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taknakayamaに関するsphynxのブックマーク (17)

  • 『復活』の狂気 - 横浜逍遙亭

    ギルバート・キャプランというアメリカ人がいて、この人は“マーラーの『復活』だけを振る指揮者”として知られている。業は出版ビジネスで成功をした実業家だが、以前読んだ話によれば、なんでも若い頃に希代の名指揮者、ストコフスキーの演奏をナマで聴いて以来、キャプランは、『復活』の虜になる。そして中年になり、ビジネスマンとして功成った暁に、『復活』を自らの手で演奏したいと指揮のトレーニングを始めるのである。それまで音楽に関しては、ずぶの素人だった人がである。 なにせアメリカで成功した人だから、お金はたっぷりある。教育のために専門家を雇うのは訳がない。だとしても、巨大な邸宅や、豪華ヨットや、贅沢な旅行といった事柄に稼ぎを投入する金持ちはいても、「『復活』を指揮するために」お金と時間とを注ぎ込む金持ちは、どこを探してもキャプラン以外にいないはずだ。当に好きなことを究める熱意が、他人から見ればほとんど狂

    『復活』の狂気 - 横浜逍遙亭
  • 『〈反〉知的独占』無料pdf版を御覧いただけます - 横浜逍遙亭

    以前、池田信夫さんがブログで紹介をしていた知的財産権に関する経済学書『Against Intellectual Monopoly』の邦訳書が私の勤め先から来月刊行されます。 ■知的独占に反対する(『池田信夫 blog(旧館)』2008年7月18日) 刊行に先立って最初の40ページをpdfで公開することにしました。ぜひ、御覧ください。 『〈反〉知的独占』無料ダウンロードページ なんたって『〈反〉知的独占』というタイトルの書籍なので、一定期間全文公開しちゃえと思ったのですが、著作権を持っているアメリカの出版社が思いのほかケチで「全文でやりたいんだったら、その分著作権料をちゃんと払ってね」というので、全体の10%に相当する40ページだけの公開になっちゃいました。 なんにせよ、知的刺激に満ちた素晴らしいですので、ご興味のある方にご覧いただけると嬉しいです。翻訳は山形浩生さんです。

    『〈反〉知的独占』無料pdf版を御覧いただけます - 横浜逍遙亭
  • 赤染晶子著『乙女の密告』 - 横浜逍遙亭

    先月号の文藝春秋は恒例の芥川賞受賞作掲載号だったが、今回の受賞作、赤染晶子著『乙女の密告』はたいへん興味深かった。選評で作品に対する評価がまっぷたつに割れ、積極的支持と積極的不支持が鮮明に別れたのである。 作品は関西の外語女子大でドイツ語を勉強している女子学生を主人公に据える。この人が女子学生ばかりの学校のなかで『アンネの日記』を素材にドイツ語のスピーチを勉強しているというのが作品の世界である。スピーチ大会に向けて勉強する彼女らの間で、集団に波風を立てるような事件が起こり、主人公はそうした日常の小さな事件が積み重なるなかで、アンネ・フランクの人生に思いをめぐらしていくうちに、小説の時間はスピーチコンテストでクライマックスを迎える。 事件が起こると書いたが、この世界で起きる事件は些細なことでしかない。誰がクラスのどちらのグループに加担したか、誰が誰とお友達か、ドイツ人教授が大切にしていた人形

    赤染晶子著『乙女の密告』 - 横浜逍遙亭
  • だから外国に出る必要はないという話ではない - 横浜逍遙亭

    昨日、外国に出ることが外国語を習得するために必ずしも必要とは思わないという話題で遊んだけれど、言うまでもなく、外国に行くことの重要性は外国語を習得するという目的のためにあるわけではない。そんなことはどうでもよいことで、故郷を出ることによってのみ知ることができること、感じることができることが世の中にはあるはずだ。日語をおしゃべりできる友達を伴うことなく、日語のウェブサイトが読める端末を持たず、若者は外国を歩くべきだ。たとえ短い時間でさえ。そう強く思う。未知の土地は人をたくましくする。人にある種の覚醒をもたらす。たぶん中年にとっても、そのことは真実なのだろうと思う。

    だから外国に出る必要はないという話ではない - 横浜逍遙亭
  • 帰国子女がすべからく外国語の達人という訳ではない - 横浜逍遙亭

    勤め人をいったんやめてシンガポールで大学院生を始めたid:phoさんの英語に関するエントリーは、英語学習の勘所を上手に言い当てている。 「外国に行くと、外国語に慣れることはできる。でも、上達するかどうかは別の話」とphoさんは言うのだが、まさにそのとおりだと思う。外国で生活した経験のある方には、phoさんの言わんとしていることはとてもよく分かるのではないかと思う。 ■海外に住むと英語が上達するのか(『technophobia』2010念9月20日) 僕は、慣れたけれど上達はしなかった典型的な口である。4年と半年もいると、その国の言葉には少々は慣れる。慣れるとどうなるか。日常的な受け答えみたいなことについてはあまり苦にならなくなる。挨拶したり、買い物したり、電話をしてあれこれと出張の予約をしたり。こうしたことは、日常の中で頻繁に繰り返されるので、“慣れる”のである。これらのやりとりは、ある意

    帰国子女がすべからく外国語の達人という訳ではない - 横浜逍遙亭
  • 女の子が空から降ってくる世界で - 横浜逍遙亭

    少し以前に「女の子が空から降ってきた」をテーマにして創作を発表するというイベントがはてなのどこかで、誰かの発案で実施されたはずだ。あるブログを読んでいるときに、そのイベントに関するエントリーを目にし、好奇心がそよいだ。そこに進んで参加するつもりにはならなかったものの、意表をついたイベントを発案した人の才気煥発さに刺激を受けるとともに、「空から降ってくる女の子」のイメージが目の前に浮かんで、そこから何かを言わなければいけないような気分に襲われたことを白状してみよう。 「空から降ってくる女の子」のイメージは僕の中で真っ二つに分かれている。右側の映像は宮崎駿の『天空の城ラピュタ』のそれで、ヒロインの女の子が、主人公の男の子の立つ場所に光り輝きながら、ふわふわと、漂うように降りてくる、美しいイメージ。左側のもう一方の映像は、いやこれは正確に体験として目にしたのは映像ではなく、静止画像、新聞・雑誌の

    女の子が空から降ってくる世界で - 横浜逍遙亭
  • 例えばテントを背負って欧州の街を歩いてみたり - 横浜逍遙亭

    20歳のときに初めて海外旅行をした。忘れもしない、1980年のことだ。バックパックを背負ってヨーロッパを40日間一人旅。頑張ってアルバイトで稼いだお小遣いで安売りの航空券を買い(パンナムの南回り便だった)、滞在費も出来る限り切り詰めて日数を確保する。そのために友人に教えてもらった米国の貧乏旅行のバイブル「Let's go Europe」を丸善で買い求め、目を皿のようにして情報を収集し、西ドイツやオーストリア大使館に出かけて夏の音楽祭の情報などを狩猟した。 その時にもっともお金を絞ったのは宿。当時、安宿といえばユースホステルを使うのが常套手段だったが、山登りが趣味だった僕はキャンプ場を活用した。これは「Let's go Europe」を読んで得た情報なのだが、欧州には日アメリカでは考えられないことながら都市の真ん中ですらキャンプ場がある。少なくとも当時はそうだった。そこに一人用のテントを

    例えばテントを背負って欧州の街を歩いてみたり - 横浜逍遙亭
  • 自然は変わらないが、人の欲望はもっと変わらない - 横浜逍遙亭

    先日、白馬岳の帰りがけに蓮華温泉を訪れたら、蓮華温泉ロッジの廊下に、日アルプスの紹介者にして日に近代登山を導入した人物であるウォルター・ウェストンの写真と、彼がこの地を訪れたことを紹介する一文が掲げてあった。 ウェストンは、19世紀後半の神戸や横浜に住んだ英国人で、登山を趣味とし、欧州アルプスも歩いていたアルピニストだった。そんな人物が仕事で数年間滞在した日の山に興味を引かれ、土地の漁師らをガイドやポーターに雇いながら、毎年のように北アルプスを中心とした信州の山々を踏破する。猟のための登山と信仰登山しか存在しなかった当時の我が国において、楽しみのために山を登ろうとする人間など外国人しかおらず、ウェストンは日アルプスの事実上の命名者(この言葉を最初に使ったのは別の英国人だそうだが)にして、ありんこのように連なって夏の稜線を歩くものずきの先祖となった。 毎年上高地では、ウェストン祭と呼

    自然は変わらないが、人の欲望はもっと変わらない - 横浜逍遙亭
  • 名和小太郎著『著作権2.0』 - 横浜逍遙亭

    勤め先で一月ほど前に出したで、とくに話題にもなっていないが、これはビジネス書としてすばらしい一冊。ITビジネスにかかわる多くの方にお勧めしたい。 現在、国際的な著作権のあり方を基礎付けている国際条約であるベルヌ条約が、その制定当時に存在した、どのような社会情勢、技術の状況、メディアをめぐる需給の関係を基にできあがったものか、19世紀の状況に適合するように定められた著作権をめぐる考え方が、現在においては如何に時代遅れであり、目下のメディア需給環境に適合しないものであるかを、平易な表現で整理し、「新しい革袋(=新たな著作権)」の必要性を明らかにしたである。 メディアを規定する技術があり、それをビジネスとして供給する者がおり、メディアを消費したい消費者がいる。時代が移り、技術が変化し進化するのを受けて、ビジネスの形態は変化し、同時に消費する側の欲望も変わる。そうであれば、アーチストやクリエイ

    名和小太郎著『著作権2.0』 - 横浜逍遙亭
  • 塗り替えられていく記憶、常に新しい記憶 - 横浜逍遙亭

    撮った写真を最初に見たときに「実物と違う!」という違和感を持つという話を昨日書いたけれど、多くの場合、次の瞬間にはその写真に目は奪われ、その撮った写真を記憶する以上のことができなくなる。実体験は写真によって上書きされてしまう。 しかし、中年になって記憶力が減退している僕は、せめて写真を見ないかぎり思い出すものがないことが当たり前の日常に足を踏み入れてしまっている。いや、ほんとに見事に忘れる。数日前の出来事すら、ヴェールがかかっているのは普通のこと。一年前のことになれば、いったい何を覚えているだろう? 写真やライフログは僕のような記憶力の減退している者に記憶を、過去を保証してくれるだろうか? 写真は撮られたその瞬間に当の体験を上書きする性質を持つのであれば、ライフログとして残るのは、偽の記憶と言えなくもない。ブログも大きな意味では、そうした記憶装置として機能するわけだが、ここに記録されてい

    塗り替えられていく記憶、常に新しい記憶 - 横浜逍遙亭
  • 宮崎のおっちゃんの言うことはきらいじゃない - 横浜逍遙亭

    宮崎駿さんのことですけど。 他人の受け売りですが、おっちゃんは、養老孟司さんとの対談で、「情報とかインターネットっていうのは、基的に相手を操作しようとする願望じゃないかと思うんです。相手に自分の影響力を与えたいということなのではないか。」と語っているそうな。 ■「虫眼とアニ眼」から(『勇気と想像力、そして少々のお金』2010年8月18日) また、これも最近ネット上で大いに話題になっていたが、iPad特集を組んだジブリのPR紙上で、機器を操作して見せたインタビュアーに対し、嫌悪感をあからさまに表現してもいるらしい。 ■Slashdotの記事より 日のクリエイティブの世界に君臨する、と言ったら大袈裟に過ぎるのかもしれず、それこそそういう物言いをすればご人は怒りそうだが、ともあれそういう宮崎さんが語ったから話題にもなる。でも、これ、新しいものに理解を示したがらない偏屈なおやじの率直な感慨じ

    宮崎のおっちゃんの言うことはきらいじゃない - 横浜逍遙亭
  • 小さいけれど、はっきりとした心の高揚 - 横浜逍遙亭

    technophobia』のphoさんがこれまで携わってきた特許関係の仕事をいったん辞めて、キャリアを深めるためにシンガポールの大学院に行ったり、勢川さんが、ミシン型発電機の延長線上でインドに行ったり、このところ立て続けにこの界隈で海外体験にまつわる話題が発信された。 ■インドで(『勢川びきのX記』2010年7月29日) この地に来たからか、仕事を辞めたからか、原因はいまいちわからないけど毎日楽しい。仕事はそんなに嫌いじゃなかったんだけど、想像してた以上に今のびのびしている。かつて当たり前だと思われていたことは、一時的にそうなっていただけで、別に当たり前でも何でもないし、実際に離れてみるまでわからなかったことばかりだと気付かされる。少しどうでもいいと思っていたことが、当にどうでもよく感じたりする。 (■一週間経った(『technophobia』2010年7月28日)) 勢川さんがマンガ

    小さいけれど、はっきりとした心の高揚 - 横浜逍遙亭
  • 東京国際ブックフェア - 横浜逍遙亭

    東京国際ブックフェアに行く。一昨年、昨年に続いて3度目の訪問だが、過去2度の体験と比べると、今年のショーの様子はかなり違って見えた。昨年まではいかにもの展示会ですという体裁だったのに、今年はむしろITの催し物に出版社の出展がくっついているかのような印象である。出版社は個々のブースがいつもよりも小さく、出展社も減っている様子。ここに来ると、普段屋さんに出ていないや、値引き販売のがあって、買い物をするかしないかはともかく、それらを冷やかすのが楽しみなのに、今年はの数自体が少ない。象徴的なのは輸入のワゴンセールコーナーで、いつもなら会場奥の広いスペースに黒山の人だかりといった風情だが、今年は壁沿いにか細い一列が設けてあるだけ。「いちおうやってます」という程度で見る影もない。 ところが、帰宅してテレビニュースをつけると、NHKでも、テレビ朝日を見ても、この展示会の模様が紹介されており、

    東京国際ブックフェア - 横浜逍遙亭
  • 電光一閃 - 横浜逍遙亭

    ある種の情報はその神秘性ゆえに付加価値をまとう。こういうのは辛いねえ。 ■しゃーないから、My Open Archiveに投稿してみたyo!(『simpleA』2010年7月6日) ■「おとといきやがれ」って言われたので、これはチャンスだね(『simpleA』2010年7月8日) 評価軸をずらせて新しいフィールドをつくっちゃおうというのはさすが金城さんだと思う。それもそうだが、加えて、明るい悪意というか、白日の下で価値のないものをはっきりと漂白したい明確な意思というか、そういうものも感じる。 こうしたエントリーがあるからブログは馬鹿にできず、やめられない。

    電光一閃 - 横浜逍遙亭
  • 子供のスポーツで監督になり、いばっているおじさんの気持ち悪さ - 横浜逍遙亭

    『もしドラ』の高校野球部マネージャーである主人公が「甲子園に行く!」をチームの目標に定めたのは、現実にはマネジメントの失敗につながりかねないという、ちょっと大人げなく聞こえるおそれもある感想を前回のエントリーに書いた。ところが実際の高校野球では、とてもそこまでの実力がないチームが「甲子園をめざします!」と語るようなのである。その結果、怏々として何が起こるかと言えば、甲子園をめざすための科学的なマネジメントの導入ではなくて、土にまみれる猛練習と精神論の跋扈である。そして、僕の個人的な知見の範疇でだが、驚くほど多くの子どもたちが体をこわす。明らかに指導が間違っていると僕は思うのだが、それらの犠牲はチームを成長させるための肥やしだと達観されているのだろう。反省は見られない。肩を壊す連中が出るような猛練習を乗り越えて剛速球を投げるピッチャー、200球の投球をなんとも思わないピッチャーを作ることがチ

    子供のスポーツで監督になり、いばっているおじさんの気持ち悪さ - 横浜逍遙亭
  • 記号消費の時代が終わりつつあるのか - 横浜逍遙亭

    いま、佐々木俊尚さんの電子書籍電子書籍の衝撃』をiPhoneの小さな画面で読んでいる。5章立ての作品の真ん中辺りに相当する第3章にさしかかっているところだが、そこで縷々説明をされているのが、記号消費の時代が終わり、マスメディアが機能しなくなり、みんなが一つの音楽に群がる時代が過去のものになってしまっているという話。現象としては、物事の進み行きはそうかもしれないが、佐々木さんの説明には違和感がある。 音楽の世界で、ゼロ年代になってからミリオンセラーが急激に減っている事実を紹介し、佐々木さんはその理由についてこういう語りをする。 要因は複合的です。 最大の要因は、「みんなでひとつの感性を共有する」という「マス感性」の記号消費自体が疲労し、行き詰まってしまったことです。 続いて佐々木さんは日の経済・社会の変化が変化し、一億層中流社会が崩壊していく時代において「「みんなと同じものを買う」と

    記号消費の時代が終わりつつあるのか - 横浜逍遙亭
  • 雑感 - 横浜逍遙亭

    父親が死んで、母親の生活に関与するようになってからというもの、他のことは、仕事趣味も、音楽読書も、どうでもよいと言えば語弊があるが、当に自分が関心があることからこぼれ落ちている。そう言ってしまってよいような時間が続いている。もちろんブログも例外ではないし、勝った負けたと騒ぐようなサイト、あれが好き、これが嫌いと放言するような内容のコンテンツは読みたいとも思わないという時期が、かれこれもう1年数ヶ月ものあいだ続いてきた。 たぶん、それはまともな反応であったように思うし、その先にあるものとして、今日の、こういうエントリーを書けたことは、ひとつの前進かなという気がする。人はいくつになっても前進しなければならない。そう自分自身に向けて書くことにする。このように書くことは、ブログを自らにとって重要なものと考えていることの証でもある。他人様にはどうでもいいような話だが。

    雑感 - 横浜逍遙亭
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