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民族と貿易に関するskam666のブックマーク (7)

  • 松前武家地跡でガラス玉が出土、アイヌ向け交易品か | 2017/8/26 函館新聞社/函館地域ニュース - e-HAKODATE

    【松前】町豊岡の旧武家屋敷ごみ捨て場跡で19~25日、弘前大学文化財論ゼミ(関根達人教授)の発掘調査が行われ、陶磁器、古銭など当時の生活をうかがわせる遺品のほか、穴のあいたガラス製小玉14点が発見された。関根教授によると武家地での出土例は過去になく「アイヌの人々との交易用に武家屋敷内で制作されていた可能性がある」としている。 発掘調査は、公益社団法人たばこ総合研究センターの助成を受けたプロジェクト「酒とタバコからみた蝦夷地の内国化に関する研究」の一環。発掘地は正行寺墓地裏手の48平方メートル、江戸時代には中堅武家の屋敷が立ち並んでいた一角。 今回発見されたガラス玉の大きさは7ミリ前後、青が12点、ピンクと緑がそれぞれ1点ずつ。アイヌの人々が珍重していた「タマサイ」と言われる首飾りに使われていたものによく似ている。同ゼミは、今回出土したガラス玉は遺跡年代から江戸時代後期のものと推定する。町教

    松前武家地跡でガラス玉が出土、アイヌ向け交易品か | 2017/8/26 函館新聞社/函館地域ニュース - e-HAKODATE
    skam666
    skam666 2017/08/26
    “近世のアイヌは主に和人からガラス玉を入手していたが、生産地は不明で、主に江戸や大坂などで生産されたのではないかと思われていた。今回の発見はアイヌ向けガラス製品が松前で制作されていた可能性を示す”
  • 収蔵物は語る 第60回 交易の民アイヌ Ⅷ 中世のアイヌ

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    skam666 2015/03/20
    “14世紀初めの北海道には「日の本」「唐子(からこ)」「渡党(わたりとう)」と呼ばれる者がいて(中略)道南・青森間を往来し,交易を行っていたそうです。また,「日の本」は太平洋側の,また「唐子」は日本海側の集団”
  • オホーツク世界と日本

    北海道のオホーツク海地域は18世紀後半から19世紀初めに日歴史に登場する。だが、それ以前にもアイヌやツングース系の人びとの豊かな歴史があった。 北海道のオホーツク海地域、すなわちオホーツク世界が日歴史に登場するのは、18世紀後半から19世紀初めにかけて、千島列島を南下して来たロシア人とそれを排除しようとした日人の間に衝突が頻繁に発生した以降のことである。しかしながら、北海道に居住していたアイヌ民族は13世紀ごろから北はサハリンに、東は千島列島からカムチャツカ半島に進出して北方の諸民族と交易や交流を展開していた。 アイヌ民族のサハリン進出――13世紀―― 図1  『元史』巻5、フビライ統治期の至元元年(1264年)11月、骨嵬を征討した記事(右から4~6行目)が記載されている。 1263年11月に、モンゴル帝国の第5代皇帝フビライはアムール川下流域を支配下に組み込むと、そこに居住し

    オホーツク世界と日本
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    skam666 2015/03/20
    “北海道に居住していたアイヌ民族は13世紀ごろから北はサハリンに、東は千島列島からカムチャツカ半島に進出して北方の諸民族と交易や交流を展開していた”
  • 京都新聞

    今年で没後10年になる直木賞作家の山兼一さんは、どんな人だったのか。であり、同じ「もの書き」として伴走し続けた山英子さんが、新著「キ…

    京都新聞
    skam666
    skam666 2014/04/20
    “近江商人研究家駒井正一さん(64)が、新著「近江商人の漁業経営-知らざれるアイヌ民族と和人との関係」を自費出版した(中略)B5判、305ページ。1500円。購入や問い合わせは駒井さんTEL”
  • 貨幣的なるもの - 北の考古学─日々の着想

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    skam666 2013/09/20
    “アイヌは銀と砂金を多く持ち、それで和人から米や綿布を買った(中略)砂金は貨幣的なるもの、あるいは貨幣そのものだったとえいるのではないか”
  • 江戸時代ロシア貿易の内情暴露 総首長のアイヌ語、現代語訳-北海道新聞[ピヤラ アイヌ民族の今]

    釧路の奥田幸子さん 「息遣い感じた」 釧路アイヌ語の会(合沢寛会長)の事務局長奥田幸子さん(63)が、江戸幕府が18世紀後期に初めて蝦夷地(えぞち)に調査隊を送った時に聞き取ったアッケシ(厚岸)の総首長イコトイと根室・ノッカマップの総首長ションコのアイヌ語を、ローマ字化、現代語訳した。奥田さんは「言葉から、イコトイやションコなど歴史上の人物の息遣いが感じられた」と話している。(小野孝子) 奥田さんが現代語訳したのは、調査の記録文書である「蝦夷地一件」(二)に登場するイコトイとションコが幕府側に語った言葉。中でも注目されるのは、イコトイが幕府の調査隊の宿泊所をひそかに訪れて話した内容だ。 イコトイは「松前藩の役人と運上屋(商人)が、『幕府にはロシア人と交易していることを話すな、話せば首を切り落とす』と言った」と、口止めされていることを告げた。 背景には、松前藩が、幕府による鎖国政策下

    skam666
    skam666 2013/06/24
    “イコトイは幕府側に「ロシア人は毎年ウルップ島(得撫島)まで来て、絹や木綿、砂糖、薬などを持ってきて商いをしている。ロシア人が持ってきた綿とコメを交換した」と交易の実態を暴露している”
  • ブリコラージュとしてのアイヌ文化 - 北の考古学─日々の着想

    skam666
    skam666 2013/06/07
    “アイヌ文化の成立とは、北東アジアと日本の物質文化の主体的選択であり、ブリコラージュとしての文化創造にほかならなかった”
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