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ブックマーク / www.nippon.com (23)

  • レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん

    80年代半ば、レゲエ音楽にデジタル革命をもたらし、“モンスター・リディム”と称される「スレンテン」。その誕生の裏側には、カシオ計算機(社:東京都渋谷区)の電子キーボードと新卒の女性開発者の存在があった。スレンテンのルーツ・奥田広子さんが、初めてベールを脱ぐ。 スレンテンのルーツはカシオトーンの音源 ジャマイカのシンガー、ウェイン・スミスの『Under Mi Sleng Teng(アンダ・ミ・スレンテン)』は、レゲエの世界に革命をもたらしたと言われる。友人のノエル・デイヴィーと2人で、カシオの電子キーボードを使って作曲したダンスホール・レゲエだ。1985年に大ヒットすると、デジタル音の心地よく、常習性のあるリズムは、またたく間に世界中に広がっていく。 レゲエでは、ドラムとベースのリズム体を「リディム」や「バージョン」、「オケ」などと呼び、これを繰り返すことで曲に鼓動を生む。同じリディムで複

    レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん
    skam666
    skam666 2022/01/03
    “スレンテンの生みの親は、ウェイン・スミスや発売元のレーベル「ジャーミーズ」だと定着している。しかし元々は、1981年に発売した「Casiotone(カシオトーン)MT-40」に入っていたリズムパターンだ”
  • 日本の写真文化を語ろう① 写真評論家・飯沢耕太郎

    の写真を語る上で必ず名前が挙がるのが、写真評論家の飯沢耕太郎氏だ。1980年代から写真評論を始め、展覧会の企画や写真季刊誌『déjà-vu』の創刊など、執筆活動以外でも日の写真文化に大きく貢献してきた。飯沢氏が東京と写真の関係について語る。 飯沢 耕太郎 IIZAWA Kotaro 写真評論家。『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で、日写真協会年度賞を受賞。写真の公募展の審査員や、写真展の企画などでも活躍。近年はきのこについての著書も多い。 東京と写真の不思議な関係大学院卒業前の1980年代半ばから写真評論の仕事を始めましたが、80年代終わり頃から急激に仕事が増えてきました。70年代終わりに写真専門のギャラリーが立ち上がり、その流れで80年代から90年代には川崎市市民ミュージアムや東京都写真美術館の設立などがありました

    日本の写真文化を語ろう① 写真評論家・飯沢耕太郎
    skam666
    skam666 2017/03/25
    “飯沢氏が東京と写真の関係について語る”
  • 日本の難民受け入れに関する誤解 | nippon.com

    は「難民に冷たい」か? 日が難民の定住受け入れを決めたのは、1978年。インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)で相次いで成立した社会主義政権を拒否する約150万人(UNHCRによる)が難民化し、諸外国から受け入れを求める強い圧力を受けてのことだった。78年に3人、79年には2人だったが、その後は受け入れ態勢が急速に整備され、これまでに家族の呼び寄せを含めて1万1319人を受け入れ、この制度は終焉した。 難民とは「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることができないかまたはそれを望まない者」(1951年難民の地位に関する条約第1条)を指す。庇護を求められた場合は、人道的見地に立って、これを受け入れることが国際的な義務である

    日本の難民受け入れに関する誤解 | nippon.com
    skam666
    skam666 2015/11/27
    “これまでの3年間、100人以上を担当したが、私の関わったケースは難民としての蓋然性が低く、1人として難民認定すべきとの意見提出には至っていない”
  • 長崎「信徒発見」から150年、待ち望むローマ法王来日

    のキリスト教信者は人口の1%にも満たないが、2015年は長崎で隠れキリシタンが発見された150年になる。特に長崎の街かどではこのカトリック歴史に触れることができる。「隠れキリシタン」発見の歴史と原爆に関連する大浦天主堂とカトリック浦上教会を訪ねた。 日のカトリック史上の“奇跡”イスラム過激派による世界的なテロで、イスラム教に対する関心と警戒心は日で高まっているが、日人は20億人以上の信徒を抱える世界最大宗派のキリスト教について、意外に無頓着であまり知らない。しかし、2015年は日のカトリック信者にとって、「信徒発見150年」という極めて重要な年にあたる。 イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルが1549年に、初めてキリスト教を日に伝えてから450年余。その後、江戸時代にはキリスト教が「禁教」とされ、長崎、大分、熊など九州に広がったカトリック信徒は『隠れキリシタン』として、

    長崎「信徒発見」から150年、待ち望むローマ法王来日
    skam666
    skam666 2015/08/27
    “安倍首相は14年6月にバチカンを訪れ、ローマ法王の訪日を正式に招請しており、長崎市も訪日招請の親書を送り、前向きな回答を得ている(中略)法王は、東日本大震災の被災地を訪れたいとの希望を持っているという”
  • 沖縄メディアの「ミス・インフォメーション」

    「苦境に立つ」沖縄メディアメディアの役割をめぐり日で大きな論争が巻き起こっている。広くいえば国全体、具体的にいえば「苦境に立つ」沖縄のメディアの状況についてである。実際には沖縄のメディアが論争の中心となっており、多くの場合、偏向報道やわたしの名付けた「ミス・インフォーメーション(Miss-Information)」のためにこの論争を引き起こしている。 偏向報道はもちろん、深刻な非難に値する。このような報道では、意識的に記事をゆがめることで、ある特定の目的を推進したり、他者を批判したりする。また、ある目的に不都合と判明した出来事や見通しを故意に取材しない場合もある。このような情報管理により特定の話ができあがることになる。 情報管理という言い方をすれば、自由報道を信奉する者が政府が行っていることだと糾弾するようにみえるが、悲しきかな日では、これは、沖縄のメディアが、またより大きなスケールで

    沖縄メディアの「ミス・インフォメーション」
    skam666
    skam666 2015/08/14
    “私は悲しい結論に達した。琉球新報と沖縄タイムスは沖縄の米軍取材で偏向しているということだ。日本新聞協会が2000年に採択した新聞倫理綱領に違反しているということだ”
  • 大衆音楽の「戦後」はいつはじまったのか?

    GHQ主導のラジオ番組「のど自慢」や進駐軍クラブから多大な影響を受けた戦後歌謡曲。しかし、敗戦で日の大衆音楽が生まれ変わったわけではない。戦後初期に焦点を当て、戦後歌謡史を検証する。 俗に「歌は世につれ、世は歌につれ」という。世が歌につれることはあまりないし、そもそもある歌謡が単純に世相一般を反映していると考えることにも疑問がある。とはいえ、戦後日において、歌謡が人々の集合的な記憶と深く結びついてきたこともまた間違いない。稿では、「歌」と「世」が人々の記憶の中で撚り合わされるさまざまな仕方にも留意しながら、戦後初期の大衆音楽史をひもといてみたい。 終戦後初のヒット曲「リンゴの唄」は戦時中につくられた 並木路子は1921年東京浅草に生まれ、5歳まで台湾で過ごす。1936年、松竹少女歌劇学校に入学。翌年、浅草国際劇場で初舞台。数々の舞台を踏み、戦時中はフィリピンや上海を慰問団として訪れる

    大衆音楽の「戦後」はいつはじまったのか?
    skam666
    skam666 2015/07/02
    “戦後初期に焦点を当て、戦後歌謡史を検証する” 服部良一,三木鶏郎
  • オホーツク世界と日本

    北海道のオホーツク海地域は18世紀後半から19世紀初めに日歴史に登場する。だが、それ以前にもアイヌやツングース系の人びとの豊かな歴史があった。 北海道のオホーツク海地域、すなわちオホーツク世界が日歴史に登場するのは、18世紀後半から19世紀初めにかけて、千島列島を南下して来たロシア人とそれを排除しようとした日人の間に衝突が頻繁に発生した以降のことである。しかしながら、北海道に居住していたアイヌ民族は13世紀ごろから北はサハリンに、東は千島列島からカムチャツカ半島に進出して北方の諸民族と交易や交流を展開していた。 アイヌ民族のサハリン進出――13世紀―― 図1  『元史』巻5、フビライ統治期の至元元年(1264年)11月、骨嵬を征討した記事(右から4~6行目)が記載されている。 1263年11月に、モンゴル帝国の第5代皇帝フビライはアムール川下流域を支配下に組み込むと、そこに居住し

    オホーツク世界と日本
    skam666
    skam666 2015/03/20
    “北海道に居住していたアイヌ民族は13世紀ごろから北はサハリンに、東は千島列島からカムチャツカ半島に進出して北方の諸民族と交易や交流を展開していた”
  • 「アラブの春」革命から4年、先行き不透明なのは何故か

    2011年初頭から中東諸国で格化した一連の民主化運動「アラブの春」により政権交代を迎えた国々は、今、それぞれがトンネルの闇の中にいる。1月25日に革命4周年を迎えたエジプトの『アルアハラーム』新聞記者が、エジプト、チュニジア、イエメン、リビアおよびシリアの革命の現状を分析する。 祝えぬエジプト革命記念日 エジプトの1月25日革命4周年記念日にあたり、分裂、騒乱、緊張と悲嘆が支配する陰な空気の中、稿を書いている。悲嘆というのは、アブドッラー・サウジアラビア国王の逝去に哀悼の意を表して革命記念の公式イベントがキャンセルになったからばかりでなく、刑事裁判所の判決を受けて革命4周年の直前に検察が汚職で告発されたムバラク元大統領の息子2人の釈放を決定したためだけでもない。 この瞬間にも、エジプト国民自身の間に、1月25日という日のエジプトの歴史における重要性についての議論が拡大しつつあるからで

    「アラブの春」革命から4年、先行き不透明なのは何故か
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    skam666 2015/01/29
    “アラブの春から4年が過ぎた。ほとんどのアラブ人は失望し、落胆している。シリア、イエメンやリビアの情勢は少し目を向ければ十分明らかなとおり、分裂や内戦に見舞われている”
  • チベットの刺繍仏教画が52億円!

    2014年11月26日、香港のコンベンションセンターで開催されたクリスティーズの秋期オークションで中国・明代(1368~1644年)のチベットの刺繍仏教画が何と3億4840万香港ドル(約52億円)で落札された。もちろん、これは国際規模のオークションハウスで扱われた中国美術の落札最高額で、中国では美術品や玉(ぎょく)、さらには切手までが軒並み高騰、バブル状態を呈している。 しかし、中国経済にかつてのような勢いはなく、政府は経済成長目標「7.5%前後」の達成に四苦八苦。そんな中での美術品市場の異常な盛り上がり。中国バブル経済の末期症状だとみる向きもある。 チベット仏教画に巨匠ゴッホの名画並み価格 52億円で落札された『明永楽御製紅閻摩敵刺繍唐卡』 (提供:クリスティーズ、© Christie's Images Ltd.) この刺繍仏教画は「明永楽御製(みんえいらくぎょせい)紅閻摩敵(ほんえんま

    チベットの刺繍仏教画が52億円!
    skam666
    skam666 2014/12/08
    “香港のコンベンションセンターで開催されたクリスティーズの秋期オークションで中国・明代(1368~1644年)のチベットの刺繍仏教画が何と3億4840万香港ドル(約52億円)で落札された”
  • 「靖国神社」の基礎知識

    毎年8月15日の終戦記念日になると、首相や閣僚の靖国神社参拝問題が大きくクロースアップされる。そのたびに、中国韓国などが厳しい批判や反発を繰り返し、関係が冷却化している。安倍晋三首相は2013年12月26日に靖国神社を参拝したが、その影響で日中、日韓両国関係は急速に悪化した。国内外に波紋を投げかける靖国神社とは、そもそもどのような神社なのか。それを取り巻く宗教的、歴史的、そして政治的な意味合いなどについて、日人ですら意外に知らない基礎情報をまとめてみた。 明治新政府の戦死者を祀る「東京招魂社」として創建 靖国神社境内に建つ大村益次郎銅像(提供・fujifotos/aflo) 靖国神社(正式名称は靖國神社)は、江戸時代の幕末、長州藩(山口県)で1863年に結成された奇兵隊士の霊を弔うために、高杉晋作(1839~1867年)が招魂社造営を発議したことに始まる。その後、68年の戊辰(ぼしん)

    「靖国神社」の基礎知識
    skam666
    skam666 2014/08/13
    “靖国神社とは、そもそもどのような神社なのか。それを取り巻く宗教的、歴史的、そして政治的な意味合いなどについて、日本人ですら意外に知らない基礎情報をまとめてみた”
  • 開発経済学から見た日本のODA

    開発途上国の貧困削減、経済発展のため、日のODAは今後どのようなアプローチで臨めばいいのか。気鋭の開発経済学者が提言する。 成果はあったが知られていない日の援助サケの生産が盛んで、日に大量にサケを輸出している国はどこか。答えは、チリである。それでは南半球で、大豆の生産が盛んな国はどこか。ブラジルである。しかし40~50年前には、チリには一匹のサケも生存していなかったし、ブラジルは大豆の大生産地ではなかった。それでは誰がチリでサケの養殖を始めたのか、誰が不毛と信じられていたブラジルのセラードという広大な土地で大豆の栽培を始めたのか。答えは日人であり、JICA(現在の国際協力機構)である。しかしこれらの偉業を誰が実現したかについては、日ばかりでなく外国でも知られていない。世界銀行では、チリのサケやブラジルの大豆の生産の大成功はしばしば話題にのぼるが、日がそれに貢献したという認識はな

    開発経済学から見た日本のODA
    skam666
    skam666 2014/08/06
    “水稲の場合にはアジアの技術がそのままアフリカで通用することがわかってきた(略)筆者はJICAにCARD(アフリカ稲作振興のための共同体)を組織することを推奨し2008年から10年間でコメ生産を倍増することを目指している”
  • 保守派の中国も改革派の中国もない、あるのは一つ、解放軍の中国

    今年、中国の6・4動乱(天安門事件)から25周年を迎えた。この25年間に現代中国の可能性についての「命題」が数多く消滅し、中国自体が大きく変質してしまった。それが何であるかについてここで改めて確認しておきたい。 消失した命題は、たとえば「経済発展につれて政治の現代化も実現する」である。あえてもう一つ命題を付加したい。「結社の自由の公認は中国経済の発展にとって論理的必然性を有する」である。中国経済の発展のためには付加価値生産性の増大が必要である。経済成長を労働投入と資投入の2つだけに帰着させてはならない。成長寄与要因としての付加価値生産性を拡大させるためには、研究開発や人的資の高度化が必要なことは論をまたない。しかしそのためには、結社の自由は不可欠である。ところが6・4動乱以降、政治の現代化は基的に否定され、その結果、結社の自由に至っては、その可能性がようとして展望できない。間違いなく

    保守派の中国も改革派の中国もない、あるのは一つ、解放軍の中国
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    skam666 2014/06/20
    “新たな党軍関係が平和的台頭を潰した” “中国は近隣諸国の信頼を求めてはいない”
  • 水面下で大詰めを迎えたTPP交渉

    「秘密主義」を原則とするTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉も、最終局面が近づくに従って少しずつ内容が外に漏れてくるようになってきた。なにより市場開放に伴う国内調整が必要な段階になると、各国とも「このことは内密に」などと言っていられなくなる。日政府も徐々にその作業に取り掛かり始めたように見受けられる。 ずいぶん「大人」になった日の通商交渉もちろん合意が近いという確証はない。5月19~20日にシンガポールで行われたTPP閣僚交渉においても各国は合意に至らず、7月に開かれる首席交渉官会合に向けて、対立点の解消に努めることになっている。 ただし、今年の11月4日に中間選挙を控えている米国事情を勘案すると、オバマ政権はこの夏くらいまでに合意をまとめあげたいと考えているだろう。もしも交渉に「脈がない」のであれば、むしろ早めにダメージコントロールに取り掛かる方が合理的である。最近のフロマン通商

    水面下で大詰めを迎えたTPP交渉
    skam666
    skam666 2014/06/07
    “今まで日本のFTA交渉は、良く言えば丁寧、悪く言えば及び腰でスピード感に欠けていた。ところがここにきてドミノ効果が生じ交渉への追い風となっている”
  • 日本人と宗教―「無宗教」と「宗教のようなもの」

    しばしば、日人は無宗教といわれるが、実際はどうなのか。「宗教のようなもの」という観点から、日人と宗教の関わりを読み解く。 大きな反響を呼んだ『日人はなぜ無宗教なのか』1996年に宗教学者・阿満利麿(あま・としまろ)氏が『日人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)というを出した。これは英語韓国語にも翻訳されるなど非常に大きな反響を呼んだ。阿満氏によると、日人は無宗教だと言われてはいるものの、それは「創唱宗教」と比較しているからではないかという。創唱宗教とは、特定の教祖がいて明確な教義を持つ宗教を指す。キリスト教にはイエス・キリストが、仏教にはゴータマ・ブッダが、イスラム教にはムハンマドという教祖がいる。他方、ヒンズー教や神道には特定の始祖がいない。また民間信仰にも特定の始祖は存在せず、いわば無名の人たちによって自然に実践されてきたものである。 日の宗教は創唱宗教から大きな影響を受

    日本人と宗教―「無宗教」と「宗教のようなもの」
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    skam666 2014/03/03
    “強い創唱宗教に出会うと何か戸惑ってしまい、自分は創唱宗教にはなじめないと考える日本人は多い。それが、狭義の「宗教」(創唱宗教)を信じていないという意味で、多くの日本人が自らを「無宗教」と言う理由”
  • アートという“悪魔”に祝福された夫婦の記録 篠原有司男&乃り子

    ニューヨークで活動する日人アーティスト夫を描いたドキュメンタリーが2014年米アカデミー賞にノミネートされ、注目を集めている。逆境にも屈せず芸術の道を突き進む篠原有司男・乃り子夫に胸中を聞いた。 篠原 有司男 SHINOHARA Ushio アーティスト。1932年、東京都生まれ。通称「ギュウチャン」。東京藝術大学中退後、60年に赤瀬川原平、荒川修作、吉村益信らと「ネオダダイズム・オルガナイザーズ」を結成、過激な前衛パフォーマンスやジャンクアートで注目を集める。69年にジョン・D・ロックフェラー3世奨学金を得て渡米、以後ニューヨーク在住。2003年、大塚製薬「ポカリスエット」のCMで福山雅治と代表作「ボクシング・ペインティング」で共演。07年、第48回毎日芸術賞を受賞。12年ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で海外で初の回顧展を開催。 篠原 乃り子 SHINOHARA

    アートという“悪魔”に祝福された夫婦の記録 篠原有司男&乃り子
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    skam666 2014/02/20
    篠原有司男&篠原乃り子夫妻インタビュー
  • 靖国神社と戦犯 合祀に至る道

    毎夏、「戦争犯罪人を祭る靖国神社を、日政治家たちが参拝」というニュースが論議をよぶ。なぜ神社が「犯罪人」を祀(まつ)るに至ったのか。「戦争犯罪人」とはどのような人たちなのか。『東京裁判』の著者である日暮吉延・帝京大学教授が解説。 国際問題化する首相の靖国参拝毎年、8月の暑い夏が近づくと、にわかに靖国神社がスポットライトを浴びる。首相や閣僚が終戦記念日に参拝するのか、また、すべきかどうか、と。 小泉純一郎首相が2001年から2006年まで靖国参拝を続け、これに近隣諸国が激しく反発したことは記憶に新しい。その経験があまりに強烈であったためか、「小泉後」に靖国に参拝した首相はいない。 小泉の説明によると、靖国参拝は不特定多数の戦没者に対する「哀悼、敬意及び感謝の気持ちを捧げる」ことが目的であり、過去の軍国主義を美化するものではない。しかし、毎年8月15日に政府が主催する全国戦没者追悼式は問題

    靖国神社と戦犯 合祀に至る道
    skam666
    skam666 2013/08/21
    “1978年10月17日(中略)A級戦犯の14柱を秘密裡に合祀(中略)この時は大騒動にはならなかった。しかし(中略)1985年8月15日、中曽根康弘首相が靖国公式参拝に踏み切ると、近隣諸国からの激越な批判を浴びることとなった”
  • 日本の「戦没者慰霊」を問い直す

    明治初期の二つの内戦を契機として、日の戦没者慰霊の伝統は中央と地方の二分化の上に築かれてきた。日各地での戦没慰霊の実地調査を踏まえ、靖国神社の成り立ちの特殊性を検証する。 日の戦没者慰霊は、明治維新で斃(たお)れた勤王の志士の国事殉難者慰霊と、戊辰(ぼしん)戦争(※1)という内戦において藩主に従い出征し戦死した官軍方戦死者を君主(天皇および藩主)が慰霊する、という前近代的な「忠臣慰霊」が基となっている。従って、そこには(近代の国民国家における)「祖国」という論理はなかった。それが、日の戦没者慰霊問題の質的な矛盾となっていく。(※2) 大日帝国の戦没者慰霊―君主の忠臣慰霊最初の忠臣慰霊は、明治元年(1868年)京都東山で行われた、禁門の変(※3)と鳥羽伏見の戦い(※4)で斃(たお)れた薩摩・長州など、5藩の戦死者を祀(まつ)る招魂祭(しょうこんさい)からで、翌1869年、靖国神社

    日本の「戦没者慰霊」を問い直す
    skam666
    skam666 2013/08/20
    “靖国神社の合祀資格条件や帝国の軍人資格要件には民族的基準はなかったことになる。だが、このなかに、台湾人だけがいなかった”
  • 日本とイタリアではなぜ首相が「短命」なのか

    1990年代に2党制を目指して小選挙区制を導入した日とイタリア。頻繁な首相の交代など類似点が指摘されている一方で、日伊の比較により、日政治システムの特殊性が浮かび上がってくる。 日政治とイタリア政治の類似性はしばしば指摘されてきた。日では1955年に左右に分裂していた社会党の統一と保守合同により自由民主党が誕生したことから、2党制と政権交代が実現することが期待された。しかし、自民・社会の議席比率は2対1で、政権交代も実現しなかったことから「1か2分の1政党制」と呼ばれた。 ほぼ同時期のイタリアでも第1党のキリスト教民主党と第2党の共産党との間で政権交代がなく、その見込みもない点を強調して、その政党制を不完全な2党制とする見解が出された(※1)。首相と内閣の交代はあっても自民党、キリスト教民主党が政権党であることは変わらず、国政選挙の結果を受けた政権交代は起こらなかった。長期政権が

    日本とイタリアではなぜ首相が「短命」なのか
    skam666
    skam666 2013/08/06
    “1990年代に2党制を目指して小選挙区制を導入した日本とイタリア。頻繁な首相の交代など類似点が指摘されている一方で、日伊の比較により、日本の政治システムの特殊性が浮かび上がってくる”
  • 日本を想い続ける台湾人―元祖・台湾哈日(日本大好き)族、哈日杏子

    1990年代末、台湾に「哈日族」と呼ばれる、日が好きでたまらない若者たちが出現。台湾の大人と日人を驚かせた。「哈日」という言葉を創作した漫画家でエッセイストの哈日杏子さんが、今も続く日への熱い想いを綴った。 2013年現在、みなさんは「哈日(ハーリー、またはハールー)症」と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。懐かしいと思うでしょうか。それとも初めて聞く言葉でしょうか。まずはこの「哈日症」について説明しましょう。 日が好きでたまらないという造語「哈日」 「哈日」という語は、私が創った言葉です。台湾で話される北京語には従来なかった言葉で、1996年に出版した4コマ漫画『早安日(おはよう日)』の中で初めて用い、自分のペンネームにも使いました。「哈」は台湾語(台湾で話される閩南語[びんなんご=中国福建省南部の地方語])の「ha」から来ており、元の意味は「とっても欲しい」「欲しく

    日本を想い続ける台湾人―元祖・台湾哈日(日本大好き)族、哈日杏子
  • ハンセン病:差別的な法律の撤廃に向けて

    ハンセン病患者・回復者の前にはいまなお教育、就職、旅行を阻む法的障壁が立ちはだかっている。なかには差別のために結婚できず、子供を持てない人もいる。日財団と国際法曹協会は最近、こうした不公正な法律の撤廃を求めて国際キャンペーンを始動させた。イギリス人ジャーナリスト、ポール・メリーが取材した。 国際法曹協会(IBA)は、2013年1月24日にロンドンの法曹協会ビルで開催した会合で、ハンセン病患者・回復者に対する偏見と差別を撤廃するための8回目のグローバル・アピールを全面的に支持した。 このアピールは日財団会長で、世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧特別大使および日政府ハンセン病人権啓発大使を務める笹川陽平氏が主導するものである。 人権や平等を重んじている国々でも、現在では完治可能となったハンセン病の患者・回復者に対して明らかに不公正な法令をいまだに継続しているところがある。 41の国と地

    ハンセン病:差別的な法律の撤廃に向けて
    skam666
    skam666 2013/03/04
    “米国では現在でも、入国するすべての移住者や難民に対して、ハンセン病の検査を義務づけている。台湾も、居住を希望する者全員にハンセン病検査を課している”