今回は伝応神天皇陵(誉田山古墳)を題材に、近代からのこの指定天皇陵の「美観の設計」について考えてみた。そこから、美観・景観における、「自然」に対する人為についても少し調べていくことになった。 さらに「陵墓の近代史」となると、幕末にあった「文久の修陵」事業のこと、またそれに影響与えた水戸の「尊皇派」についても知っていくことになるのだが、存外にこれらは、著作でもWEBでも取り上げが少ないようなので、ここで最後の章にて書き出しておくことにした。 記事は以下の4つのパートに分けて書いた。 【1】 伝応神天皇陵の概観と紹介 【2】 超越性のランドスケープ ―めまいズーム(ドリー・ズーム)が生じる条件― 【3】 超越性のランドスケープ ―借景式の手法― 【4】 みささぎの森の近代化へ ―幕末「文久の修陵」、明治以降の「美観」― 文久年間以前の様子 文久修陵でかかった費用について 近代