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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (4)

  • 「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠

    「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」 通勤途中、ガソリンスタンドなどで朝礼をやっているのを見かけるたび、私はこの言葉を思い出す。滑舌の良い声で社訓らしきものを読み上げる二十代の社員達。営業時間にはキビキビと動き、表情も明るく、「ありがとうございましたー!」という声も淀みない。 就活スーツを着た大学生達も「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」を思い出させる。皆、同じような恰好をして、茶髪で就活する者など滅多にいない。20世紀の終わり頃、就職氷河期が叫ばれていた頃の大学生達は、あんなに均一な恰好だったろうか? 金髪、茶髪、(男性の)長髪、いろいろあったではなかったか? 今では「そういう格好では就活では通用しない」と周知されている、ということなんだろうか? よく、「日社会は価値観が多様化した」と言われる。私生活や家族構成は多様化したし、好きな漫画や視聴している番組といった

    「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠
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    seats 2016/04/11
    「シャカイジン」というペルソナを発動できない者は容赦なくふるい落とされ食われる、女神異聞録的な21世紀の日本社会。
  • 「ちょっとした代償」の蓄積 - シロクマの屑籠

    社会の進歩には、表裏一体な代償や副作用がかならず伴う。 農耕社会が始まった時、虫歯をはじめとする健康上の問題が現れたのも、産業革命が起こって都市周辺で公害が進行したのも、大きな進歩に対するちょっとした代償だった。 私はときどき現代社会の変化のスピードについていけないと感じるが、これとて進歩に対する「ちょっとした代償」に過ぎず、歴史的には似たような感覚がたくさんあったのだろう。 しかしだからこそ、そうした大きな進歩に伴う「ちょっとした代償」が蓄積したらどうなるのかについて、折に触れて考えてみたくなる。 技術と文明 (1972年) 作者: ルイス・マンフォード,生田勉出版社/メーカー: 美術出版社発売日: 1972/09/15メディア: ?この商品を含むブログを見る ルイス・マンフォードが『技術と文明』でまとめたように、人間は、技術や文明の発達とともに新しい豊かさと可能性を開拓していった。と同

    「ちょっとした代償」の蓄積 - シロクマの屑籠
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    seats 2016/02/24
    BGM:「もうがまんできない」(じゃがたら)
  • はてなブックマークは安全な観客席じゃない。“戦場”なんですよ? - シロクマの屑籠

    先日、何気なくはてなブックマークを眺めていたら以下のようなコメントを発見しました。 id:hi_kmd こういうの見ていると体験型演劇の観客になっているかのような感じがする。すぐ隣でブコメ書いていた人が次のシーンのスポットを浴びていたりするような……。 はじめまして。シロクマと申します。 あなたのはてなブックマークコメントにピン!と来たので言及します。 「体験型演劇の観客」とhi_kmdさんは仰いました。そのとおりですね。はてなダイアリーやはてなブログを中心として周囲をtwitterはてなブックマークで取り囲んだインターネット桟敷には、当に安全な観客席は存在しません。 ほら、こうやって私はブックマーカーたるあなたのご見解をブログに引っ張り込んできているわけですよ。 たぶんあなたは、この何気ないブックマークコメントがブログで言及されるとは思っていなかったのではないでしょうか。誰かからの言

    はてなブックマークは安全な観客席じゃない。“戦場”なんですよ? - シロクマの屑籠
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    seats 2015/10/28
    "鳩のような面構えをしていてもそれなりしたたか" 「そのような意味で申し上げたのではない」「トラストミー」こうですか…いやこれは炎上心中芸だった
  • ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150901/k10010212001000.html 佐野研二郎さんがデザインしたオリンピックのエンブレムが、使用中止になった。デザインにどういった問題があったのかは、私は素人なのでよく知らないし興味もない。ただ、件がネット上で巨大炎上を遂げ、延焼に延焼を重ねてエンブレムの使用中止にまで追い詰められた事態は気になった。 「叩けば埃が舞い上がる」「次から次へと燃料がくべられる」――件は“ネット炎上芸”としては満点をつけたい連鎖反応を呈していた。そういった連鎖反応に際しては、新国立競技場の揉め事以上に“ネット世論”のほの暗いパワーが炸裂していたと思う。 デザイン業界の連中が迂闊なのが、今回の件ではネトウヨが大いに関与している点を甘く見てるところだ。暇な匿名ネトウヨの一致団結・糞義憤っぷりを相手にしたら、背負うものがある実

    ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠
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    seats 2015/09/03
    大衆による人民裁判が怖いのは、システムで決まった制裁と違って罰が定量的でないこと。慣性のついた情動は止まれない。ネットイナゴとマスコミの無限マッチポンプでそれが極限まで加速してる。
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