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  • 【追悼】「清志郎が教えてくれた」もの…音楽評論家・田家(たけ)秀樹 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    2つのエピソードを思いだしている。 1つは歌い方についてのものだ。 忌野清志郎は、歌うときにマイクを左手に持っていた。その理由は、心酔していた黒人ソウルシンガー、オーティス・レディングがそうやっていたからだと言った。 もちろん物を見てそうしたのではない。雑誌に載っていた数少ない写真の真似(まね)だった。 ただ、後になって確かめたときには、普通の人のように右手でマイクを持っていた。彼が見た写真が、編集者のミスで反転されて印刷されたものだった、というのである。 彼はその話をしながら「オーティスの写真なんて当時、どこにも載っていなかったんだよ」と苦笑いした。 もう1つは、1972(昭和47)年に出たRCサクセションのデビューアルバム「初期のRCサクセション」にまつわるものだ。 記念すべきアルバムにはバンドのメンバー以外にもミュージシャンが加わっている。彼は、「出来上がって初めて知った」と言った

  • 陽水 忌野清志郎さんに“涙のレクイエム”(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

    陽水 忌野清志郎さんに“涙のレクイエム” 井上陽水(60)が8日、府中市の府中の森芸術劇場で行われた全国ツアー東京公演で、2日に他界したロック歌手忌野清志郎さん(享年58)について触れ「無口でシャイで。若かった。残念です」と早すぎる死を悼んだ。2人は40年前の無名時代からの友人。共作した名曲「帰れない二人」を歌い、最後は感極まって声が出なかった。9日には清志郎さんの告別式が東京・青山葬儀所で営まれる。 「帰れない二人」を歌ったのは7曲目。40年前のデビュー当時、渋谷のライブ喫茶「青い森」で多くの歌手と出会った中「RCサクセションがいました。一番印象に残ってます。亡くなった忌野清志郎がいたバンドです」と紹介して歌った。 2人の共同名義による作詞作曲。陽水は69年、清志郎さんは70年のデビュー。ライブハウスで互いの前座を務め、売れっ子だったバンド「モップス」の前座で歌うため一緒に夜汽車

  • 忌野清志郎さん告別式、一般弔問を大幅延長 - 芸能 - SANSPO.COM

  • 井上陽水「本当に残念」…清志郎さんへの思いステージで初めて語る:芸能:スポーツ報知

    井上陽水「当に残念」…清志郎さんへの思いステージで初めて語る シンガー・ソングライターの井上陽水(60)が8日、東京・府中の森芸術劇場で全国ツアーの東京公演を行い、2日に亡くなった盟友の忌野清志郎さん(享年58歳)への思いをステージ上で初めて語った。「当に残念です」と無念そうに話した陽水は2人で作った「帰れない二人」を声を詰まらせながら熱唱した。忌野さんの告別式は9日に東京・青山葬儀所で行われる。 こらえていたものが込み上げてきた。2人で作った思い出の「帰れない二人」。陽水は曲の後半に差しかかると、声が上ずり、一瞬歌が止まった。唇をギュッとかみ締め、天国の盟友へ思いをはせた。早過ぎた死に「亡くなったのは当に残念です。58歳ですからね」と悔しさをにじませた。 73年のシングル「心もよう」のB面曲として収録した同曲は、「40年近く前に清志郎君がうちに来て、僕がカレーライスをべさせて作っ

  • 清志郎さんのNHK特番が10日に放映/芸能社会速報/デイリースポーツonline

    清志郎さんのNHK特番が10日に放映  今月2日にがん性リンパ管症のため58歳で亡くなったロック歌手・忌野清志郎さんの追悼番組がNHKで放送されることが8日、発表された。「愛しあってるかい?~キング・オブ・ロック 忌野清志郎~」(総合10日、後11・30)では同局で過去に放送したライブ映像を中心に、清志郎さんの人生を振り返る。また「SONGS 忌野清志郎ライブ 完全版」(総合、11日、深夜0・45)では08年2月の同番組ではオンエアされなかったアンコールの模様が初披露される。

  • 芸能:ZAKZAK

  • ヨーコ・オノ、忌野清志郎へ追悼メッセージ | BARKS

    ヨーコ・オノが<Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ>公式Twitterサイトに、5月2日にがん性リンパ管症のため58歳という若さで亡くなったロック歌手・忌野清志郎への追悼メッセージを掲載した。 忌野清志郎は、世界の恵まれない子どもたちに学校を贈ろうというヨーコの呼びかけに応えて、2005年の<ジョン・レノン スーパー・ライヴ>に出演。その翌年に喉頭がんで入院し、病気のことを知ったヨーコが、療養中の清志郎に「早くよくなって、一緒に歌いましょう」という励ましの手紙を送っていた。 ヨーコから熱いエールをもらい、復帰後初のステージは<ジョン・レノン スーパー・ライヴ>と決めていた清志郎は、2007年12月8日に開催された同ライヴに復帰出演。療養中に届いた手紙のエピソードをステージ上で熱く語り、ラストに登場したヨーコと抱き合って再会を喜んだ。フィナーレでは、2人並んでジョン・レ

    ヨーコ・オノ、忌野清志郎へ追悼メッセージ | BARKS
  • http://blog.itumo.cc/?eid=1151113

  • 泉谷しげるからのメッセージ【115】

    オレとしては忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れないから! 彼はオレの青春そのものだったし、年下なのに師として仰いで来たし、これからもだよ。 忌野さんには一生勝てないし勝つ気もない。 若い頃から希有な天才性を発揮してた彼を見ながら随分まねさせてもらったよ。 まだ恩返しもしてないのに彼が勝手に逝くはずもない。 だから冥福を祈らないし、告別もしない。 オレだけは絶対に忌野清志郎の死は、認めないから。 1971年の今ごろだったな。 渋谷にあった音楽喫茶「青い森」で初めてRCサクセションを見た時の衝撃は忘れようがない! 初期のRCサクセションはリードギターに破廉ケンチ、ベースにりんこワッショイ、そしてボーカルとギターが忌野清志郎だった。 アコースティックギター2とウッドベース編成なのにソノ迫力たるや! RC独自のサウンドと一緒に世界中探しても此処にしかない忌野清志郎のボーカルが飛び出してきたとき

  • 遺作「Oh!RADIO」 記念盤でCD化か(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

  • 葬儀で流された 清志郎さんの魂の楽曲(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

    葬儀で流された 清志郎さんの魂の楽曲 葬儀で流された清志郎さんの楽曲は次の通り。 (葬儀前)宝くじは買わない/ぼくの好きな先生/スローバラード/ステップ!/上を向いて歩こう/い・け・な・いルージュマジック/トランジスタ・ラジオ/SUMMER TOUR (葬儀)ロックン・ロール・ショー/Sweet Soul Music/君が僕を知ってる/多摩蘭坂/Oh!Baby/口笛/ラプソディー/空がまた暗くなる/ラッキー・ボーイ/世の中の人に自慢したいよ/Oh!RADIO/いい事ばかりはありゃしない/自由/すべてはALRIGHT(YA BABY)/Oh!RADIO/雨上がりの夜空に(2回繰り返し)/Oh!RADIO

  • 清志郎さん ド派手“ロック葬”でお別れ また会おうぜ!:芸能:スポーツ報知

  • ロックライブ葬で清志郎さん送る 密葬に約110人が参列 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    故・忌野清志郎さんの密葬、告別式に参列して涙で出棺を見送る女優の大竹しのぶさん(中央)=目黒区羅漢会館(撮影・千村安雄) 2日にがん性リンパ管症で亡くなった歌手、忌野清志郎さん(享年58)の葬儀・告別式が4日、東京・下目黒の羅漢会館で密葬として営まれた。前夜のしめやかな通夜から一転、RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」など15曲が流れる中、司会者が「愛し合ってるかい!」「もう一発いくか!」と絶叫する“ロックライブ葬”となった。 密葬は冒頭から異例の展開だった。司会に起用されたのは、レコード会社で長年、清志郎さんの宣伝を担当し、現在もフリーとして清志郎さんのライブやイベントなどで“絶叫調”の司会をしてきた高橋康浩さん(46)。「盛大なる拍手と喝采(かっさい)をお願いします。フォーエバー! いまわのきよしろー!!」と叫び、「今日はボスのためにライブのような告別式を行います」と宣言した。 

  • 清志郎さんの名曲流してロックンロール葬 - 芸能ニュース : nikkansports.com

    2日にがん性リンパ管症で亡くなったロック歌手忌野清志郎さん(享年58)の告別式が4日、都内で密葬として営まれた。清志郎さんの名曲ばかりを流し、司会者が実況。ロックンロールSHOWならぬ、ロックンロール葬として行われた。最後は「雨あがりの夜空に」を約110人の参列者が合唱。RCサクセションの盟友ギタリスト仲井戸“CHABO”麗市(58)が、棺(ひつぎ)の前でキヨシローばりにはね跳んで叫び、盛大に送り出した。 「ブッ飛んでるか~い?」。涙に暮れる参列者らに、清志郎さんの名ゼリフが聞こえた気がした。司会者が「故人でなく、ボスと呼ばせていただく。葬式ではなくライブ! ゴキゲンだぜ、ベイベー!」と切り出し「ロックン・ロール・ショー」という曲で、葬儀は始まった。献花が始まり仲井戸、竹中直人、大竹しのぶ、細野晴臣、トータス松らが泣き崩れた。 出棺前、参列者が遠巻きに囲む棺の上に、愛用のマントとギターが

    清志郎さんの名曲流してロックンロール葬 - 芸能ニュース : nikkansports.com
  • 愛し合ってるかい - TAKUYAONLINE

    「愛し合ってるかい」といえば、もちろん忌野清志郎の有名な台詞で。あまりにもキャッチーな言葉だから、キヨシローのライブを見たことない人は、もしかすると脳天気な煽り文句みたいに思ってるかもしれない。でもちょっと違うんだ。違うよね。キヨシローを好きな人ならステージで繰り返されてきたこんな光景を知ってるはず。 ライブがその日一番の濃厚な瞬間を迎えるとき、甘いオルガンの音がバックに流れる中、キヨシローは「みんなに聞きたいことがあるんだ」って静かに話し始める。 「21世紀になったのに、今も世界では戦争や紛争が続いている。ミサイルが飛んでテロが起きて、飢えた子供達が死んでいってる」 「どうしていつまでも世界は平和にならないんだろう」 「だから今日、こんなゴキゲンな夜に、ここに集まってくれたみんなに聞きたいことがあるんだ。OK? みんなに聞きたいことがあるんだ」 「愛し合ってるかい?」 「愛し合ってるかい

    愛し合ってるかい - TAKUYAONLINE
  • 清志郎さん“ロックライブ葬” 約110人参列 (1/2ページ) - 芸能 - SANSPO.COM

  • 清志郎さんに「雨上がり…」の合唱で別れ - 芸能ニュース : nikkansports.com

    2日にがん性リンパ管症で死去したロック歌手忌野清志郎さん(享年58)の密葬が4日、都内で行われた。ライブのような“ロック葬”にしたいという関係者の意向で、司会者は故人の名前を何度も絶叫。数々の名曲を会場外まで聞こえる大音響で流し、約110人の参列者が「雨上がりの夜空に」を合唱した。RCサクセションを組んだ仲井戸麗市や新井田耕三、女優大竹しのぶ、俳優竹中直人、ミュージシャン細野晴臣も出席した。出棺の際には参列者から「清志郎!」という掛け声が続き、拍手が約5分間も鳴りやまなかった。竹中は「寂しくなっちゃうな。思い出がたくさんありすぎて。清志郎さんの言葉がたくさんよみがえってきた。体が震えてしまった」と話した。 [2009年5月4日17時34分]ソーシャルブックマーク

    清志郎さんに「雨上がり…」の合唱で別れ - 芸能ニュース : nikkansports.com
  • 追悼:「この人、この時」ロックシンガー・忌野清志郎さん ロックな神様(05年5月) - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇35周年--音楽が面白くなってきた <デビュー35周年記念のアルバム「GOD」(ユニバーサルミュージック)。同名の新曲はポップなリズムで「あいつの名前はGOD(ジーオーディー)/人間どもを作りあげた/戦争と平和のいたちごっこ/チンケなゲームを続けてる」と歌う> 前のアルバムが「KING」だったから、今度は「GOD」(笑い)。最初からメロディーは大体あった。曲作りには、とっかかりの言葉みたいなものがあるんです。「あいつの名前はGOD(ジーオーディー)」って歌詞が出てきた時、この曲はもう90%完成したなという感じだった。 35年ってあっという間ですね。あっという間。18歳でデビューしましたけど、そのころは、まあ普通に考えて30歳ぐらいになったらもうちょっとロックはできないんじゃない、という感じだった。で、30歳ぐらいになると「まあ40歳ぐらいかな」と。でも「40でロックはないよなぁ」っ

  • 清志郎さん密葬に恩師「ゆっくり休め」 - 芸能ニュース : nikkansports.com

    2日にがん性リンパ管症のため58歳で亡くなったロック歌手忌野清志郎さんの密葬が3日、都内の寺院で営まれた。RCサクセションの盟友、仲井戸麗市(58)、親友の三浦友和(57)、共演した坂龍一(57)井上陽水(60)竹中直人(53)らが悲しみに暮れる中、RCの最初のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルで都立日野高の担任教師、小林晴雄さん(77)が参列した。葬儀、告別式は9日正午から、東京・青山葬儀場で営まれる。喪主は栗原景子(くりはら・けいこ)さん。 この日午後4時4分、都内の自宅から清志郎さんの遺体を運ぶ車が、密葬会場に向けて出発すると、晴天の上空に虹が2アーチを架けた。雨上がりの空でもないのに…。気象庁に問い合わせても「極めて珍しい」という現象は、カラフルなメークと衣装で観客を酔わせた「清志郎ルック」の名残のようだった。 ひつぎの清志郎さんは喉頭(こうとう)がんを克服して行った08年

    清志郎さん密葬に恩師「ゆっくり休め」 - 芸能ニュース : nikkansports.com
  • 清志郎さん 眠るように天国へ旅立っていた/芸能・社会/デイリースポーツonline

    清志郎さん 眠るように天国へ旅立っていた 忌野清志郎さんの密葬に参列した竹中直人=東京都内 2日にがん性リンパ管症のため、58歳で亡くなったロック歌手、忌野清志郎さん(名・栗原清志)の通夜が3日、都内の寺院でしめやかに密葬形式で営まれ、親族をはじめ、芸能界からもRCサクセションの盟友、チャボこと仲井戸麗市、坂龍一、井上陽水、竹中直人ら約120人が参列し、早すぎる死を惜しんだ。2日に天国へと旅立った際には、近親者に見守られ、静かに息を引き取ったという。  ◇  ◇ 「愛しあってるかい?」-。そんな声が今にも聞こえそうだった。祭壇の中央には、スーツ姿で満面の笑みを浮かべる清志郎さんの遺影。その周りには、カラフルな花が飾られ、2006年10月にリリースしたアルバム「夢助」が流れる中、無宗教形式で行われた通夜の参列者は、それぞれ花を手向けた。 清志郎さんは、景子夫人ら約10人の近親者に見守