友達と炎上したブログを材料にして、平等についてmixiで話した。ブログの最後のほうにある、本人のコメントにいかのようなものがある。 果たして本当に「公平」なのか。それだけは今でも疑問です。いつも考えるのは、オリンピックの競技でさえスポンサーがつく選手とそうでない選手がいます。そして、スポンサーがついた選手は科学的に考案された装備で競技にに望みます。しかし、お金の無い国の選手は普通の靴や水着他で望みます。これは本当に「公平」なのでしょうか。どうしてみんな裸足でやらないの?と思っています。 テクノロジーやコネクションを駆使して得た記録が後世に残ってもいいものなのでしょうか。 正直、この内容自体は、ばかばかしいもので、まともに取り合うに足りないと思うんですが、これほど、平等が大切と過度に考える傾向については、関心があります。僕は、以前にも言ったように、過度な平等主義には問題があると、思っています