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ブックマーク / sportsnavi.yahoo.co.jp (6)

  • フィテッセを粉砕したカレンと大津の2トップ - スポーツナビ

    地元紙「デ・リンブルハー」で8の採点を受けたカレン(右)。週間ベストイレブンにも選ばれた【Getty Images】 今、最もオランダで注目を集めている選手が、フィテッセのコートジボワール代表ストライカー、ウィルフレッド・ボニーである。素材の良さは昨季から称賛されていたが、今季は16試合で15ゴールと得点を量産中だ。しかも、フレッド・ルッテン監督に仕込まれ守備でも献身的なプレーを見せ、「さらに価値の高い選手になった」という評価を受けている。 人はこの冬の移籍市場でのステップアップに意欲満々。ローダJC戦ではACミランが視察に来た。しかし、2位につけているフィテッセとしては、何とかボニーを引き止めておきたい。チーム側は「移籍は認めない。1月から南アフリカで行われるアフリカネーションズカップに参加させたくない」と強くボニーの残留を望んでいる。それでもボニーの移籍の可能性が高いことから、ヘラ

    soh335
    soh335 2012/12/11
  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|急成長が光った大型ボランチ扇原貴宏(1/2)

    バーレーン戦、日に待望の先制点をもたらしたのは飛躍を遂げた扇原(左)だった【写真:北村大樹/アフロスポーツ】 バーレーンを崩しきれず、こう着状態のまま前半を0−0で折り返した日。背番号3をつける20歳の大型ボランチ・扇原貴宏は「相手が引いて真ん中を固めていたので、もうちょっとボランチが前に行ってもいいのかな……」と考えつつ様子をうかがっていた。そして、絶好のチャンスが後半10分にようやく訪れた。 濱田水輝の縦パスを受けた左サイドバック・比嘉祐介が、持ち前のスピードを生かして左に流れた原口元気にボールを出した。扇原はこの時、相手DFが下がったのを見逃さず、ペナルティーエリア内に一目散に突き進む。そして利き足ではない右足を思い切り振り抜いた。右足でのゴールは2010年のプロ入り後はもちろん、ユース年代でも記憶にないという。それでも入る時は入るのがサッカーだ。次の瞬間、ネットが激しく揺れ、

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|ジュニーニョ「川崎とともに成長できたのは幸せなこと」(1/3)

    2003年、“神様からの啓示”を受けたジュニーニョが来日し、スポーツ不毛の地とも言われた川崎市に拠地を置く当時J2だった川崎フロンターレの一員となる。7357人を集めた湘南ベルマーレとの第2節(3月22日)のホーム開幕戦に続く、第4節(4月5日)の甲府戦の観客動員数はわずかに2438人。プロスポーツが根付かなかった川崎の厳しい現実との戦いをスタートさせた。 当初は1年限りでブラジルに帰国するつもりが、気がつけばその契約期間は9年間にも及んだ。そんなジュニーニョがプレーした期間と、川崎が強豪クラブへと成長する期間とが、ぴったりと符合しているのは単なる偶然ではない。彼の得点力がチームに勝利をもたらし、川崎は強さを身につけてきたのである。そのジュニーニョが長きにわたる川崎での生活に終止符を打ち、3286人のサポーターに見送られてチームを離れることとなった。(インタビュアー:江藤高志 取材日:

    soh335
    soh335 2011/12/13
  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|「過去を振り返らず、今ここでできることを」FC琉球 我那覇和樹インタビュー (1/2)

    今季よりFC琉球でプレーする元日本代表の我那覇。13年ぶりとなる故郷でのプレーに、つねに前向きな姿勢を見せている【宇都宮徹壱】 元日本代表、我那覇和樹が故郷の沖縄に戻って、ずい分と時間が経ったように感じるのは、私だけではないと思う。今季、JFLのFC琉球の一員となった我那覇は、けがで苦しんだ一時期を除けば、コンスタントにスタメン出場を続けているものの、その動向が話題になることはほとんどまれであると言ってよい。それは、同じ元代表でJFLクラブに移籍した久保竜彦(金沢)や松田直樹(松、故人)と比較すれば明らかである。今季のゴール数が2つしかない(10月2日現在)ことに加えて、沖縄のサッカー事情がなかなか土に伝わりにくいことも関係しているのかもしれない。 我那覇といえば、川崎フロンターレ時代の2006年、J1で32試合に出場して18ゴールを挙げ、チームのACL(アジアチャンピオンズリーグ)

  • 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 対北朝鮮代表(9/2@埼玉スタジアム)メンバー

    【選  手】 氏名       生年月日  身長  体重  所属 GK 楢崎 正剛    1976.04.15 187cm 80kg 名古屋グランパス 都築 龍太    1978.04.18 185cm 81kg 浦和レッズ 川島 永嗣    1983.03.20 185cm 80kg 川崎フロンターレ DF 寺田 周平    1975.06.23 189cm 80kg 川崎フロンターレ 中澤 佑二    1978.02.25 187cm 78kg 横浜F・マリノス 田中 マルクス 闘莉王 1981.04.24 185cm 82kg 浦和レッズ 駒野 友一    1981.07.25 172cm 76kg ジュビロ磐田 阿部 勇樹    1981.09.06 177cm 77kg 浦和レッズ 長友 佑都    1986.09.12 170cm 65kg FC東京 内田 篤人    1988

  • スポーツナビ | 箱根駅伝 第87回(2011年) | トピックス誤算が招いた明暗――2強決戦の舞台裏=箱根駅伝(1/2)

    3連覇を狙う東洋大をわずか21秒差で振り切った早大が18年ぶりの総合優勝を果たし、史上3校目の大学駅伝3冠達成で幕を閉じた第87回箱根駅伝(1月2日、3日)。 しかし、その激しい優勝争いの裏側では、両校ともに大きな誤算を抱えていた――。 ■のちの勝負を揺るがした、早大・1区大迫の起用 「出雲(駅伝)と全日(大学駅伝)を走った佐々木寛文(2年)と志方文典(1年)の“飛車角”を欠いての戦いだった」と言う早大の渡辺康幸監督。 志方は12月頭に右足甲の骨折が判明し、かすかな期待を持ってエントリーメンバーには入れたが、間に合わなかった。そして番1週間前には、佐々木が座骨神経痛でギブアップ。チームは危機的な状況になった。 「当初は5区に佐々木を使い、志方を8区に置いて東洋大の千葉優(4年)を粉砕するつもりだったんです。気持ちが強い猪俣英希(4年)が9区で、三田裕介(3年)か中島賢士(4年)を

    soh335
    soh335 2011/01/04
    早稲田の層の厚さがすごい。
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