閑話休題 三十九年間にわたって日本共産党のトップの座にあった宮本顕治・元中央委員会議長が七月二十三日、老衰のため九十八年の生涯を閉じた。この訃報に接した時、私の中でとっさに甦ってきたものがあった。いわゆる「八四年問題」についての、忘れがたい記憶だ。「八四年問題」とは、一九八四年(昭和五十九年)にわが国の原水爆禁止運動で起きた紛糾で、その後遺症はいまなお深いが、この問題で宮本元議長が決定的な役割を演じたからである。 すべては、あの「赤旗」論文から始まった。 日本共産党の機関紙「赤旗」は八四年四月四、五の両日にわたって『統一の路線と分裂の路線―原水爆禁止運動三〇年の経験と教訓―』という無署名論文を掲載した。それは、おおよそ次のような内容だった。 ①運動が分裂したのは、社会党、総評などの指導部が世界大会に「いかなる国の核実験にも反対」「部分的核実験停止条約支持」など特定の見地を押し付けようとし、