105円で売っていたので、遅ればせながら『思想地図』創刊号(2008年4月刊)を買ってきたのだが、突っ込んでくれと言わんばかりの発言のオンパレードで笑ってしまった。刊行時に少し立ち読みして馬鹿馬鹿しさに放置していたが、こんなに面白かったとは。気が向いたときに、「一日一言」方式で取り上げることにしよう。 まずは第1回目である。「共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大・白井聡・中島岳志。討議の日付は2008年1月22日)の白井聡の発言より(強調は引用者)。 「僕が思想について勉強を始めたのは、90年代後半です。で、いろいろと知識の摂取を始めると、入ってくるものの多くが左旋回したポストモダニズム思想だということになる。そんななかで、僕は漠たる不満を感じるようになってくるんですね。僕は当時、遅れてきたニューアカ少年的なところがあって、いわゆるニュー

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    sarutora 2009/10/12
  • 『週刊文春』見出し「本当に怖い中国人」 | 私にも話させて

    当に怖い中国人 (1)ウイグル暴動「女子大生の首を切り木に吊るした」 (2)あなたの隣の中国人「一気に刃物」の恐怖 ――ハローワーク職員襲撃だけじゃない」 記事を読むと、(2)は、日国内の中国人による犯罪事例を取り上げている。 約1年前に、このブログで、『週刊朝日』による韓国人へのレイシズムそのものの見出しを3回にわたって取り上げた際に、2回目で、以下のように述べた。 「右派メディアは、キャッチコピーにおいては、「韓国」は罵倒しても、「韓国人」一般に罵倒表現を使う事例はあまり見かけない。民族差別だと言われないよう警戒しているのだろう。「リベラル」であるはずの朝日の方が、警戒心がないからこそ、こうした差別感情が垂れ流されたキャッチコピーを使うわけである。 朝日が使ったのだから、右派メディアにも、こうした「韓国人」への罵倒表現は「解禁」されてしまったということだ。今後、「朝日ですらあそこ

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    sarutora 2009/07/22
  • ポピュリズム批判とポピュリズム化の同時進行 | 私にも話させて

    1 「マガジン9条」というサイト(ウェブマガジン)がある。発起人や執筆者等からわかるように、佐藤優と結託する護憲派ジャーナリズムそのものと言ってよい。 http://www.magazine9.jp/ 最新号では、柄谷行人の新刊が書評で取り上げられており、以下のように結ばれている。 「「柄谷行人」を一部哲学・文芸ファンの占有物にしておくのはもったいない。これまで柄谷の言説になじみのなかった読者には、書がガイドブックの役割を果たすはずだ。来たるべき自由で平和な社会にむけて、みんなでカラタニを読もう。」 http://www.magazine9.jp/rev/090520/ 好意的に考えれば、読者を笑わせようとしていると思われるのだが、多分この書評者は気でこう言っているのではないか。この書評者(北川裕二)は、なんと、あのNAM関係者だったらしいのである。 http://groups.yah

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    sarutora 2009/05/28
  • レイシスト的保護主義グループの成立(1) | 私にも話させて

    『週刊金曜日』が、右翼雑誌の『月刊日』と4月8日に共同集会を開いた。 http://www.kinyobi.co.jp/event/upload/0408_A4.pdf http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm この集会の開催については、かなり前からウェブ上でも話題になっていたから、このブログを見に来るような読者には知っている人も多いだろう。 私は、この件をここで取り上げると、以前の『金曜日』創刊15周年記念集会における「日の丸」ポスターのときのように、『金曜日』が及び腰になってしまう可能性がある(笑)ので、言及するのは『金曜日』誌で集会の報告が載るまで待つことにした。もう『金曜日』編集部はこういった、社会排外主義とでも言うべき方向に進む以外の可能性はないのだから、行き着くところまで早めに行って

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    sarutora 2009/04/27
  • 朝鮮総連の資産凍結について | 私にも話させて

    1. 麻生政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う方針を固めたという。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090306/plc0903060120000-n1.htm この件に関しては、吉田康彦が早くにコメントを出し、「在日朝鮮人の生活と人権のさらに圧迫する非人道的措置」として批判している。だが、どうせ大多数の日の左派は黙認するだけだろう。 http://www.yoshida-yasuhiko.com/ それにしても、ついにここまで来たか、というのが第一報を聞いた感想である。朝鮮総連が何か犯罪を犯したから、という理由ですらなく、外交関係上の「国益」の観点から、資産を凍結するというのだ。在日朝鮮人の「人権」は、はじめから考慮の対象にすらなっていない。さらに言えば、これは吉

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    sarutora 2009/03/09
    >「戦後社会」そのものが現実には植民地支配とその下での非人道的措置には一貫して無関心で潜在的な排外主義と骨がらみであった以上右派の攻勢に対しては対抗できないか自らも排外主義を伴った形でのものに変質する
  • 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて | 私にも話させて

    村上春樹のエルサレム賞受賞については大して興味がなかったのだが、前回も書いたように、受賞スピーチへのメディアやウェブ上の賛美には当に唖然とさせられる。 スピーチの全文は、下のリンク先にある。 http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html 翻訳はウェブ上にいくつかあるが、便宜上、その下のものを使わせていただく。 http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290 村上は言う。 「しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをした

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    sarutora 2009/02/20
  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

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  • 「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について | 私にも話させて

    <1> 佐高信による佐藤優評価が180度変わり、それが正当化されていることが、ブログ「アンチナショナリズム宣言」2008年5月14日付記事で指摘されている。佐高の弁明に何ら説得力がないことは、そこで指摘されている通りであるが、私がここで取り上げたいのは、佐高の佐藤優評価の変容において、2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編の最も重要な特徴点の一つが、観察できることである。 『金曜日』2005年6月10日号「読んではいけない」欄で、佐高は佐藤の『国家の罠』を取り上げて、次のように述べている。 「小泉政権の誕生により、日人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった、と著者は書く。しかし、それは小泉だけの責任ではなく、憲法の掲げる平和主義に基づく外交を積極的に展開してこなかった外務官僚の責任でもある。/国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがり、そのことは必然的に核を保有するこ

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    sarutora 2008/08/01
    >実はかねてからあった、「戦後社会」を肯定したいという欲望が、だだ漏れしている<「人民戦線」という「自尊」の言い訳を得た左派が、「自虐左派批判」の右派と結局同じ地点に来た
  • 「思想・良心の自由」による反対論の陥穽 | 私にも話させて

    改悪教育法成立がここまで延びたことは、予想外だった。というのも、土俵設定の段階で負けたと思っていたからである。 教育法改悪をめぐる論議では、上からの愛国心の押し付けが「思想・良心の自由」を侵害する、という論理で批判した声がリベラルでは多かった。私は、こうした批判を聞いて、東京都による日の丸・君が代の都立高校教職員・生徒への押し付け時の議論を思い出していた。 当時、メディアでの反対の声は、日の丸・君が代の押し付けが「思想・良心の自由」に反するから問題だ、という論理が支配的だった。一般紙ではないが、当時購読していた「しんぶん赤旗」もこれ一色だった。 何が言いたいかというと、日の丸・君が代の押し付けへのメディア上での批判において、なぜ日の丸・君が代自体への批判がほとんどなかったのか、ということである。東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸

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    sarutora
    sarutora 2008/01/01
  • リベラル・左派からの私の論文への批判について(1) | 私にも話させて

    私の論文「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)に対して、リベラル・左派からの批判の声が一向に現れず、残念に思っていたのだが、ここにきてようやく出てきた。こうした批判を検討することを通じて、リベラル・左派の論理の問題点を追求し、私の論文の補足を行なうこととしたい(なお、字数制限で一度に全文アップできないので、それぞれの注は、(4)の末尾にまとめて掲載している)。 ここで取り上げるのは、ある匿名ブログの「大学4年生」(1980年生まれ)による、私の論文への批判である。こういう、いかにも『論座』あたりからお声がかかるのを待っているようなブログを採り上げてやるのは気がひけるのだが、それはともかく、批判の声を聞こう。 「一読後の感想として、この論文の言葉使い、その論理の運びからして、駒場のときの△○派のアジびらの論理を思い出した。悪の帝国ブッシュと追随する日政府、まではまあ良いのだ

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    sarutora 2008/01/01