コンテンツを自由にマッシュアップできればこれまでの創作にはないものができる、という信奉は根強い。でも、なぜそうすることで面白いコンテンツが出来るのか、という問いへの答えはあまり見かけない。 コンテンツが自由にマッシュアップできると本当に幸せなのか - END_OF_SCANで書いたのは、元作品からの異化という要素って大きいよねってことだった。 これも何度か書いたことだけど、「ドン・キホーテ」以降の近代小説は「異化」に自覚的という点で二次創作的だと思っている。作品内である世界を描き、それからそれをずらす。それによって読者の日常を異化してみせる。現代になって異化はどんどん難しくなっている。前提となる世界はどんどん複雑になっているし、落差も小さくなっている。ニートやダメ人間を異化されてもなーと思ってしまう。森見センセーとか円城センセーを見ていると語りとか切り口から異化しない限り(「詩的言語」って