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2009年6月17日のブックマーク (2件)

  • 偏見を治す第一歩として

    どうも、偏見でモノを見る癖が抜けない。 大阪出身者が、何か事件起こしたら、「やっぱ大阪のやつってこれだから」って反射的に思ってしまう、そういう癖がついてる。 いかんと思った。 でも最初から「人それぞれなんだ」と思おうとしてもなかなかうまく処理できないので、 便宜的に、偏見を治す1歩として、とりあえず、これは「いい〇〇」「悪い〇〇」だ、と分けることにした。 たとえばいかにもDQNなオッサンが大声で騒いでいるのを見ると(もうそれだけで外に出たくなったりするという弱さぶりなのだが)、そういうときは「これは悪いおっさんだ。」と思うことにする。 そうすることでオッサン全てを「ち、これだから団塊世代は」と思わぬようにする。 騒いでる大阪人を見たら「ち、これだから大阪の奴は……」と思わず「あれは、悪い大阪の人だ。」と思う。 優しい大阪人にあったら「これはたまたま特別いい人だっただけ」とか思うんじゃなく、

    偏見を治す第一歩として
    semis
    semis 2009/06/17
    増田えらい子 / カテゴライズの根付き
  • 2009-06-10

    [1]理性と感情の対比 ▼▼理性と感情に対比構造を見てしまうことは多い。見てしまいがちだし、語ってしまいがちだ。何故だろう、と考えていた。▼▼強い「感情」の動きに「視野」を狭める効果があるから、ってことなのでは……? って最近は少し考えている。視野が狭まると前提の幅も推測の幅も狭くなって、短絡的短期的な判断を下して結論を出すような機会も増えてしまうため、結果的に判断が「手抜きっぽく」なってしまう、なんて状況が「理性」に反しているように見えちゃう、のであろう。あたりかなー、って考えている次第である。 [2]理性と視野、感情と視野 ▼▼理性と広い視野は相性がいいのだろう。▼▼むしろ広い視野こそが――あるいは、視野の拡大機能こそが、理性なのである、なんて言うと、誇張になるかなー。なりそうだ。 [3]逆存在把握の難しさ ▼▼別整理も狙おう。▼▼狭い視野を呼び寄せてしまう感情、と、広い視野を良しとす

    2009-06-10
    semis
    semis 2009/06/17
    感情を優先するとき優先している自覚がない(ことが多い)、というのを思いました