この時間帯には1986年10月から半年間、月曜夕方と火曜夕方に心斎橋筋2丁目劇場を会場とした『4時です!心斎橋』という番組が放送されていた。これを帯番組化するにあたり、ダウンタウンなどの同劇場で活躍していた当時の若手芸人たちをメインに置いた、「中高校生のワイドショー[1]」と銘打つ本格的な若者向けのバラエティ番組を制作することになった[2]。その企画に携わったのが、当時吉本興業の社員だった木村政雄、木村の部下で後に吉本の社長となる大﨑洋、後の毎日放送専務取締役で番組プロデューサーの田中文夫である[1][3]。 浜田雅功は著書『読め!』にて、最初にこの企画が持ち上がった際に「夕方の4時からの放送なんて誰が見るねんと思った」と述懐している。視聴率は番組開始時こそ3%前後と低迷した[1]が、最盛期の平均視聴率は7 - 8%、夏休みに入ると10%を超えるようになり、番組は大変な人気を獲得した。最高