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表現の自由に関するss56235のブックマーク (5)

  • 2022年参議院選挙、表現規制反対派と規制推進派の候補一覧まとめ

    リンク note(ノート) 【5/19更新】表現の自由を守る候補予定者一覧(2022年夏 参院選)|いっちゃん|note はじめに よろしければ「#表現の自由を守る参院選2022」のハッシュタグで拡散して下さい。 追加・修正希望や、ご意見などありましたら、コメントかこちらのTwitterアカウントまでご連絡ください。 この一覧の作成者は日維新の会を支持しているため、石井苗子さんや松浦大悟さん、加来たけよしさんをおすすめはしますが、記事自体にそういった偏りはできる限り排除しております。 情勢分析や当選予測は下記の記事で行っており、随時更新中です。 記事公開当初に「はじめに」に記載していた内容は、事前運動と誤解される恐れがある 1 user

    2022年参議院選挙、表現規制反対派と規制推進派の候補一覧まとめ
  • 「フェミニズムから離れていく若い女子」は何を考えているか?|来殿ベル(らいとのべる)

    こんにちは。来殿ベルです。 2019年、社会学・ジェンダー研究者で武蔵大学他非常勤講師の高橋幸氏が『「フェミニズム離れ」する若い女子が抱いている違和感の正体』と題した論考を現代ビジネスオンラインで発表でしました。 高橋氏は、2021年にもほぼ同趣旨の主張をシンポジウムで繰り返しています。(こちらのページから氏が作成・使用した資料がダウンロードできます。) 高橋幸『ポストフェミニスト的言説パターンの登場とその特徴』スライド5より 興味深いテーマですが、私自身、まさしく「フェミニズム離れ」を起こしている若い女子(20代女性であれば入ります……よね?)として、この論考では最も重要な「フェミニズム離れの原因」が書かれていないと感じました。その点を今回のnoteで明らかにしたいと思います。 高橋氏は、若い女子のフェミニズム離れは「フェミニズムの誤解」によるものであり、「当は手を取り合える」としてい

    「フェミニズムから離れていく若い女子」は何を考えているか?|来殿ベル(らいとのべる)
  • 誰かの嫌いは誰かの好きかもしれない。好きな物が全員一緒の方が気持ち悪い。|荒川和久/独身研究家・コラムニスト

    別にこの広告が炎上したのではなく、これに文句を言った人が炎上したのだと思うけどね。これについては、個人的に書くつもりはなかったのだが、今日こんなニュースがあって驚いた。 大前提として思ったのが、国連の役職なら、ウクライナの問題だったり、まず喫緊に取り掛からなければいけない問題が山ほどあるでしょうに、「そこ?」という点だ。 「今回の広告は、男性にとっての『女子高生にこうしてほしい』という見方しか反映しておらず、女子高生には『性的な魅力で男性を応援する』という人格しか与えられていません。私たちが重視してきた『3つのP(Presence 多様な人々が含まれているか、Perspective 男性と女性の視点を平等に取り上げているか、Personality 人格や主体性がある存在として描かれているか)』の原則は守られていないのです。明らかに未成年の女性を男性の性的な対象として描いた漫画の広告を掲載す

    誰かの嫌いは誰かの好きかもしれない。好きな物が全員一緒の方が気持ち悪い。|荒川和久/独身研究家・コラムニスト
  • なぜ、キモヲタは「社会的な合意」を拒否するのか|吉澤

    ※ 筆者は「キモヲタ」を自称しており、いわば誇りを持って蔑称を自称しています(クィアと同じ用法) 答え:キモヲタがフォークデビルだから。結論としては、キモヲタがフォークデビル、すなわち民衆から迫害される存在だから、迫害につながる社会的な合意を拒否していると考えられる。稿ではこのメカニズムについて明らかにしていく。 はじめに 日共産党と表現規制 先日、日共産党の2021年総選挙政策で、表現規制に舵を切ったともとられかねない公約を発表したことが波紋を広げている。 非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力

    なぜ、キモヲタは「社会的な合意」を拒否するのか|吉澤
  • 津田大介があいちトリエンナーレで炎上してるけど、今回は津田大介支持 : やまもといちろう 公式ブログ

    「嫌なら見なければいい」という事例だと思うんですよね。 津田大介さんへの好悪は人それぞれあると思いますけれども、それよりも表現の自由の原則のほうが大事です。 だからこそ、いろんな圧迫があって表示や展示ができなかった作品を集めた不自由展のはずで、ギリギリのところまで踏ん張って展示しようとした津田大介さんの気持ちはまあ分かります。 社会に潰されてきた表現の自由を訴求するはずが、イベント自体がそういうネタになってしまったという。ただ、表現の自由を考えるならば、こういう一定の人々にとって不愉快な表現こそ、許容されるべきなんですよ。日韓関係が悪化しているいまこそ、むしろ必要なイベントだったかもしれません。実際には、当に日韓関係が悪化しているんだなということを証明するイベントになってしまったわけですが。 あいちトリエンナーレの慰安婦像騒動 表現の自由と特定のイデオロギーを並列したのは悪手だった【現場

    津田大介があいちトリエンナーレで炎上してるけど、今回は津田大介支持 : やまもといちろう 公式ブログ
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