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ブックマーク / t-kei.hatenadiary.org (9)

  • 「最悪の事態」 - 諸悪莫作

    正直に言えば、最近良く耳にする「固有の領土」という言葉を、その概念を、僕は理解することができない。 ここで言う「固有」とは何だろう。 そしてその「固有」という言葉がどのようにして「領土」という言葉と結びつくのだろう。 そしてなぜ、この言葉はまるで疑問の余地が無いかのように、自明性を伴って語られるのだろうか。 僕には、まったく理解することができない。 尖閣諸島を巡る状況が現在のような事態になったことで、多くの人が「最悪の事態だけは避けなければ」と言う。 でも、「最悪の事態」って何だろう。 何が「最悪の事態」なのだろう。 僕は「固有の領土」という言葉は理解できなかったけれど、でも、この「最悪の事態」という言葉、それだけは理解することができる。 それは、石原慎太郎があのようなアクションを起こした時に、誰も声をあげなかったことだ。 石原に肯定的な人は言わずもがな、批判的な人たちであっても「石原がま

    「最悪の事態」 - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2012/09/19
    石原が「三国人」「犯罪者予備軍の支那、朝鮮人」と言い放った時、僕たちの社会はそれを許してしまった…彼とその追随者を増長させ、その言葉に力を与えてしまった…「最悪の事態」は、すでに僕たちの目の前にあった
  • 「民族主義」 - 諸悪莫作

    このエントリはid:mojimojiさんの「http://www.mojimoji.org/blog/nationalism2」への応答となります。 僕がmojimojiさんの一連のエントリを読んでいて最も違和感を抱いた点は、「民族主義」という言葉の使われ方だった。それがどのような違和感であったのかを、2つの点から書いていきたい。 まず第1に、この議論の発端となった在日コミュニティを取り巻く非対称性について。 たとえば、この「日」の社会には様々な制度上の不公正や抑圧的な仕組みが存在する。そしてそれらの不公正が論じられるとき、それは、一般的には制度設計や普遍原則上の問題として語られる。ところがこの社会で「朝鮮総連の抑圧」といったものが話題になったとき、それは単に組織の在り様としての問題としてではなく、突然「民族主義」といったカテゴライズが登場し、そのような文脈の中で語られてしまう。 またた

    「民族主義」 - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2009/04/03
    >「日本人」のまわりを取り巻く状況は自明で普遍原則に従うものだとみなされて、彼らの営みのみが「民族主義」だとカテゴライズされる。
  • これは「だからどうした」という程度の与太話です。どうか、無視してください。 - 諸悪莫作

    気がつくと、前回の更新から半年以上が経ってしまった。自分の中にある恥じ入る気持ちを消し去ることができなくて、そしてブログを書く気にもなれなくて、いつの間にか、そんなにも時間が経ってしまっていたのだった。 直接のきっかけは、去年の6月頃にあった西成の「暴動」だった。 そのことについて何かを書かなくては、何かを表明しなくてはと焦って --- そしてその過程で、自分の中の恥じ入る気持ちに気がついて、僕は文章を書くことができなくなってしまっていた。 僕は恥ずかしかった。自分のブログで何かを吐きだして、そのことで多少は異議申し立てができたと満足してしまうことが恥ずかしかった。ブログを書いたその直後に、おいしく飯をべ、そしてふとんの中で快適にねむる、そんな自分を想像して心の底から恥ずかしかった。それは、なんてお気軽なのだろうか。ブログでどんなに威勢のよいことを吐きだそうとも、状況自体はなにもかわらず

    これは「だからどうした」という程度の与太話です。どうか、無視してください。 - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2009/02/13
  • 前トリアージ的選別とその延長線上に - 諸悪莫作

    今更感が強く漂うけど、「はてな」からはじまった議論について。 僕はid:toledさんが書いたエントリ「あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞 - (元)登校拒否系」で提示されている問題意識に深く賛同するんだけれど、このエントリのコメント欄やブクマコメント*1、そしてトラックバックされてきたエントリなどを見ていると、なんだか良くわからない批判が殺到している。 でもid:toledさんが言っていることは、それほど難しいことじゃあない*2。たとえば、多くの人にとってわかりやすいであろう卑近な事例をあげてみるとすれば、以下のような後期高齢者医療制度に関する読売新聞社説がある。 新制度は、あいまいなまま融通しあってきた高齢者医療費の会計を独立させ、都道府県単位の組織に運営責任を持たせた。従来の市町村単位より広域化したことで、保険財政は安定する。所得の多い高齢者には

    前トリアージ的選別とその延長線上に - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2008/05/26
    >平時においてもすでに、極限状況下での選別は先取りされているのだ
  • コヤニスカッティ――平衡を失った世界 - 諸悪莫作

    “コヤニスカッティ”とはホピ族の言葉で“平衡を失った世界”を意味する。 映画 コヤニスカッティ - allcinema 「自然な感情/感情の自然状態 - good2nd」経由で、「http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080117」を知る。これは、id:kojitakenさんの 私なんか、あのテロが起きた時、アメリカはテロを起こされても仕方のない国だ、と思いました。辺見庸が、あの映像を見て快哉を叫んだ、と書いてますけど、それがリベラル・左派系の多くの人の感覚だったと思います。 というコメントや、 テロはあってはならないことですが、アメリカはテロを受けても仕方のない国、これは、この2001年の末に旧友と会った時、彼が口にした言葉です。私も相槌を打ちました。 といったコメントが「不謹慎だ」と批判を呼び、さらに、good2ndさんがこれらのkojitakenさんのコ

    コヤニスカッティ――平衡を失った世界 - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2008/01/25
    >現実を置き去りにして、「"やられても仕方がない"という発想は不謹慎だ」だとか、「誤謬や偏狭や怨嗟を認識し、感情の"自然状態"を克服すべき」だとかおしゃべりをしている。まるでマリー・アントワネットのよう
  • 語る、ということの布置 - 諸悪莫作

    しばしば、このようなことが言われる。 「表明された言説の正当性は、その当事者の置かれた状況や動機、党派性などから切り離し、その内容の是非で判断しなればならない」 確かにこのような姿勢は正しいように思えるし、ある側面では実際、そうなのだろう。しかしまた同時に、このようにも思える。おそらく、このような姿勢だけでは十全ではないだろうし、取りこぼしてしまうものもあるのではないだろうか、と。 言説の正当性を判断するということについて、私たちは良く、その言説の合理性、論理的な整合性を評価しなければならない、論者にいかなる動機や背景があろうとも、ただそのことだけで言説の正当性が措定されるわけではないのだ、といったように語る。 そしてそのように語られるとき、私たちを取り巻く様々な力学 --- たとえば政治的な党派性、対象への感情移入など --- は、そのような合理的な判断からは切り離すべきもの、ないしは、

    語る、ということの布置 - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2007/03/10
    >論理的でない表明とは、果たして、何も語っていないものなのだろうか?
  • ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作

    教育法の改正について、様々な批判がなされている。それらの批判の多くは、やや乱暴に言ってしまえば、「愛国心や伝統といった恣意的な価値観を教育の主眼とすることは、民主制度の社会が多様な価値観によって担保されている事実から考えるならば、首肯することはできない」という、ごくごく当り前の前提に立っている。 ところで現在、成立が間近、もしくは今後審議入りする可能性があり、且つ、社会に対して重大な影響を与える可能性の高い法案は、教育法の改正だけにとどまらない。そして、それらの法案は、たとえば障害者自立支援法に代表されるように、それらを不正であると感じる人々が声の限りに抗議をおこなったとしても、そのような抗議は無いかのように(今国会では成立しなかったとしても、いずれは)成立する、現況はそのような流れにあると言ってもおそらく間違いではない*1。そしてそのような状況にある以上、なぜ、そういった抗議が(

    ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2006/04/19
    「分離が結びつきのあり方となっている」集列的社会について。それはともかく>やれないのは自分の能力がないせいだと思っちゃう<これのどこがオレ様化なんだ?!と小一時間誰かさんたちを問い詰めたい。
  • 大峰山と風刺画と - 諸悪莫作

    以前、大峰山への入山運動について触れたことがある。その中で僕は、信仰や伝統は不変のものではなく、常に捉え直されるべき対象なのであり、それ自体においてただちに首肯されるべきものではない、といった主旨の内容を述べた*1。ところで、この大峰山の問題と、僕も最近取り上げていたムハンマドの風刺画問題*2について、id:nucさんが次のようなエントリを書いている。 この二つは、宗教上の禁忌が、多文化共存する現在の法で許された事項に触れたところが共通なのだろう。風刺画の揶揄していたムハンマドは田中眞紀子の長女のようなプライバシーの保護すべき相手ではなく、言論統制をもっともかけてはいけない相手だ。 しかし、「俺の場所だからこっちへ来るな」という不当な要求をされたことはあっても、「これは俺の絵(キャラクター)だから描くな」というようなことを言われたことがない。メディアが国家権力への砦であるというのは頭では分

    大峰山と風刺画と - 諸悪莫作
    sarutora
    sarutora 2006/03/05
  • 風刺画の欺瞞 - 諸悪莫作

    あと1ヶ月ほどで、イラク戦争開始から3年が経とうとしている。 当時、アフガンにしろイラクにしろ、その「戦争」と呼ばれる事象の、あまりに非対称な状況が話題に登ったことを思い出す。それから3年が経とうとした今、しかし、その非対称性は改善されるどころか、まるで噴火へと至る直前の火山が、地殻の奥底で活発な活動を示すかのように、その矛盾をより一層顕在化させつつあるように思える。そしてそのような状況は、たとえば、昨今話題になっている「ムハンマドの風刺画問題」にも見出すことが出来る。その出来事についての多くの人々の反応について言えば、まるで対岸の火事でも見るかのような、そんな風情だと言えるだろう。それに対して、僕はこう思う。「対岸の火事」と見なすその態度こそ、この非対称性の証ではないのだろうか、と。 この風刺画の問題は、言葉狩りの問題に似ている(と言うより、構造としては同じだろう。そしてその意味において

    風刺画の欺瞞 - 諸悪莫作
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