本能寺の変のあと、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が、織田信長を弔う寺を建てるために大量の資金を調達していたことを示す古文書が、東京大学史料編纂所の調査で新たに確認されました。研究者は「秀吉が大量の資金を集め、信長亡きあとの権力争いを有利に進めようとしていたことがうかがえる貴重な史料だ」と指摘しています。 古文書は松山市が40年余り前に購入して保管していたもので、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授の調査で秀吉の資金調達やその使いみちについて書かれたものだと確認されました。 文書は本能寺の変の3か月後に記されたとみられ、秀吉が、提供を受けた銀1000枚について、信長を弔う菩提寺の建立に使うことを伝えています。 村井准教授によりますと、相手は有力な商人と推測され、銀1000枚は現在の金額にして数億円にあたるということです。これまで秀吉が信長の菩提寺の建立の資金などをどのように捻出したのかはよく分かって