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福祉と発達障害に関するsizukanayoruのブックマーク (31)

  • ギョーカイが社会の要請に応えていない件 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、6年前の記事なのにつねにアクセスとコメントが絶えない 医師も逃げ出す迷惑アスペルガー ですが おかげさまで 「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」のお得なKindle版 がじわりじわりと売れています。 そしてコメント欄を読んでみて気づいたのですが、初めは私、わりとマメにレスしていたのですね。 最近は記事にしてお答えすることが多いですね。 というわけでここらでひとつ記事にしようと思います。 昨日いただいたコメントから。 ===== 発達障害やアスペルガーは「免罪符」にならない (成田あいる) 2018-10-28 23:01:22 連投失礼いたします。 皆様のコメント、そしてこのエントリを改めて読ませていただきましたが、そのような人たちに悩まされ振り回されている方が当に多い、と改めて感じました。 発達障害関連のニュースのヤフコメを見ていても、そのような人に苦労している人達のコメントを多く

    ギョーカイが社会の要請に応えていない件 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 支援と制度、連携と支配、妄想と現実の違い - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    みるさんはギョーカイに反旗を翻したのに、なんか公的支援が更新できたらしい。当たり前である。ギョーカイに反旗を翻した程度のことで行政からの支援が打ち切られるのならその方がスキャンダルである。でもみるさんは何度も繰り返すように半ば無理矢理支援校に送られ、勉強の機会がなかった。日国の成り立ちを系統的に習っていない上に自閉っ子らしくハイパーりちぎだから「私たちは行政と連携している」というギョーカイトークを真に受けたのであろう。そして別に支援校じゃなく普通の高校から大学、ひょっとしたら大学院まで出ていても「ギョーカイに逆らうと色々損をする」と思って黙って唇噛みしめ飼い殺し支援に我慢している人は相当数いると思われる。当は逆らうことこそ生きやすさにつながるのに。今日はその人たちに社会科で得た知識をどう使うかを書こうと思う。「せごどん」を題材に使う。 昨日の「せごどん」を見ていて、「ギョーカイに逆らう

    支援と制度、連携と支配、妄想と現実の違い - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 誰が栗本さんを見つけたか? 沖縄講演ご報告 その3 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    二回の講座は無事終わり、色々トラブル(笑)があった後、宴会の席へ。 これは山城さんのミスで栗さんぶーぶー言ってました。「ほうれんそうが悪い!」。「おまけにブラック企業だしね。15人も個人指導入れるし」とかぶせる私。前日は観光しながら栗さんの悪口で盛り上がったワケですが、今度は山城さんの悪口です。おまけに「なんかさ~この辺の詰めの甘さ?が画伯に似てるよね」「そうそう!」とそこにいない画伯の悪口まで。 まあこれだけ人の悪口言っているのですから、私がギョーカイやら猿烏賊やらその他の皆さんに悪口言われたって因果応報ですな(おまゆう)。そもそも悪口言われるようになったのは、私が「自立支援」という言葉を真面目に解釈したからですよ。何しろ一般人なんでね。福祉医療の論理は知らん。行政のきれい事も知らん。行政がかぶせる用語ってたとえば「優生保護」というポジティブな字が四つ集まってできた法律が実は人工妊娠

    誰が栗本さんを見つけたか? 沖縄講演ご報告 その3 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • ギョーカイは治っている人をなぜ無視するのか? - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    この問題、考え続けていますが 「治ると儲からなくなるから」以外にも、栗さんが言った「治った人を見たときに、事実をそのまま受け取らず根拠を求めすぎる」というのが当たっているなあと思います。治った人はいるんです。でも、「治った」という現実と「一生治らない」とすり込まれていた脳内理論が合わない。だから、目を背けてしまう。あるいは偽者扱いして自分の中で整合性を取ろうとする。要するに、現実より理論優先なんですねギョーカイ人。どう考えたって先に「現実」があるはずなのに。「生得的で一生治らない」と習ったのに、治ってしまう人がいる。その事実の方に理論を合わせるのではなく、自分が習った理論に合わない現実を見てパニック起こしている感じ。 そして373さんがそのあたりをわかりやすく説明してくださっているなあと思います。 コメント貼らせていただきますね。 ===== 恐怖麻痺反射 (373) 2018-03-2

    ギョーカイは治っている人をなぜ無視するのか? - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 制服ビジネスとエビデンスガー - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    アルマーニの制服騒動で改めて知ったんですけど、ユニクロだのしまむらだのが全国津々浦々に展開している今日、制服商売は独占状態でひどいもんみたいですね。別に銀座の小学校に限ったわけではなく。 校章一つついているだけで、考えられないような値段を取っている。公立なのに。成長期の子どもに着せるものなのに。 消費者目線はまったくなく、利権にあぐらをかく人たち。民間人としての営業努力をせず、役所のお墨付きで甘い汁を吸おうとする人たち。 ペアレントなんとかとか強度行動なんとかをなんとか自治体のお墨付きにしたい、と奔走するギョーカイ人は要するに「出入り業者」になりたいんです。校章一個でユニクロやしまむらでは考えられないような値段を取っている地元の制服業者。その人たちとギョーカイを重ねると実にわかりやすいですよ。 なんか放課後デイで強度行動障害の子が来ると加算になるらしく、今は強度行動障害の子の取り合いが始ま

    制服ビジネスとエビデンスガー - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 怪しげな民間資格 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    先日、意識高そうな支援者の人が「療育の知識はあった方がいいから雇用するのに資格取得者はやはり望ましいけど、怪しげな民間資格もあるからなあ」とつぶやいているのを見て思ったことを書きます。 南雲さんの番組に出てきた「となりのおっさん」は特別支援教育なんとかの人たちを売り込んでいました。たしか、このとなりのおっさんは胴元だった。免許皆伝商売さかんにやってるから、きっとその結果お免状を持った特別支援教育なんとかの人たちはたくさん発生して、行き場に困っているのかもしれない。あるいは、どや顔が空回りしているのかもしれない。つまり、自分たちは「研修受けてテスト受かった! 特別支援教育なんとかすごいのよ」って威張っていっても「・・・何?」って思われて終わってるとか。 特別支援教育のスタンダードになろうとしている視覚支援や構造化や犬の曲芸やビジョンなんとかやら、実はオタク的な一部の専門家の間で盛んに研修とか

    怪しげな民間資格 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 福祉と憲法違反 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    みるさんが騙されて支援学校に送られた経緯を書いたブログ 私がFBにリンクしたところ、私と直接つながっていない人たちの間でもどんどんシェアされていきました。 しかも教育関係者が多かった。 それだけ実は「進路指導ひどいな~」と思っている人が現場にも多いのでしょう。 『発達障害、治るが勝ち!』の中にも、私が支援校に行って校長先生に実態をきいた話が出てきますが、そのときは親に騙されて支援校に送られてくる子たちの話だった。 でも中学の先生もやっていたのですね。 でも「これではいけない」と実は思っている個々の人たちが現場で声を上げられない。っていうか上げない。っていうか上げることを選ばない。 それが私、日の生産性を下げてると思います。一人あたりではついにイタリアにまで抜かれたとかいう。 もっとみんな勇気だそうよ。自分の保身ばっかり考えないで。 そして現場の人たちの中に、みるさんに直接コメントを送る人

    福祉と憲法違反 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • エリートコースを歩む - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    昨日のみるさんのブログをご紹介した理由のひとつ。 今はもう変わりつつあるけど(実態がばれて)ちょうどみるさんの年代だと「縮小再生産こそ支援」の気運がありましたね。彼女が支援校に行ったのだってそうです。そして支援校卒だから、つまり高卒の資格がないからいろいろ話が遠くなる。今後知的障害がない・軽い人が進路を選ぶとき、ギョーカイやギョーカイに洗脳された教育現場が安易に支援校を勧めるかもしれない。でもリスクも考えて主体的に選択してよ、という私からの呼びかけです。 みるさんのご両親は私の講演会に来てくださったことがあるのですね。そこで赤と『自閉っ子的心身安定生活!』を買って帰った。そしてこの二冊のがその後みるさんのよりどころとなった。私がそらパパのブログの存在に気づいたのは『自閉っ子的心身安定生活!』の的外れな酷評だったのですが、あのが支えとなって治っていった人もいるということです。 でも一方

    エリートコースを歩む - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 支援があれば支援があれば - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、発狂という言葉はポリコレじゃないんだろうけど一人称に使う分には以下同文で私の発狂ポイントを書きます。 その1を思い出してみましょう。 誰かの主体性が毀損されているとき私は発狂します。 そして先日の大阪の講演で藤家さんの話を聞き 第一次めんどり危機 第二次めんどり危機 に区別できることに気づきました。 第一次めんどり危機は、自閉症支援に特化しているはずの支援組織が、その特化が行き過ぎてしまい、藤家さんの人権無視のレベルまで行ったとき。おそらく人間である前に自閉っ子に見えてしまうのでしょう。その結果部屋探しも一人でさせない。親にも面会を禁じる、というようなまるで罪人扱いにしたときです。 そして第二次めんどり危機は、藤家さんがB型就労で体力もつき働き者としての真価を発揮しだし、それでも支援者が全く仕事をもってこず、藤家さんが自ら職安に乗り込んだ時職安の職員が門前払いしてそれをB型にちくり、

    支援があれば支援があれば - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 意思決定を阻んでいるのは誰か? - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    昨日は朝、こういうメールを受け取ってむかむかしました。 ===== > 私は相談員からも支援者からも「判断能力がないくらい障害が重い」とすでに言われています。 > なので支援者や相談員を通して主体的に生きるのは無理です。判断能力がないということは支援者が代わりに決めてあげなくてはいけないということなので今まで支援者に決めてもらうしかなく、私はただ支援者の言うことに「はい」も従うしかありませんでした。 > 自分から「こうしたい」と話したこともありますが、支援者からは、 > 「でもあなたの障害の程度だと1人暮らしは無理だと思うよ」 > 「あなたの障害の程度だと介助者が1人べったりついているような所でないと仕事は無理だと思うよ」 > と言われています。 ===== 栗さんより立派な書き言葉を書けるこの人のどこが「判断能力がないくらい障害が重い」のか。 また、自分の処遇を決められないくらい重いの

    意思決定を阻んでいるのは誰か? - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 福祉の儲け主義についての一エピソードからの大きな提案 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、読者の方からご連絡があり、 福祉の儲け主義が現れたひどいエピソードだと思ったので許可をいただいて書きます。 「発達障害者は発達する」を現場が知らず 「当事者の主体性を大事にする」という大原則を現場が守らず そしてひっそりと儲けたくてたまらない、なるべく重い障害者がほしくてたまらない福祉クラスタの卑しい根性が、一人の障害のある人の気楽な生活を奪っていこうとしているといういい例です。 その方はかつて精神症状が強く、行動障害があり、知的には境界域でした。 身体アプローチをしたり、神田橋先生のところに行ったり(ここで先生は減薬を指示し、精神症状の多くは「支援を受けることによる三次障害」と見抜かれたそうです) その結果精神症状は消え、行動障害も消え、知的には正常域になりました。二次障害も一次障害も治ったわけです。 そしていずれは就職したい、とか、大検を取って高卒の資格を得たい、とか夢見ながら在

    福祉の儲け主義についての一エピソードからの大きな提案 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 「障害者施策」とは要するに「加算」である。(ギョーカイにとって) - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、選挙前っぽいギョーカイ人のツイートをいくつか解説してみましたよ。 まずはおなじみの吉川センセ。 そうなのです。彼らにとって「障害者施策の拡充」とは「加算」を意味するのです。自分たちの仕事への報酬の加算。そして新たなビジネスへの予算の確保。 これは内輪ツイートなのかもしれない。 同じ業界の仲間に向けて「どこどこ党に投票するのが一番儲かるかも」という。 ただ、障害当事者・保護者の方に「この人たちと自分たちは利害を共有している」という誤学習があると、これがあたかも「自分たちのことを守ってくれる人」に見えてしまうというマジックです。 もちろんこのセンセたちと障害当事者保護者の皆さんは、利害を共有しているかもしれない。でも微妙なズレがあるかもしれない。微妙じゃないかもしれない。医療福祉が潤うことによってトリクルダウン効果があるかもしれないしないかもしれない。 だってさ、この人たちにとっては ・

    「障害者施策」とは要するに「加算」である。(ギョーカイにとって) - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 治ってうれしい - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、NHKの番組での山中教授の「治ってうれしい」発言を受けて、大久保さんがブログを書いていました。 激しく同意です。 それに付け加え、私は、医師なのに「治さない」ことにしがみついている人たちは、一種の変態なんだと思っています。 私は服巻先生がYTのブログを見て、まさにそこで誹謗中傷されている私に「面白い人です。観察してます」とおっしゃったとき、一種の変態だと思いました。常人の感覚では被害を受けている当人にいえる言葉ではない。とうてい面白くは思えない。それでも同意を求めんばかり、というか被害を受けている私が同じように「面白い人ですね~」と悦に入って眺めると決めつけてでもいるようなその言い方に、「ああ、この人(たち)は一種の変態なんだ」と思いました。自分に害なすものに痛めつけられてひいひい喜んでいる変態ですよ。 私は変態じゃないから、自分に被害を与えてくるものは嫌いなんです。 その方が健全な

    治ってうれしい - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • なぜ「早期診断早期介入」はこの国で失敗したのか? - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    いや、「失敗したのかどうか」私は肌感覚でしか知りませんよ。肌感覚では、明らかに失敗ですよね。「浅見、それは違うよ!」というのなら、「そうですか、ならば検証はなされているのでしょうか?」とおききしたいですね。 ギョーカイが入知恵し行政が音頭を取って始めた「早期診断早期介入」だったのだから、「効果があったかどうか」をきちんと検証している人がいてもおかしくないと思うんですけど。 たとえば吉川センセはこんなリンクを拾ってきています。ギョーカイを代表して、「早期診断早期介入」を擁護するつもりなんでしょう。 でもさ、吉川センセはオーストラリアのお医者じゃなく日の、愛知県のお医者さんなんで、それほど早期診断早期介入を擁護したいのなら、オーストラリアじゃなくて愛知県と言わないまでもせめて日の検証を引っ張ってきたらどうでしょ。あるのなら。そして指摘しておきますけど、日で検証しろとかいうと「二次障害が起

    なぜ「早期診断早期介入」はこの国で失敗したのか? - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 技術移転(神田橋先生の『発達障害、治るが勝ち!』評) その5・完 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、2010年に神田橋先生に髪の毛がもじゃもじゃになるいんちき体操を習って以来、私は何度となく神田橋先生に別の種類のいんちき体操を習いました。 やってる人は真剣でも、周りから見ると「ぷっ」と吹き出してしまいそうなものもありました。 でもその都度、ぶり返すギョーカイトラウマをなだめるのには役立ちました。 先生は教えてくださるたびに「みんなに教えてあげなさいよ」とおっしゃいました。 「いいんですか?」と私はききました。でも今ならわかります。神田橋先生はけち臭い方ではなく「技術移転」を目的としていらっしゃったのだから気で「教えてあげなさいよ」と言っていたのだと。 その他、鹿児島に出かけた人が新しいことを習ってきて「浅見さんに教えておいてあげてって言われました」と教えてくださることもたびたびありました。私に教えると、広まる、ということを予測して教えあげなさいと言ってくださったようでした。 で

    技術移転(神田橋先生の『発達障害、治るが勝ち!』評) その5・完 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 技術移転(神田橋先生の『発達障害、治るが勝ち!』評) その2 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    さて、そういう感じで「神田橋先生からの自立」を目指して書いた『発達障害、治るが勝ち!』ですが、発売後一週間、臨海学校から帰ってくるとすぐに○○さんからのメールが来て、報われた感じがしました。 こういう人を増やすことこそが、私にとってご褒美だったからです。えらい先生たちに褒めてもらうことではなく。 でも留守中の郵便物の中に、神田橋先生からのハガキがあったのでした。 それを読んで私はうなりました。 先生のコメントはいつも「短くて的を射ている」のが特徴で、それがすごい言語力だなと思うのですが(逆にたらたら長く書いたりしゃべったりして何言ってるか伝わらない専門家に皆さんうんざりされていると思うので私の言っている意味がわかると思います) 今回も短い中に ・先生が何を目指しているか ・花風社のでなぜ治るのか がずばりと書かれていて、それが今後の私の進むべき道を示してもいたからです。 ではお待ちかね。

    技術移転(神田橋先生の『発達障害、治るが勝ち!』評) その2 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • あれは悪口じゃなかったんだね。あのとき治りかけていたんだね。 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    ちゅん平のブログ読んで、数年経ってやっとわかったことがあった。 あれは悪口じゃなかったんだ。 治りかけていたんだあのときすでに。 とわかったのである。 ちゅん平が「それいゆ」(当時)の支援から抜ける前。 私はちゅん平を佐賀市内のアパートに一人で住まわせるところまでは愚かにもそれいゆに同意していた。今なら人が決めることだと思うけど、当時は親御さんのレスパイトも考え(だって当に手がかかる子だったんだもの)一人暮らしするのもいいだろうと思っていた。ところがその先が気にくわなかった。頻繁に実家に帰ってしまうちゅん平に、それいゆが帰宅禁止を命じたときだ。 なんの権利があってそんな命令出すのだろう。 私は何度も書いたが 私が発達障害の世界で目撃して一番悲しかったのは、支援者が支援の名のもとに当事者から主体性を奪うことだった。 その出来事のひとつだった。 今度「治るが勝ち!」」を書く意味もそこにある

    あれは悪口じゃなかったんだね。あのとき治りかけていたんだね。 - 治しやすいところから治す--発達障害への提言
  • 絶妙なマリアージュ - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    発達障害、治るが勝ち!」には「絶妙なマリアージュ」という言葉が何回か出てきます。まず出てくるのは(いまのところ)特別支援教育の場面です。引用しておきます。没になるかもしれませんから今のうちに。 ===== 始まりたての特別支援教育では、人材を育てなければならなかった。そして勢い、その役目はギョーカイが担うことになる。そしてギョーカイの説く「頑張らせてはいけない」と現場の教師がしばしば持っていることなかれ主義の小役人的メンタリティはあまりにも相性が良すぎた。大義に目を向けず、自分の保身を優先させる小役人メンタリティ。小役人たちはギョーカイの説く「頑張らなくていいんだよ」を乾いたスポンジのように吸い込んで自分たちのことなかれ主義を是とした。こうしたギョーカイ×小役人の絶妙なマリアージュの結果、発達障害児の未来を消化試合とみなす風潮が出来上がったのである。 ===== このあと出てくるのは ギ

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  • 五月場所初日・観戦記(その2 あんまりお相撲の話ではないです) - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    お弁当が済むと、お友だち親子は館内を見に行きました。桝席で二人になった私たちは、仕事の話をしました。「脳みそラクラクセラピー」のころから、愛甲さんは愛着障害を治すことが肝心なことを強調していました。そのとき私は「ふむふむ」と聞いていました。長沼先生も死んだふり祭り(自閉症協会全国大会ともいう)で愛着方面のPTSDに触れ、猿烏賊的保護者がってかかり、ギョーカイメジャーがおおよしよしをするという気持ち悪い場面も見たことがありました。どうやら親子の愛着って大事みたいなんだけどそれを言われることをギョーカイは嫌うこと、愛着関係が成り立ちにくい親子というものがいること、そしてたとえ愛情たっぷりの親に育てられても愛着障害が育つことはなんとなくわかっていました。そして神田橋先生のところにいって「胎児性の愛着障害」を摩訶不思議(ほめてます)な方法で治す人たちがどんどん元気になっていくのを見ていました。

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  • グレーの人は白に - 治しやすいところから治す--発達障害への提言

    私がなぜギョーカイに腹を立て続けているか、大久保さんのブログに見事に書いてありますのでリンクさせていただきますね。 そう。発達障害者支援法ができたとき、支援者たちは「見過ごされていたグレーの人を発見することこそ将来の自立につながる」と謳ってきたはずなんです。 けれども十数年後の今わかったこと。ギョーカイはむしろグレーの子を黒にした。そうやって障害者枠に入れ続け、生涯にわたる賃金等を限定的にした。その代わりギョーカイはいつまでも面倒を見続けることで事業費を確保した。その仕組みに気づいてほしいんですよね。 早稲田大学を出てもその他の早稲田大学の人並に就労がうまくいかないのなら、その学力を活かせるように持っていくのが支援だと思っていた。まさか「二次障害にならないよう」、能力に見合わない軽作業につけて一生低賃金に甘んじさせるのが支援だとは思っていなかったんですね。 大久保さんも書いていますが、ギョ

    グレーの人は白に - 治しやすいところから治す--発達障害への提言