フランス人とワインの微妙な関係 フランスとワイン——じつに絵になる関係だし、数世紀にわたり切っても切れない間柄が続いている。 ワインは、古代ローマ人がほぼ現在のフランスに相当するガリアを征服するはるか前に、古代ギリシャ人によってもたらされ、中世に広く普及し、やがて国内外を問わず優れた品質(ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュ)の象徴となり、ワイン醸造用のブドウ栽培、ワインを飲む習慣、そしてワインの輸出といったものがフランスという国の個性を示す大きな特徴となってきた。 フランスはいつだってワインを大量に生産してきたし、盛大に飲んできた。ワイン産地の農場経営者や村人たちは地元産の当たり年のワインを楽しみ、町や都会の人たちは味も価格も多様なワインのなかから好みのものを選んできたのだ。 フランスで1人当たりの年間ワイン消費量の統計をとるようになったのは、1850年のことだ。当時の消費量は多く、年
フランスの司法当局は、人道に対する罪の隠匿の疑いでユニクロのフランス法人など4社の捜査を始めたことを明らかにしました。 これらの会社をめぐっては、フランスのNGOなどが中国の新疆ウイグル自治区の人たちの強制労働で作られた材料を使っている疑いがあるなどとしてことし4月に告発していました。 フランスの司法当局はNGOなどの告発を受けて、人道に対する罪の隠匿の疑いで捜査を始めたことを1日、明らかにしました。 フランスのNGOなどはことし4月、中国の新疆ウイグル自治区の人たちの強制労働で作られた材料を使っている疑いがあるなどとして ▽「ユニクロ・フランス」のほか ▽ZARAなどを展開するスペインのアパレル大手「インディテックス」 ▽アメリカの「スケッチャーズ」、 ▽フランスのアパレルブランドを所有する「SMCP」の 4社を告発していました。 新疆ウイグル自治区をめぐってはアメリカやイギリスなどの国
この記事は特に記述がない限り、フランス共和国の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 ピーマンに付されたAOCラベル アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ(仏: Appellation d'Origine Contrôlée; AOC フランス語発音: [aose]、アオセ)とは、フランスの農業製品、フランスワイン、チーズ、バターなどに対して与えられる認証であり、製造過程および最終的な品質評価において、特定の条件を満たしたものにのみ付与される品質保証である。日本語に翻訳すると「原産地統制呼称」「原産地呼称統制」などとなる。フランスの法律では、AOCの基準を満たさないものは、AOCで規制された名称で、製品を製造または販売することは違法である。フランスの原産
洋梨の中でも人気の品種であるラ・フランスは、1864年にフランスで発見され、「フランスを代表する美味しさだ」ということでラ・フランスと名づけられました。しかしこのラ・フランス、本場フランスでは、とっくの昔に絶滅しているってご存知でしたか? ■現在、ラ・フランスを栽培しているのは日本だけ ラ・フランスがフランスで絶滅したのは1900年代初頭。他の品種に比べ、栽培期間が長いラ・フランスは病気にかかりやすく割に合わないので、フランスでは栽培を諦め絶滅してしまったということです。 現在ラ・フランスを栽培しているのは、世界の中でも日本だけ。日本に最初に持ち込まれたのは、フランスで絶滅寸前だった1903年。フランスの農家が諦めた栽培を、日本の農家が研究を重ね、大切に育て上げて生産を安定させました。 日本でしか作ってないなんて……。ちなみにそのうちの77%が山形県で栽培されてします。もはや「ラ・ヤマガタ
人気blogランキング もう3ヶ月くらい前のことですが、ある料理雑誌の編集さんからこんなお電話をいただきました。 「内臓料理の特集をやるので内臓類に詳しい業者さんを紹介してほしい」と。 お♡じゃあ当然料理の取材はウチだよね?と思いまして取引のある肉屋さんを紹介しました。 ところが待てど暮らせど取材がないんですよ。 そうこうしてるうちにとうとう本が発売されちゃいました。取材協力ということで一冊送られてきましたが、当然私の料理は載ってません。私が紹介した肉屋さんはちゃんと名前が出てますけど。 どうなっちゃってんだろうね。ま、いろいろ出版社の方にも事情はおありでしょうし、ここでゴネるつもりもないんですが、ちょっとね、寂しかったんですよ。 内臓料理の特集なら私も言いたいことがあったんですがねぇ。だってそもそもサラマンジェ自体が「内臓料理特集」みたいな店ですから。 けど、出版社にそっぽを向かれちゃっ
アイヌに出会うまでの細道 ──どのような経緯でアイヌに関心を持ったのですか? まず日本に関心を持ち、それからアイヌに関心を持ちました。 日本に興味を持ったのは、父方の祖母の影響です。映画好きの祖母が三船敏郎のファンだったんです。それでフランスのテレビで黒澤明の作品が放送されるときは祖母と一緒に見ていました。 『羅生門』を見たときの衝撃はいまでも覚えています。突然、私の目の前に日本という不思議な国の景色が広がりました。 人生で初めて見た日本人がおそらく三船敏郎だったのだと思います。いい役者ですよね。ハンサムだし、野獣みたいなところもあります。『羅生門』の三船を見て、まだ幼かった私はおっかなくて震えあがりました。 それから12歳になった頃、日本というお寺が多い神秘的な国があると友人に話していたら、その友人が中学校の図書館から三島由紀夫の本を借りてきて私に貸してくれました。 それが『金閣寺』でし
この記事は言葉を濁した曖昧な記述になっています。 Wikipedia:言葉を濁さないおよびWikipedia:避けたい言葉を参考に修正してください。(2015年5月) マリー・アントワネットが語った言葉と広く考えられているが、現在では自身の言葉ではないと判明している 「ケーキを食べればいいじゃない」とは、フランス語の語句 Qu'ils mangent de la brioche !(「ブリオッシュを食べればいいじゃない」の意)を踏まえた英語の慣用句 Let them eat cake を日本語に訳したもので、農民が主食として食べるパンに事欠いていることを知った「あるたいへんに身分の高い女性」(une grande princesse) が言ったとされる台詞である。一般には、その女性はマリー・アントワネットとされるが、実際にはこれはアントワネット自身の言葉ではないことが判明している。 意訳の
海外マンガの仕事に関わる人物を紹介する「海外マンガの人々」。今回ご紹介するのは、日本で生活しながら、日本のマンガをフランス語に翻訳する翻訳家として活躍中のセバスチャン・リュドマンさん。2018年、フランス語に翻訳された日本マンガを対象に小西財団漫画翻訳賞が新たに創設されましたが、リュドマンさんはその記念すべき第1回グランプリに輝きました。 250巻!? すごいですね! そもそもリュドマンさんは、どんなふうに日本や日本文化と出会ったのでしょう? マンガは小さい頃から読んでいたんでしょうか? 実は、日本文化を知ったのは、大学生になってからなんです。 大学1年のときは、主にドイツ語と英語を学び、それ以外に中国語を選択していたんですが、その後、なんとなく日本語を学ぶことになりました。 僕はもういい年なんですが、僕の小さい頃には日本のマンガはまだフランスの書店に並んでいませんでした。大学生になって、
1960年代後半から『ねじ式』『無能の人』などシュールな作品を発表し、熱烈なファンを持つ伝説の漫画家・つげ義春(81)。彼の作品に魅せられたボルドーの小さな出版社が今、フランス語版の全集刊行に取り組んでいる。ここに至るまでには、ヨーロッパの大手出版社との版権争い、採算度外視の復刻作業など、10年の長きにわたる涙ぐましい努力があったという。 その愛情と執念はどこからくるのか。なぜアニメで知られた超ベストセラー漫画ではなく、マニアックなサブカル漫画に着目したのか。パリ在住の映像作家、渡辺敦彦氏による特別寄稿をお届けする。 日本漫画「最大の消費国」フランスの熱狂 「漫画界のカンヌ」と呼ばれるアングレーム国際漫画祭(Festival International de la Bande Dessinée d’Angoulême)。毎年1月下旬にフランス南西部アングレーム市で開催される世界最大規模の漫
今年4月、パリ11区にオープンした『L’ATELIER DES LUMIÈRES(アトリエ・デ・リュミエール)』。パリ初のデジタルアート美術館ということで話題を呼んでいます。デジタルアートと一言でいってもなかなか想像するのも難しいかもしれませんが、ここ最近、フランスではプロジェクションマッピングを使ったアートが夏の野外イベントなどで大人気。光と音と映像を用い、カテドラルなどの古くから知られる建築物に映写して、普段とは違う空間を作り上げ、その作品の中に観客が入るような感覚が新鮮です。 今回のアトリエ・デ・リュミエール』では、そんなプロジェクションマッピングの技術が会場中にいっぱい。さっそく紹介していきましょう。 19世紀には鋳造工場だった場所をリニューアル! 1835年築のかつて鋳造工場だった場所を利用し、床面積2,000㎡、天高は10mの広いスペースに140機のプロジェクターと50個のスピ
仏パリの美術館「パレ・ド・トーキョー」(右下)(2013年12月6日撮影)。(c)AFP/FRANCK FIFE 【3月10日 AFP】仏パリの美術館「パレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)」は、5月にヌーディストの来館者を受け入れると発表した。 パレ・ド・トーキョーは、ヌーディズムの促進を目指す「パリ・ナチュリスト協会(Paris Naturists Association)」と協力して、5月5日にヌーディストを対象とした無料ツアーを開催する。このツアーはガイド付きで、一般客への開館時間前の朝に実施される。 パレ・ド・トーキョーの広報担当者、ドロレス・ゴンザレス(Dolores Gonzales)氏はAFPに対し「開館後、パレ・ド・トーキョーは再び衣服を着ることになる」と語り、イベントの狙いは美術館の「寛容さ」を示すことだと付け足した。 パリでは昨年、東部に広がる森林公園
この画像を大きなサイズで見る フランスとその風光明媚な田舎の風景を思い浮かべるとき、絵のような村や広大なブドウ畑、夏にうねった道をご機嫌なドライブのできる、どこまでも続く緑の丘などを想像するかもしれない。しかし、こんな美しい風景の片隅に、1世紀近くも人の立ち入りが禁止された、ゾーンルージュ(レッドゾーン)がある。 現在でも、パリとほぼ同じ広さの100平方キロ近くが、一般の立ち入りや農地利用を法律で厳しく制限されている。その理由は、いまだに世界大戦の戦場跡に残る、おびただしい数の遺骸や不発弾が回収しきれていないからだ。 第一次大戦後、途方もない数の不発弾や人間や動物の遺骸の回収が追いつかず、フランス政府は該当地区の住民の強制的な移転を決め、立ち入り禁止区域にした。地図上からまるごと抹消された村は、戦争の犠牲者だと考えられた。 この画像を大きなサイズで見る “破壊された村、デュオモン” この画
フランス語から日本語への借用(フランスごからにほんごへのしゃくよう)では、フランス語から日本語に入った借用語や翻訳借用について説明する。こうした語句は芸術、服飾、料理、菓子、哲学の分野に多い。近年、英語由来の外来語に押され消えていく語(例:仏語「アベック」→英語「カップル」)がある一方、雑誌などでは、多くの日本語話者にとって意味の分かる英語ではなく、なじみの薄いフランス語を使用して新鮮なイメージを持たせようとする傾向(例:「とらばーゆ」「25ans」)が見られ、これらが外来語として定着することもある。 以下の外来語の中にはフランス語から英語になってから日本語になったものもあり、英語で通じても元のフランス語では意味が通じなくなったものもある(例:クレヨン、グランプリ、アンコール)。また、フランス語から日本語になった言葉の中には英語では全く通じない言葉もある(例:デッサン、ズボン、オブジェ)。
仏パリの商品取引所で、美術館への改装計画を説明した日本の建築家、安藤忠雄氏(2017年6月26日撮影)。(c)AFP/PATRICK KOVARIK 【6月27日 AFP】フランスの資産家で世界屈指のアートコレクターのフランソワ・ピノー(Francois Pinault)氏(80)が26日、首都パリ(Paris)に美術館を開設する計画を明らかにした。2019年初めのオープンを予定しており、現代アートの首都を称するパリにとって追い風となりそうだ。 新美術館は、長年世界最多の来館者数を誇ってきたルーブル美術館(Louvre Museum)からほど近いドーム型屋根の商品取引所(Bourse de Commerce)を改装し、総額14億ドル(約1600億円)相当の現代アートの傑作の数々を展示するという。 ピノー氏が所蔵する美術品は3500点に上り、この中には米アーティストのマーク・ロスコ(Mark
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