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hachiに関するsphynxのブックマーク (24)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    超久しぶりにを読む【やっとこすっとこおれカネゴン】。二周忌ということで「J・G・バラードの千年王国ユーザーズガイド」。 要約するとこんな感じ: SFは好きだけどスターウォーズは嫌い SFは好きだけどSF評論家は嫌い 上海大好き シュールレアリズム大好き バロウズ大好き インナースペース大好き 自動車大好き 古典文学を若いうちに読破して損したと思っている 広島・長崎に落とされた原爆は世界平和に貢献したと信じている 同書で、「今後殺人を企む者はそれをTVや映画の制作プロダクションにその企画を売り込んで殺害現場を撮影してもらうだろう」という、まんまI・餓男-アウイエオボーイな思い付きが書かれているのを見つける。後、あまりにも有名なあの文も収録されていた。 いずれにしろSFを愛するあまりSFのことでじたばたするという、最近めっきり見かけなくなった青臭い何かを久しぶりに見た思い【臭い漂うおれカネゴ

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    sphynx
    sphynx 2011/05/08
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    ついでに、今まで一度もまともに聴く機会のなかった近田春夫を初めて聴いてみる。 新旧問わず聴いてみて、この人が結局何をしたかったのか、彼のデーモン・コアがどこにも見つからなくて焦る。この間タモリ倶楽部を見ていて、赤塚不二夫の漫画にしか出てこなさそうなすごくダメな業界人みたいな人が映っててよく見たら近田春夫だったということがあったのだけど、見た目に惑わされないよう映像を消して聴かないといけなかったりするのだろうか【うっすら無礼なおれカネゴン】。そういうことをわざとしそうな人のような気がしないでもない。カネゴンは鈍いので、何十年も頭の中で転がして味わわないとよさがわからなかったりする。 聞くところによると、ピアノが死ぬほどうまいのにもう全然人前で弾いたりしていないらしいので、少なくとも楽器フェチではなさそう。 今更気付いたのだけど、デビュー当時のYMOがまるまるバックを務めたアルバムがあるのに、

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2011/05/08
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    今となっては遅いのだけど、大野一雄とローワン・アトキンソンの頂上対決は、万難を排して実現すべきだった。死闘の末に立ち上がり勝ち残るのは果たしてどちらだったのか。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2011/04/24
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    朝日新聞Beに載っていたサルビアの花の話が反響を呼んでいるみたいなのだけど、同記事でカネゴンが一番身につまされたのは【勝手につまさるおれカネゴン】、プロデューサー佐久間正英(=元プラスチックス)が長年のファンと称してつらっと語った早川義男像: 悪い意味で子供。 20年以上も音楽のことを忘れ、ひたすら屋の親父として現実に身体を密着させて働いた挙げ句にこの一言でまとめられるとは。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/10/26
  • ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法 - あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記

    ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法: たった今から明日までに、何かのテーマに沿った名前を200以上考えてくる。それぞれの名前には必ずその由来も示すこと (月形龍之介=月形半平太と机龍之介からのいただき、など)。 200作れない場合はもの作りについて即座にあきらめ、別の道を選ぶこと。 テーマの例: 戦隊物のメンバーの名前 敵となる悪の組織の首領幹部のすべての名前 絵画/美術品/曲のタイトル 書籍のタイトル 論文のタイトル TV番組名 新しく立ち上げる劇団の名前 お笑いコンビの名前 新党の名前 何の根拠もなく書いているのだけど【それがいつものおれカネゴン】、もの作りの能力が最も必要となるのが、この「それっぽい架空の名前を何のためらいも恥じらいもなく次から次に作り出す」ことだとカネゴン思ってしまう。極端な話、創作のできない人はまず間違いなくこの関門をクリア

    ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法 - あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
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    sphynx 2010/06/29
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    著名な科学者曰く「人類はあと100年以内に絶滅する」 人類滅亡という言葉ほど私たちを心の底からトロトロに溶かしてしまう甘美な魅力に満ちあふれたものが他にあるだろうか【心の底からおれカネゴン】。それが証拠に、人類絶滅をテーマにしたお話しは遥か昔のハルマゲドンからデビルマンを経て北斗の拳まで枚挙に暇がなさすぎる。世に掃いて捨てるほど溢れかえっている各種のお話の3つに1つぐらいは人類絶滅がテーマになっているような気がする。これほど人気が高いのであれば、選挙の公約に人類滅亡を掲げれば続々と票が集まること間違いなし【悪評ともどもおれカネゴン】。 なぜ人類滅亡という言葉はいついかなる時もこれほどまでにカネゴンたちの心を強烈に惹きつけて止まないのだろう。自分が死にたくないという素直な恐怖より、こんな凄いシーンに立ちあってそれを目撃できるチャンスに恵まれるというくじ運の良さの方がどういうわけか圧倒的にカネ

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/06/29
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    南部陽一郎の独創性の秘密をさぐる。 ちょうどこの間「質量はどのように生まれるのか―素粒子物理最大のミステリーに迫る (ブルーバックス)」という素晴らしいを読んで、南部博士の最大の功績の一つが「真空を再定義した」ことだったと今更知った【毎度今更おれカネゴン】。カネゴンが勝手にかいつまんだところによると、「これ以上何も取り去れない最低の状態、でこぼこをこれ以上均しようもないほど究極に均一な状態であれば、たとえそこに何かがあったとしてもそれは真空とみなせる。たとえば、風もなくさざなみも立っていない水面というものがあれば、アメンボウにとってそれは真空と同じである」という、壮絶な逆転の発想【真空生活おれカネゴン】。 ところで、前にも書いたことがあるような気がするのだけど、真空中における対生成と対消滅は、地球のような重力圏から遠く離れた宇宙空間でも地表と同じ頻度で発生するのだろうか。もっと言えば、L

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/06/07
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「土下座民主主義」の勝利。 4月13日、遼寧省庄河市政府の玄関前広場で、村幹部の腐敗を直訴するために集まった庄河市龍王廟村の村民千人以上がいっせいに土下座して、孫明という名の市長との面会を求めた。1時間以上土下座していても市長は姿を現さなかったが、この場面が映像となってネットで流され大きな波紋を呼んだ。出てこなかった孫明市長の「怠慢」に対し全国から批判の声が上がったのである。 その2週間後の4月29日、上級政府の意向により、孫明市長はとうとう不意な「辞任」を強いられ、村民たちが訴えた村の腐敗幹部も解任された。2人の共産党幹部の首が村民たちの土下座によって切られた格好だが、政権はなぜ、民衆の「土下座嘆願」をそれほど恐れているのだろうか。 民が官に土下座して嘆願するのはもともと、近代以前の中国・専制政治下の古い慣習である。今の共産党政権は自分自身のことを「人民による人民の政権」だと標榜(ひょ

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/06/07
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    先週と逆のことを書いてしまうのだけど、歴史というものはそんなに大事なのだろうか【豹変上等おれカネゴン】。 医者の目的が患者を減らすことであるように、実は歴史の目的はそれがなくても誰もが安寧に生きて行けるまでに現状と未来を充実させることであり、歴史というものがあるうちはいつまでたっても不幸なままだったりしないだろうか。 想像するしかないのだけれど、連綿と続いている家元や宗家に生まれた子は、たぶんそうした歴史を密かに恨んでいる【恨んでみたいおれカネゴン】。 そして歴史上の出来事は、時間軸上に並ぶよりも、実はすべてのことどもが横一列に、時間と無関係に並ぶのがより幸せな姿だったりしないだろうか。何事も数千年数万年数億年経つと、数十年の前後関係の違いなどは関係なくなってしまうわけで、早いとこ歴史をギュンギュンに早送りして、いいことも悪いことも面白いことも悲しいこともみなおしなべて横一列に並べてしまっ

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/05/24
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    Twitterの名言botまとめ。Twitterはもうこれだけでよかったりして【使えておらぬおれカネゴン】。名言でも何でもないもの多数につき注意。 ところで、世に名言は数あれど、実際に人の行動に影響を及ぼしたことのあるものはいったいどれぐらいあるのだろう。実はびっくりするぐらい少なかったりして。 カネゴンの場合、自分の行動を実際に変えたのは以下の2つだけでした【薬の効かぬおれカネゴン】。 手を空っぽにして歩かない。ものを片づけつつ歩く。(結城浩) 意志が弱いとか、努力が苦手というのは、長所にはなりえないからね。(色川武大) 皆様の場合、どんな言葉が実際に行動を変えたのでしょうか。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/05/22
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    和服というものは来びっちりと着るものではないということ。街で見かけるようなよそ行きの窮屈な着こなしでは身動きが取れなくなり、家事や日常の動作ができなくなるからだそうだ。TVの時代劇でも、女性の和服の着こなしが非現実的なまでにびっちりしているのは、時代考証として正確ではなく、たとえば実際の篤姫の写真ではもっとルーズに着ていたりするとも。 もう一つ、女性の和服の非公式な機能として、脇にわざと縫い合わせていないスリットがあり(今調べたら「身八つ口」という名称だった)、表向きの理由とは別に、男がそこから手を差し入れて愛撫するという目的もあるのだそうだ。さらに、和服の女性が男を右隣に座らせるということはその動作を許すことであり、左隣に座らせるということはそれを許さないという含みがあるとのこと。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/05/16
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    所在なくてふと、丁寧を表す「お」をことごとく「ど」に変えてみる。ど片付け。どビール。どしょうゆ。どしぼり。どヤクザ。どしまい。満員どん礼【どめめの覚めぬおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/05/15
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    どうにかして後もう少しだけ立派な人間になりたくて【何でも欲しがるおれカネゴン】、実は1月から、以前からやってみたいと思っていた合気道というものを始めてしまったところ、思いのほかずっぽりとはまってしまって自分で驚く。時に肋骨にひびが入ったりしたこともあるけれど、戦闘マシーンとしての訓練を重ねることが何だかむやみに面白くて仕方がない。 なお、内田樹先生のブログを読んだからではありません【必死の言い訳おれカネゴン】。 それまで健康的な汗をかくことなどほぼ皆無の半生だったのだけど【かびた布団のおれカネゴン】、稽古を始めてしばらくすると、ここ十年ばかりカネゴンにおはようからおやすみまでいついかなるときもつきまとって離れることのなかった、消えてなくなりたいという強い衝動が、どういうわけかきれいさっぱりどこかに飛び去ってしまった【希死と念慮とおれカネゴン】。 そしてそれとともに、カネゴンは先祖の言葉【】

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/05/13
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「つまり、麻雀にせよ、何にしろ、そこにあったのはいつも「努力」ではなく「工夫」だったと思う。「工夫」があれば何事も楽しくできるのだ。「努力」をしようとすればかならず余計な力が入る。練習して上達を続けるには力が入っていてはダメだ。」 「私は道場で「勝つ」ことを求めず、「負けない」気持ちでやれと言っている。「勝つ」は人がつくりだす欲望だが、「負けない」は野生の動物がもっているような能に近いところからくるものだ。」 http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1195.html つまるところは、リラックスするため、力量をのびのびと発揮させるための方法論なのだとカネゴン理解【圧縮しすぎのおれカネゴン】。それをこんな意表を衝く形で表現したところに、文学にこれっぽっちも毒されずに済んだ桜井章一の凄さがあるというか何と言うか【濁らせたまうおれカネゴン

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    sphynx 2010/04/18
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    どんな不合理なことでも、いかなる矛盾に満ちていても、それを毎日欠かさず繰り返せば合理的になってしまいます【そうして暮らすおれカネゴン】。 逆に言えば、合理性は学習しないと身に付かないし、学ばないうちはどんなまっとうなことでもその人にとっては非合理的だったりするし、合理性の対象を間違えたら悲惨なことになる【悲惨であったおれカネゴン】。

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    sphynx 2010/04/13
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    今頃になって町山さんのポッドキャストを数年前のものから一気に聞きまくっているのだけど【涙で追うのはおれカネゴン】、その中でリチャード・マシスンの「オメガマン」について言及していた。例によって記憶ベース。 この映画(というか脚)や「猿の惑星」なんかもそうだし、多くのゾンビ映画もそうなんだけど、要するに「多数派/主流派が知らないうちに少数派に転落することへの恐怖」が描かれているんですよ。 一人でも多くの人にこの恐怖を味わってもらうために他のことに例えるとだいたいこんな感じだろうか【マイナー目線のおれカネゴン】。 主流科学がいつの間にかトンデモ科学に追いつかれ追い落とされる話 主流派経済学がいつの間にかリフレ派によって壁際に追いつめられる話 コンテンツのほぼすべてがいつの間にか秋葉系エロマンガによって占められてしまう話 生演奏がいつの間にか宅録テクノに駆逐されてしまう話 のびのびと若さを謳歌し

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    sphynx 2010/04/13
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    子供に読んで聞かせている「シンドバッドの冒険」の台詞で ...それでもいよいよべ物がなくなるときが来た。 「ああ、かみさま、わたしはこれから死にます。さようなら」 とあるのだけど、最後のところは「こんにちは」が正しいのではないだろうか【門前払いのおれカネゴン】。

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    sphynx 2010/03/16
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    といって東洋がいいとも限らなかったりする。東洋の場合、何でも包含しようとして、結局手を拱いたまま何にもせず、関係者が全員死に絶えるまで先送りして問題をなかったことにするというのがありがちだったりするので【得意の技とおれカネゴン】。

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    sphynx 2010/03/09
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    山中俊二さんの「亀の井別荘のスーパーノーマル」。そこにないものを見いだす眼力が素晴らしい。 一言でいうとデザイナー泣かせの旅館です。いわゆる「良くデザインされている」と言えそうなところが見当たらないのです。調度品にも特別な感じはなく、庭の造りも一見無造作。にもかかわらず、空間自体に圧倒的な居心地の良さがある。これはなんか不思議だなと歩き回っているうちに、二つのことに気がつきました。 まず、不愉快な色がどこにもないのです。決してミニマルな空間ではなく、必要なものはなんでも揃っているのですが、調和を壊すような質感や色彩が丁寧に除かれている感じ。 もうひとつは、恐ろしいほどに掃除とメンテナンスが行き届いていること。廊下の明かり取りの桟にすら、ほこりが積もっていないのです。信じがたくて、嫁チェックする姑みたいに、指でいろいろな隅っこをなでてしまいました。 共通して言える事は、美意識などという尊大な

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/03/09
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    例の「その科学が成功を決める」を読んで、全然違うことを考える【毎度毎度のおれカネゴン】。 新旧聖書や各種仏典、コーランなどにはなぜかライフハック的な記述がない。ここでいうライフハック的とは「そのためには、ちょっとこうすれば、ほらこんなにうまくできますよ」的なおばあちゃんの知恵袋的な記述のこと。 強いて言うなら十戒の下にある無数の詳細項目がそれっぽいのだけど、「羊はこう殺せ」みたいなことは書かれていても、それはひたすら指示にとどまり、その理由も能率の向上についても一切口を閉ざしている。 裏旧約聖書ともいうべきタルムードもちょっとそれっぽいような気がしないでもないのだけど、名言の形式に圧縮されており、解凍展開は各自に任されている。 どうやらライフハックの寿命は考えられているよりずっと短いのかもしれない。うかつにライフハックを教典に記載すると、千年どころか十年で改訂を余儀なくされ、恥ずかしくて見

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    sphynx 2010/03/09