タグ

2009年3月23日のブックマーク (7件)

  • asahi.com(朝日新聞社):京大、非常勤スト撤去命じる 拒否なら「断固たる措置」 - 社会

    京都大学の時計台記念館前の広場で非常勤職員2人がテントをはり、雇用期間を最長5年間と定めた規定の撤廃を訴えている問題で、大学側は23日朝、同日午前10時までにテントや立て看板類を撤去するよう命じる「最終通告」を2人に渡した。従わない場合は「断固たる措置」をとると警告している。  2人は「京都大学時間雇用職員組合」として大学に団体交渉を申し入れ、先月下旬から住み込み状態で「雇い止め」に反対している。  京大側は「施設管理上、再三撤去命令をだしたが原状復帰されなかったので、最終通告をした」と説明。テントには支援者ら約30人が集まり、一時緊迫した。

    sarutora
    sarutora 2009/03/23
  • 京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy : SOS、応援要請!

    雇い止めを言われたら 5年問題とは? ストライキの映像(YouTube) 組合員募集 「5年でくび」ビラ くびくびパンフレット pdf版 連絡先: 070-5506-7365 または unionextasy(a)gmail.com ※(a)を@にして下さい カンパ振込先: 京都中央信用金庫 百万遍支店 0955268 ユニオンエクスタシー 「わしら、スターダストや」 「そもそも女性労働の搾取の問題だった」 ユニオン・エクスタシーとは 設立趣意書 組合規約 細則

    京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy : SOS、応援要請!
    sarutora
    sarutora 2009/03/23
  • Tokyo Fuku-blog: 寝ている男性の腕に自分の名前を刻んだ女逮捕

    sarutora
    sarutora 2009/03/23
    薬飲んでたにせよ、気づかず寝てたっていうのがすごい…
  • 論じる気がありません

    論争する気がありません 1997年8月25日 先日、宮台真司とその周辺の「30代文化人」を批判する論文を書いたら、「ちっとも論文の態をなしていない」「おまえは物事をきちんと論じる気がないんか」という批判をいただいた。どこからいただいたかというと、自分で出したのである。 自己批判に応じよう。 論じる気は、ない。 考えてもみよ。ぼくが宮台真司や浅羽通明や岡田斗司夫や宮崎哲弥や……といった30代論客たちに真正面から論争を挑んだとして、勝てると思うか? 勝てるわけがない。 ぼくの標榜する立場が間違っているから勝てないのではない。論争技術がないから勝てないのである。 それでは論争技術があれば勝てるのか? 勝てる。 ではなぜ技術を磨く努力をしないのか? 努力で技術が身につくわけではない。技術を身につけるために必要なのは「環境」である。 環境? しかり。こちらのレベルに見合ったほどよい論争相手が探せばい

    sarutora
    sarutora 2009/03/23
    >云わば「闘わないこと」が「闘い」であり得た特殊な、稀有な時代だった。しかし彼らは、「世代間戦争」に勝利した後、自分たちの闘争の特殊性を忘却・隠蔽し、それを一般化・普遍化する誤りを犯した
  • 発信箱:炊き出しの囲い=磯崎由美(生活報道センター)/毎日新聞 - 薔薇、または陽だまりの猫

    隅田川が流れる東京・下町の住宅兼商業地に、国の有形文化財に登録された浅草聖ヨハネ教会がある。東京大空襲で焼夷弾(しょういだん)の直撃を受けたが、誰もが貧しい時代にもかかわらず信者や地域の人々の浄財が集まり、戦後10年で再建にこぎつけた。 職にあぶれ腹をすかせた人たちが来るようになったのは、およそ10年前の平成不況のさなかだった。当時の牧師は炊飯器に残った米を握っては差し出し、次第に人数が増えた。その後は日曜礼拝の参加者で炊き込みご飯を作り、配っている。 だが最近になって、地域住民から炊き出しを中止してほしいとの声が上がった。ご飯を求めて来る人は当初数十人だったが、最近は500人を下らない。生活保護の老齢加算廃止や派遣切りがあった時には、いずれも50人単位で列が延びた。 「近所に座られると困る」「ごみを落としていく」。苦情が寄せられるたびに、下条裕章牧師(49)は集まる人にモラル徹底を呼びか

    発信箱:炊き出しの囲い=磯崎由美(生活報道センター)/毎日新聞 - 薔薇、または陽だまりの猫
    sarutora
    sarutora 2009/03/23
  • 壁の卵、卵の壁。

    「非政治的なものの政治性」という言い回しは、最近僕が見る範囲では批判的に使われていることが多いような気がする。 それはたとえば「自称中立」とかと同じで、もともとイデオロギー(観念)であるにもかかわらず現在の体制にによって現実化されているためにあたかも自然であるかのように思われてしまっているものを、いや、実はそうではないのだ、と指し示すときに用いられる言葉のひとつとなっているのだ。 でもある時期まで、これはまったく逆だったと思う。「非政治的なもの」のもつ「政治性」は、いわゆる「政治」が、現実に存在する対立を覆い隠す役割を果たしてしまっているときに、あえてそれに背を向けてディテールに固執することによって抑圧された構造を暴き出す、といった身ぶりを肯定的に語るときに見出されるものだったのである。 このような転換がなぜ必要だったかを知っているか、というか、そもそもそのような転換が存在したということを

    壁の卵、卵の壁。
    sarutora
    sarutora 2009/03/23
  • エクスタシーのない占拠なんて。。。ルーだいの友へ - ニートのあした

    ↓すばらしい。 http://kuwata-masumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-ea9b.html 野球って、明治維新すら、まだ、みたいな世界でそ? そこで↑はすごい。しかも、「友へ」。革命が成功したら野球を廃止するつもりだったけど、桑田を野球将軍にするためだけにでも革命を成功させるべき、という気がしてきた。 というわけで、桑田を反復してみます。 ルーだいの友へ。 2年ほど前に、mixiで↓を書いたよ。 大学非常勤講師と72人の処女 「大学非常勤講師の実態と声 2007」 http://www.hijokin.org/en2007/6.html#6 [前略] 自分が恵まれていないと感じるかどうかっていうのは、能的なものではない。なんらかの基準みたいなものがあるはずだ。 で、全部が全部というわけじゃないが、↑のアンケートに答えた人たちは「専

    エクスタシーのない占拠なんて。。。ルーだいの友へ - ニートのあした