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ドラクエ3
blog.goo.ne.jp/tabby222
さて、自虐と社交辞令の記事にいただいたふうりんさんのコメントから。 http://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/b14bf367d1f544e27f2f3bb7cf356e3c#comment-list ===== 一から信頼を築く力、他の誰でもないただひとりの相手と対峙する力、自分の考えを説明する力などが特に家庭では大事です。それらは空気を読むような社会性では鍛えられません。 ===== 私は最近、花風社が岩永先生に教えていただいたなかで五感+二覚という考え方だけではなく、「行動体力」と「防衛体力」も大きかったなあ、と考えていました。そして社交辞令について考えていて、行動社交辞令と防衛社交辞令があるなあ、と思いました。自虐が社交辞令として機能するのは、一種の魔除けみたいな感じで使うんだろうな、ということに気づきました。これが防衛社交辞令。 行動社交辞令はもっと「ご機
さて、二ヶ月発達障害の本を読まず、復帰は奥田先生の本あたりかなと思っていたのですが ちょうど出た新刊を読み始めました。 「アスペルガー症候群の難題」井出草平著 (光文社新書) です。 まだ「はじめに」と一章しか読んでいません。これは実況しながら読もうかな、と思って。 一章では、アスペルガー症候群の人の犯罪親和性が高いかどうか つまり、アスペルガーじゃない人と比べて犯罪を犯す確率が高いかどうかを追求しているんですが 「はじめに」と第一章で、私がたびたび指摘しているあのことに著者も言及しています。 「専門家たちの変化」です。 引用しましょう。 ===== ただ、専門家と呼ばれる人たちは、両者(浅見注:犯罪と障害)の関連には否定的だった。世間の注目を浴びた事件の加害者がたまたまアスペルガー症候群だったと主張したのである。アスペルガー症候群の入門書の中には、犯罪との関連性に言及しているものおあるが
さて、九州場所が終わり 「自閉症者の迷惑行為に被害を受けた」方々とのアポイントをどんどん入れています。 「自閉症者は社会の迷惑」(仮題)という新刊を作るためです。 というのはウソで、 自閉症の人の保護者や当事者に自助の集まりが必要なように 被害者にも集うことが必要なんじゃないかな お互いの話を聞くことが必要なんじゃないかな、と思うからです。 そしてね ギョーカイの「健常者が合わせるしかない」というアドバイスが 被害者たちを深く、深く傷つけているんです。 セカンドレイプみたいなもんね。 だからこそ 法的手段を執りたいという人には、アドバイスできることもあるかもしれないしね。 ああ、でも私の場合と同じで いざ司法が絡んでみると 司法はギョーカイの言い訳にあきれることもあるみたいだけどね。 私が本に書いたように 司法の論理と福祉の論理はまったく別物のようですよ。 それにしても、アスペルガーの人々
2009年5月19日に告訴状が受理されて以来、しばらく刑事的に何が起きていたのかはよく覚えていない。 もしかしたらあまり起きていなかったのかもしれない。 その間にも民事はあっさりと勝訴していた。 相手は困窮を訴えていたし、損害賠償の取立てはとくにしなかった。 刑事事件の動きを見ていたのだ。 私の興味は、こういうことに無力な発達支援の世界が 無力なままでいいのかという問題に移っていった。 触法少年に発達障害の診断がつくと、情報統制に走る。 それでいて目の前の触法行為には知らんぷり。 これでは支援団体ではない。圧力団体だ。 とはいっても 協力してくださった先生たちもいた。 中には協力を申し出ても、主治医に断られたという先生もいた。 要するに健常者の人権には関心がないのだろうなあ。 それで共存は難しいと思うけどね。 自閉症者が権利を横柄に駆使して跋扈するお花畑が理想なのだろうか? 当事者原理主義
信じられない話を聞いた。 中学生の自閉っ子(男の子)が、福祉の会のクリスマスパーティで、長いスピーチにうんざりして 自分の性器を出して遊んでしまったらしい。 まあそこまではともかくとして、なんと その出来事をその子の父親が、下ネタまじりで面白おかしく自分のブログに書いたらしい。 はっきり言おう。 私の感覚だと、これは父親による子どもへの人権侵害。 父親が子どもにする障害者差別である。 「差別」の意味が違う人にはそう思えないかもしれないけれど。 そして何より、私が最初にこの話を聞いて思ったことは 「その子のお母さんが気の毒だ。公の場で子どもがそんなことになっただけで苦しかっただろうに、夫のブログのネタにされるなんて」ということだった。 ちなみにこの父親は、今年私にも、執拗な攻撃を仕掛けてきた。 縁もゆかりもない人なのに、うちがこれからどういう本を出すかも知らないのに 花風社など、まともな専門
去年の秋、藤家さんと講演に出かけたとき 講演終了後、一人の女性が近づいてきました。 アスペルガーという診断を受けているとのこと。 こういう質問を受けました。 「私も藤家さんのように世の中の役に立ちたいです。どうすればできますか?」 私はききました。 「今何か仕事をしていますか?」 「しています。でも契約で、もうすぐ切れるんです」 「じゃあ契約が切れたら、また仕事を探せばいいと思います」 「…」 「そして、見つけたら見つけた自分の仕事を一生懸命やるといいと思います」 「え?」 「本を書いたり講演をしたりだけが世の中の役に立つことじゃありません。自分の与えられた仕事をきちんとやり遂げることが世の中の役に立ちます」 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をなさっていました。 この話を定型発達の人、平凡でもきちんと社会人(主婦を含む)をしている人にすると 「え~知らないんだ、そういうこと」というリアクション
さてさて、連休の真ん中の日曜日、茨城県古河市に講演に出かけました。 お話をいただいたのは今年二月。 啓発運動不毛の地なのでぜひ講演会を開いてみたい。 でも初めてのことで集客に自信がない。 そういうご相談から始まりました。 ならばリスクを抑えた形でやりましょう、ということで 遠くからニキさんや藤家さんを費用をかけて呼ぶことはせずに スイカで行ける範囲に住んでいる私が一人で行くことにしました。 主体となって最初に動いたのはお母様方です。 ところがそれから、地域の病院のリハビリ部のOTさんやPTさんがスタッフに加わり 行政にも働きかけ 最初思っていたよりずっと本格的な講演会へと成長を遂げていたのでした。 というわけで、出かけた私はびっくりです。 自治体のえらい方の来賓挨拶もあったし、取材カメラもあったし。 第一大ホールがぎっしりなのです。 とくに印象に残ったのは 連休とはいえ父親らしき男性たちの
さて、私は前回「私は嫌いな人とは付き合う気がない」と書きましたが 大きな組織でもまれている人や、ママ友の中で仲良ししている人には、眉をひそめるような言動でしょうね。 まあそれでいいんじゃないかな。 基準が違うんで。 たとえば私にとって、悪口言われるのも商売のうち。 とくに「花風社は自閉症を治すという主張に走ってけしからん」という喧伝活動。 これなんか実はありがたかったりします。 どうして? 「治すなんて方向を志向するのはけしからん!」という人は「花風社の本はトンデモ!」と読まないでしょうが 「治るのかな?」「治せたらいいな?」という人たちは 興味を持ってくれるでしょう。 「エピソード主義でけしからん!」と書いてあったら エピソードから学ぶのが好きな人たちは「とっつきやすそう」と思ってくれるでしょう(私自身このタイプ)。 「治らないという考えは治りませんか?」 神田橋先生の本の帯のあのコピー
オシム氏のついーとを読みながらW杯を見ている。 これが本当に深い。 スカイパーフェクTVに感謝である。 考えてみれば「発達障害は治りますか?」にもオシム氏の名前がたびたび出てきた。 脳梗塞で脳機能の一部を失ったオシム氏がリハビリに成功し、またサッカーの解説をしている。 こういう機能改善を発達障害の人にも起こせるのではないか、と神田橋先生は考えられた。 先日「身体という環境を整えることには他人を巻き込まずにすむ」というエントリーを書いたとき、何人かの方から賛同のツイートが送られてきたが 神田橋先生の提唱される方法は、自分で今すぐ始められるのが特徴。 最初、岩永先生のお仕事に興味をもたれてうちにアプローチしてくださった理由を本の中でも詳しく訊いている。 ===== 神田橋 バラエティに富んだ発達障害の人を、いくつかの機能部分に分けて記述できる人が、今のところ他に見当たりませんので、岩永先生のお
2010年6月3日 前略 私あての通知書を受け取りました。 1 ここ数カ月、そらパパなる人物による出版物への被害妄想ともとれる曲解に基づく被害を受けてまいりました。こちらが氏名・住所を明らかにして経済活動している主体として攻撃を受けている一方、そらパパなる人物はどこの誰とも素性がわからず、いざというときに訴状の送達先もわからないという大変不利な状況に立たされておりました。 2 出版社ですから、批判されることは仕事のうちだと思っております。そらパパなる人物が、大きな誤解をなさることも仕方がないでしょう。いろいろな読者がいるという前提で出版活動を行っております。 3 しかしながら、明らかな誤解に基づくレビューを書くだけならまだしも、公の場に出てきて説明せよと受け取らざるをえない文体の数々が私に大変な精神的苦痛をもたらしました。もちろん会社にいただいた読者からの質問メールには、ていねいにお答えす
先般ここに掲示しました「大地君からそらパパへの手紙」にご両親の手紙を添えて ぶどう社さんへ転送をお願いしました。 ぶどう社さんは転送の労を取ってくださいました。 それは、ぶどう社さんに近い筋の方からの「そらパパさんの攻撃はひどすぎる」というお口添えのおかげでもあります。 ぶどう社さんは最初「メールで直接やってください」という反応だったのですが そらパパなる人物が、他人の電子文書をどんどん「さらす」以上 メールで連絡を取るのは避けたいというこちらの気持ちをお伝えいたしました。 その意を汲んでくださったことに感謝しております。 私は本名も居所も明らかにして活動しています。 その私と同じ条件で話し合いのテーブルについてもらいたい。 ぶどう社さんを巻きこまないためにも、そらパパなる人物あるいはその代理人が私に直接連絡をしてくるのを待っています。 大地君ママからの手紙をここに掲示します。 ご本人が言
そらパパさんへお手紙 僕が本を出したらずいぶんそらパパさんにやられました。どうして人の事をこんなに馬鹿にするのか解りません。僕はずいぶん我慢しました。僕は本にするのはやめようと思いました。でも、僕の本を読んで泣いて喜んでくれる人がいました。それはパニックになったり、暴れん坊になる時の気持ちや辛いことが解るからです。僕はこれからも自分のために修行で解ったことや、研究した自分の事は書きます。それを浅見さんや栗林先生や岩永先生に見てもらおうと思います。それで必要なら僕はみんなのために本にしてもいいと思う事にしました。 でもそらパパさんはもう絶対に大地の本は読まないでください。買わないでください。便利に思わない人は買わない方がいいです。僕の本について文句があるなら僕に言ってください。僕は男です。僕が全部聞きます。ネットなどでこそこそやるのは止めてください。僕はそらまめちゃんとは少し違いますが、やっ
さてさて、今日は五月場所初日で忙しく 忘れていました。 昨日の夜、寝ている間に読者の方からメールが来ていて 「ブログで伝えてください」というので、貼り付けます。 ===== 私たちはそらパパのサイトで以前、袋叩きに会ったことがあります。今となればそれも自己責任ですからどうでもいい事です。 でも、そらパパもあのサイトに訪れる人たちも知っておいた方がいい。そらパパは我々と同じ『ただの自閉症児の父親』だということです。 花風社にとってはただの読者の一人でしかない。彼があのHPで書いているのは批評ではない。ただの「読者レビュー」でしかない。 自閉症児のカリスマを気取り、多くの本を批判し、何かにすがろうとしている親をネット上で非難しているだけだということをです。 我が子が自閉症であると診断を受け、藁をもすがる思いでネットで検索をかけると、そらパパのHPは人気があるのでしょうね。 すぐに検索エンジンに
さてさて、明日から五月場所で、日曜日くらいはフルに見たいので本日二回目のブログ更新。 そらパパさんが「どうして発達障害者支援をしている出版社が名指しで娘のことを云々」とか怒っていらっしゃるようなのでちょっとご説明を。 私はそらまめちゃんご自身のことは何も存じません。 おいくつかも知りません。まだお小さいのでしょうね。 先日ここに貼ったのはそらパパさんと同じ「親御さん」の意見です。 そらパパさんのサイトを見て、目の前が真っ暗だった親御さんが 大地君ファミリーと一日遊んだことで展望が開けたという体験談です。 「あのサイトを見て絶望したことを知ってほしい。鵜呑みにした私が愚かでした」 今でもこうおっしゃっています。 後日談もメールで教えてくださいました。お友達と集団で遊んだのはあの日が初めてだったこと。 それからB君ができることが増えていく小さな幸せを毎日毎日味わっていること。 「ママ」とは呼ば
自閉症が治る、という報道に反応する人たちがいる。とくにネット上では。 自閉症は治らない、という事実に安堵感を見出しているんだろうな、というのが私なりの推測。 一方でリアルで知り合いになる人の中には「治療法が見つかったらどんなに大金がかかっても治したい」 「必要なら実家の田畑を売りはらってっでも費用を工面する」という人たちもいる。 お子さんに愛情を持ち、障害を受け入れている人たちだ。 精一杯の療育をして、それでも「治る方法があるのなら治したい」という人はいる。 どっちの意見もわからなくない。 で、どっちの意見を採用するかは、それぞれのおうちの自由だと思う。他人がとやかく言うべきことではない。 だってご自分のお子さんの将来なんて、他人に言われて決めることじゃないでしょ? 大事なお子さんの将来を、誰だかよくわからない人が展開するネット上の意見で決められますか? そんなことしたらかわいそうなのはそ
さてさて神田橋條治先生に初めてお会いしたときのお話です。 「治るんです」と先生のお弟子さんは言う。 信じられない。だって治らないでしょ? 発達障害は。 二次障害だって、本当にみんな苦労している。なかなか治らない。 その治らないはずの発達障害を治すってどういうことよ。 疑問で頭がいっぱいのまま、私は先生が上京された際にお会いしに行きました。 お顔を見たとたん、そのぱーっと明るい印象に意外な感じを受けました。 えらいお医者さまって、もっと沈うつでえらそーにちがいない、って勝手に決めていた。 つやつやした健康そうなお顔の先生でした。 ご挨拶がすんだとたん、私は先生に訊きました。 「先生、発達障害は治りますか?」 そのあとの先生の答えを、私は忘れることができません。 たぶんあの感動は、一生忘れないと思う。 「発達障害者は発達します。だってニキさん発達したでしょ?」 ……ほんとうだ。 「発達障害者は
さて、数ヶ月前からネットの片隅で、まったく見知らぬ人物が、花風社の編集方針改革に熱心に取り組んでいた。 私と方針が合わないから放っておいた。面識もないし、うちの株主でも役員でもない。考えも違うみたいだし、傾聴すべき意見とも思えない。 やがて私の箸の上げ下ろしまで非難し始めて「うざい」なあと思った。いやなら読まなきゃいいだけのこと。他にも自閉症の本はいっぱい出ている。もっと大きな会社から。 うちは年に3冊しか出さない小出版社なのだ。よその本を買えばいいだろう。なんでうちに執着するんだろう。 こっちは親の言うこともろくすっぽ聞かないで育った腕白娘なのだ。どうしてそんな見も知らぬ人のいうことを聞く用意があるだろう。 ところがこの人物は功労者だ。先日大大大博士祭りを取り仕切り、見事にうちの営業をラクにしてくれた。 うちの社員でも役員でもないのに、立ち読みした本の編集方針が気に入らないと自分のサイト
「要するにね、脳が健康ならありえない想像に固執したり、そのこだわりに基づいて迷惑行為したりしなくなるんじゃないかというのが一般人としての感覚なわけです。5年も6年も治療して、そういうの治せないもんなんですかね?」 と私はおききした。 「医者なら治せんといかんわなあ」 と大大大博士はおっしゃった。 まあ要するにそれが私の言うところの「司法をしのぐ医療」なんです。 そういうの、期待しちゃいけないんですかね? 発達障害の被告に、また実刑判決出ましたね@徳島。 そのうち弁護人も発達障害を持ち出すのやめるかな? 裁判員に理解してもらう前に、弁護人が理解しないと。 昨日も今日もお勉強会。それぞれ違う切り口の人たち。
うちも被害に遭い、法的措置を取ったネット上の名誉毀損ですが 最高裁で判決が出ましたね。刑事事件で。 ネット上の誹謗中傷も、出版物と同じだけの罪が問われたようです。 今後これが判例となるかもしれません。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100316/crm1003161802029-n1.htm 想像力の障害があっても、それ自体はもちろん罪ではありません。 脳内でどれだけありえない想像をしていても罪には問われません。 ニキ・リンコはでっちあげなんだとか 花風社は創価学会とつながりがあるんだとか 浅見は詐欺なんだとか 勝手に脳内で描いても取り締まりの対象にはなりません。 でもそれをネットに書いたらとたんに民法上の賠償責任、刑事告訴の可能性が生じます。 「脳の中で飼っておくだけ」なのと「表に出す」のは天と地ほどに違います。 そこの線引きを、支援者の方
トニママこと仲本博子さんとのメールのやりとりをご本人の許可を得て公開させていただきます。 皆さんも実感していらっしゃると思いますが、特別支援教育が行き渡りつつある今 「支援級の中での他害児」が問題になっています。 果たしてアメリカではどのようにこの問題を解決しているんだろう? そう思って訊いてみました。 ===== 浅見→トニママ なんか最近の記事への反響を見ていると「自閉症者は迷惑だ」という本を出したほうが売れるんじゃないかと思うくらいです(出しませんけど)。 「ありのままではよくない」との声多数です。 一つは高機能のお子さんがどんどんどんどん診断がつきはじめたからのようです。 前はなるべく表に出すまいとしていた犯罪の問題も隠さなくなりました。これはいいことです。 まだまだ始まりたての特別支援教育ですから、現場での甘やかしも相当あるみたいです。 そのマイナス面が目に付くようになったのでし
裁判員裁判を受けているみたいですね。 罪状は現住建造物等放火事件。 検察は責任能力があると主張。 弁護側は罪状を認めたうえで心神耗弱による減刑を主張。 被告人の父親。 「このまま刑務所へ行っても出てきたら同じことの繰り返し。社会で最低限生活できる治療や訓練をしてほしい」。 甘いね。 医者には治す気なんかないっていう事態を想定していないね。 こういう事件が起きると、「早くから医療や支援につながっていれば」って論調にもってこうとするでしょ、支援業界。 つながっている人でも加害行為するじゃん。 有名な話ですが 私に被害を与えたのは内山登紀夫先生の患者ですよ。 「本物のTEACCH」じゃ加害行為は防げなかったんだなあ。 じゃあ次はどうするのかな? というのをウォッチしているわけです。
「横綱、頑張ってください」 朝青龍を激昂させたのはこの一言だったというニュースをネットで読み 自分も若くてとんがっていたころ、同じようなもんだったなと思い出した。 なんか、励まされるとバカにされているような気がしたもんである。 「オレに頑張れとは何事だ」と横綱は相手を殴ってしまったらしい。 私はこう見えて暴力は振るわない人なのだが 「頑張って」と言われて腹を立てる気持ちが、実は、痛いほどわかる。 かつて私もこんな感じの若者だった。 今はもう、「頑張って」と言われても腹が立たない。成長したな~。 たぶん年をとったからだ。 年をとるのは、ラクになる面もたくさんあるんだな~。 なんでこんなことで腹が立つのかわかんない人多いみたいだし 別にわかんない人にわかってもらおうと思わない。 なんというか、根本のところで、私は人と人はわかり合えなくてもいいと思っているような気がする。 わかりあえないのがデフ
ギフテッドという言葉を使わなくても 聴覚優位の人と視覚優位の人がいるということだけでも抑えておけば けっこう使えるんじゃないだろうか。 大大大博士の分類はもっと細かいけど。 そういう私は極端な聴覚優位の人。 だから文章のお仕事なのね。 実を言うと、画像のいっぱい入った企画もお持込を受けるのだが 自分自身が読めない(というか価値が判断できない)ので、お断りせざるをえないケースが多い。 それと、エレベーターの三角表示がすぐには読めない。 「開」「閉」とか「OPEN」「CLOSE」とか書いてくれたら親切なのにな、と思う。 あと禁煙と喫煙をよく間違える。 JR東海にはとくによくだまされる。 よく喫煙の車両を買ってしまうのだ。 マークは使わないでほしい。 全部字で言ってほしい。という私の脳みそ。 こういう私がデザイナーさんやイラストレーターさんとお話しするときには 結構頭を絞る。 どう言えば通じるか
「名は体を表してなくてよかった」本を読みました。 つまり、タイトルを見たら違和感感じたけど、中身は素晴らしかった本です。 「ギフテッド 天才の育て方」(杉山登志郎・岡南・小倉正義著 学研) です。 私は自閉っ子天才論とは一線を画したい人です。わりと。 才能なんてないほうが幸せな面もあるし なんの才能もなくても幸せに生きていける社会がいい社会でしょう。 第一アインシュタインより週5日間40時間コンスタントに働けて協調性のあるのほうがつぶしがきくよ。 だからこの本のタイトルを見たときは、激しく引きました。 「・・・たまひよ?」とか思って。 でもこれが、とても深い深い深い本だったので、本当に読んでよかったです。 たぶんこの本については、これからもこのブログでときどき書くと思いますね。 で、この本を読んでわかったのは、 そもそも「ギフテッド」→「天才」という訳の仕方が(私にとっては少なくとも)ミス
内閣府の障がい者制度改革推進会議のメンバーに発達障害者の関係者が入らなかった問題について、JDDネットの方たちが福島大臣に申し入れをするらしい。あらら、無視されましたか。 私は民主党政権が誕生したときから、なんとなく発達障害者支援とは相性悪そうだな~と思っていた。 上手にその理由を言語化できないのだが。 民主党が主張する政策、たとえば高校教育無償化とか時給1000円とか製造業への派遣労働禁止とか、そういうのを見ていると、民主党の考える「平等」ってものがなんとなく浮かびあがってくる。 で、そういう「平等」意識って、発達障害を理解するときの邪魔になるような気がしたのかもしれない。今にして思えば。 平等が悪いんじゃないよ。平等であるべきなのは当たり前。でも、どうやったらその平等が実現するかの考え方は人によって違う。 よい子民主主義系の人たちには、発達障害のある人が置かれた苦境が理解しにくいような
アメリカに行ったとき出会った日本人自閉っ子ママのブログを100年ぶり位に見た。 あえてURLは載せないが、この人は、取材先としてはイマイチだなと思った人物である。 彼女(一応日本人ね)の中の脳内日本は、現実の日本とひどくずれていた。日本語も若者言葉しかしゃべれず、大人として日本に暮らしたことのないのが見え見えだったが、ありえない脳内日本を後生大事に抱えていた。 差別がはびこり、貧しく、人々は権威にひれふす、どうしようもない国、日本。 学校では先生が絶対的な権力を握り、親は何も言うことができない封建的な国、日本。 その脳内日本を一生懸命けなすことによって、アメリカにいる自分を正当化している、っていう感じだった。日本は何もかも悪く、アメリカは素晴らしい。だからアメリカにいる自分はsuperiorであるのだから、無知な日本人の蒙を啓かなければ、という発想ね。 この人は今、シリコンバレ
ASDの人には科学者とか研究者が向いているという説がある。 世事に疎くても好きな狭い分野のことに集中していればいいから向いているということだ。 本当にこういう姿勢で科学者が務まるのか 私は科学者でも研究者でもないのではっきりしたことをいう資格はない。 医者が翻訳家を天才かどうか発言する資格がないのと同じこと。 ただ事業仕分けに関して発言するノーベル賞受賞者の皆さんとかを見ていると この方たちもまるでW杯出場の32チームみたいに 世界で戦っているんだということがわかった。考えてみたら当たり前だ。 W杯どころではないかなり激しい競争を日々しているのだろう。 私たち一般人は、なかなかそういう実感を持つ機会がないだけなんだろう。 だとしたら 競争を避けて通ったら、科学でも一流になれないってこと? 12月3日朝日新聞「私の視点」でノーベル賞受賞者の野依良治氏はこう書いている。 「科学社会では、頑張れ
さて、じゃあ去年の12月26日はどこにいたでしょうか? タイのクーデター→空港閉鎖という状況を見て年末年始国内にいることに決めた私たちは ホワイトクリスマスを過ごすため札幌に行きました。 すすきのでおいしいお魚をいただいて、26日、札幌駅でエアポートライナーを待っていたとき電話が鳴りました。 「アスペ・エルデの会」の辻井正次先生でした。 例のニキ=浅見同一人物説を唱えている人物がますます過激になっているので 何か手を打たないか、という提案の電話でした。 私の反応といえば「え~まだやってるんですか~」。 そういうおかしな人がいることは聞いていましたが、忙しいし、デマばっかり書いてあるというHPも見ていませんでした。 第一こっちには直接なんにも言ってこないし。陰で騒いでいるだけ。 それに内山登紀夫先生のような立派な主治医がついているのなら、いずれなんとかしてくださるのでは? と思って辻井先生に
昨日控訴審の判決が出たみたいですね。 一審を支持し、控訴棄却。 医師の有罪は変わらず。 私はこの著者の発達障害関係の本はたぶん全部買ったことがあると思います。 一応資料として読んでおくという意味でね。 全部資源ゴミに出してると思う。横浜市の十八番、資源ゴミ。 一応著作権で食べている人間として古本屋には売らない。 で、この被告人の医師もこの著者の本を読んでいたら たぶん鑑定書なんか渡さないと思う。 だって理解してないもん、PDDのことなんか。 だいたい本当にPDDのこと理解していたら 検面調書とか員面調書とかそんなにありがたがらないよ。 本当にこの少年がスペクトラムのどっかにいるのなら そんなところに本当のことが書いてあるわけないじゃん。 そんなんで内面がわかるのなら、「自閉っ子シリーズ」作りはもっと楽チンなはず。 「僕はパパを~」は捨てないでどっかに取ってある。 あれはお小遣いの足りないと
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