写真家・文筆家・画家の藤原新也という人が、松本零士x槇原敬之の盗作論争について論じているのだが、この内容が凄い。 どこかのコマーシャルカメラマンが使ってパテントのようにしている「月光浴」という言葉は私が70年代に出した写真集の中で編んだ言葉と同じ。 この言葉の出所はアフリカだった。サハラ砂漠を旅しているとき、青の民族と呼ばれるイスラム教徒が満月の夜に一列に並んで地面に座り、満月に青装束の体をさらしているのを目撃した。 あっ「月光浴」だ! と思った。 世界のどこにもない言葉が生まれる瞬間である。 地の果てまで自分の足で歩き、現場に立ち会い、独自な体験をしたとき、広辞苑にはない独自の言葉は生まれる。世界は広辞苑では捕捉できないのだ。 そして3000年の日本の歴史の中でも生まれなかった言葉がわずかな期間の中でふたつも生まれるはずがない。ワシが小学校低学年の頃だったかなぁ。いや幼稚園だったかな?