日々, 読書 休日。晴れ。朝から聖書を読む。聖書224日目。サムエル記上を読み終わった。王サウルが(戦争で)死んだ。なんか、しっちゃかめっちゃかな人だったな。いよいよダビデが王になるときが近づいている。 野家啓一さんの『物語の哲学』をひきつづき読んでいる。野家さんが(大森荘蔵を引き受けつつ)唱えるところの「過去の反実在論」によると、「過去」というものは、「物語る」という行為や、より原初的には「想起」という行為によって構成されるものなのであって、つまり「物語り」や「想起」を離れて客観的に実在する「過去」なんてものは端的に無い、ということになる。 のだが、どうもしっくり来ない。その「しっくり来なさ」というのは、野家さんの論理に穴があるから、というのとはまったく違って、むしろ野家さんの論理はひじょうに筋が通っているように僕には見える。「こんなに筋を通されたらしょうがないな」とすら思う。が、その「