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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (17)

  • 大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記

    1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。 ? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹十三(池内義弘)生まれる。 1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。父は大江好太郎、母は小石。長兄・昭太郎(燃料商、歌人)、次兄・清信。姉二人、弟・征四郎、妹一人。父は製紙原料商で、ミツ

    大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記
  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
  • なぜ美少年趣味につきあわなければいけないのか - jun-jun1965の日記

    佐藤亜紀の「天使」という、藝術選奨新人賞を受賞した長編小説は、第一次大戦を背景に、超能力を持つ少年を描いた作品だが、半ばまで読んでも面白くないので、文春文庫版の豊崎由美の解説を読んでみた。するとこれは、美少年が貴族的美青年へ成長していくのを舌なめずりしながら読むという美少年趣味小説であるということが分かり、まあそれなら私が読んでも面白くないのは当然だなと思った。 だが不思議なのは、豊崎がそのように解説しながら、なぜ世間の文藝評論家はこの才能を理解しないのかと獅子吼していることで、今もやっているようだが、なんで美少年小説を文藝評論家が評価するいわれがあろうか。 なるほど佐藤は『小説のストラテジー』を読めばヨーロッパ文化に造詣が深いのは分かるし、文章も巧みに書けている。もっとも私は他の作家でも、こういう技巧的な文章は評価しないのだが。 私が大学に入ったのは1982年で、豊崎も佐藤もだいたい同

    なぜ美少年趣味につきあわなければいけないのか - jun-jun1965の日記
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    synonymous 2020/10/20
    まあこういうこと言う人よね。
  • 「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記

    「現代文学論争」のために書いたのだが、分量の関係で割愛したものである。未完。 福田和也という謎 福田和也(一九六〇− )は、江藤淳、柄谷行人の衣鉢を継ぐ文藝評論家とされ、慶応義塾大学環境情報学部教授である。これまでいくつかの論争を行ってきたが、むしろ福田自身が、謎めいた人物、論争的な人物だと言っていいだろう。 福田は慶大仏文科の大学院に在籍して、修士課程で追い出され、実家の仕事を手伝いながら、フランスが一九四〇年にドイツに降伏したあとの、ナチス協力作家たち(コラボラトゥール)を論じた『奇妙な廃墟』(国書刊行会、のちちくま学芸文庫)を一九八九年に刊行した。福田は、このにはほとんど反響がなくがっかりしたと語っているが、実際には江藤淳がこれに目をつけ、翌九〇年七月号の『諸君!』に「遥かなる日ルネサンス」を「大型新人登場」という見出しとともに載せ、論壇デビューした。これは隔月で四回連載され、同

    「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2010/11/11
    よくわかんない人だったけど、さらに分かんなくなった。
  • 古書払底説 - jun-jun1965の日記

    インターネットで古書が買えるようになったのは画期的だった。それまでは、古書店で現物を見つけるとか、せいぜいカタログで探して注文するだけだったのが、たちまち検索できるようになったのだから、私など、よほど入手困難なものや高価なものでない限り、それまで欲しいと思っていたは、ほぼ入手した。 ところが、それをやる人が次第に増えてくると、古書払底が起きるのではないか。現に最近、検索しても見つからないものが増えてきている。 モーリス・センダックの絵『かいじゅうたちのいるところ』は、1975年に神宮輝夫の訳で出て今も流布しているが、最初の訳は1969年の『いるいるおばけがすんでいる』である。これはウエザヒル出版というところから、ウエザヒル翻訳委員会訳として出ているが、その委員会には三島由紀夫も名を連ねているらしい。三島全集には推薦文も入っている。神宮訳よりも、低年齢層を意識した翻訳だが、児童文学界では

    古書払底説 - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2009/04/03
    『戦後の児童文学界は共産党に支配されてきたことが、最近も告発されつつあって』ほほぉ。
  • 無題 - jun-jun1965の日記

    学燈社の『國文學』は毎号論文を公募しているが、今回11月号分の論題は「『萌え』の正体」だ。400字詰め20枚分、添付して送ればよろしい。さあオタク・ロリコン評論家志望の諸君、どしどし応募しよう。 高橋源一郎は詩について実にあれこれ言っているし中原中也賞選考委員だから詩人なのかと思っていたら、詩集は一冊もないことが分かった。詩人でもないのに詩についてあれこれ言う人は珍しい。

    無題 - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2008/08/14
    うーむ、恐るべし。月亭可朝といい、谷川といい、善き詩人は、みな性的に枯れないものなのだということが、良くわかった。
  • そうだったのか - jun-jun1965の日記

    宮下整の『戦前の少年犯罪』の大仰な物言いが、勢古浩爾さんの新著で批判されているのを見たが、勢古さんも、その少年犯罪の実態は知らなかったらしい。もちろん私だって知っていたわけではないが、そんなもんだろう、と思っただけだった。濱浩の「十二階下の子供たち」や里見紝『多情仏心』に出てくる不良少年少女を見たって、そんなものだろうと思うし、歴史にせよ文学にせよ、日近代を専攻して新聞などを見ている人には、さして驚くべき話ではない。 ところが、高島俊男先生が、向田邦子が描いているような家庭はエリート家庭だった、と指摘していると知って、たまげた。そんなことは常識だと思っていたからで、なに? あれを「普通の家庭」だと思っている人が、まあ若者とか、歴史を知らない低学歴者はいざ知らず、そんな人がいるのか? と思ったからである。 すると、さらに不安になってくるのだが、戦後の小津安二郎が描いたような家庭も、当時の

    そうだったのか - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2008/04/26
    上流の話だからこそファンタジーにもなったので映画になった。
  • 岩波少年文庫の古いの - jun-jun1965の日記

    判型としては新書と同じ岩波少年文庫だが、その古い装丁を若い人は知らないだろう。昔はハードカヴァーの箱入りだった。それが1975年ころに箱なし、ソフトカヴァーになったのだが、今のようにカヴァーはついていなくて、しかも独特の手触りの紙を表紙に使っていた。私はあの頃の装丁がいちばん好きだな。中公新書も、昔はビニール装で、その下に帯があって、味わいがあった。今は新書も文庫もどれもこれも同じような、地味な裸体にカヴァーつきで、面白くないなあ。 その岩波少年文庫でマルシャークの『森は生きている』を読んだら、「バカ」という意味の「天然」が出てきたので驚いた。女官長が「わたくしは天然にぼんやりしておりますわ」と言うと、幼い女王が「そうだろうと思っていたわ、天然だとね」と言う(湯浅芳子訳、1953)。女官長は、自然の美しさにぼうっとなっている、と言ったのだが、女王はそれを「元からぼうっとしている」ととったの

    岩波少年文庫の古いの - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2007/09/13
    学歴おたくですね。
  • やって来い! - jun-jun1965の日記

    私が高校生の頃、朝になると、体育教師数名が校門のところに立っていて、登校時間が過ぎそうになると門を閉めて、遅刻した生徒を集めて罰を与えていた。私は一時間半かけて通っていたから、時々遅刻した。 体育教師は、どこでもそうだが、バカで野蛮だ。うち一人は、長島といったが、狼のような、蟹江敬三顔をした男で、いつも白衣を着て、そういう時は竹刀を持っていた。遅刻した生徒は、前庭でゴミ拾いをさせられる。 ある日、私がゴミ拾いを終えて長島の前へ行き、2メートルほど離れたところで、終わった、と意思表示したら、長島は、 「やって来い!」 と言った。 は? 何をやって来るのだろう、と私は思った。一瞬の間があって、長島は「何やってんだ、ここへ来いっ、つってるだろ」 と言った。「やって来い」というのが「ここへ来い」の意味だとは、とんと気づかなかった。 言うまでもないが、体育教師は、どこでも、バカで野蛮である。私は体育

    やって来い! - jun-jun1965の日記
  • 学歴「差別」? - jun-jun1965の日記

    「日東駒専」「大東亜帝国」が妙な波紋を呼んだようだが、「学歴差別」という言葉自体、おかしな言葉である。今の日で、貧しくて上の学校へ行けなかったなどという人はあまりいないのだし、能力で人を区別するのは当然である。能力差別がいけないなら、試験はいけないのか。「差別」というのは、「いわれなく人の地位を定めること」だから、生まれで差別する天皇制は差別だ。しかし、生まれつき大東文化大学卒というやつはいない。 「差別」といえるのは、「能力はあるが学歴が低いので差別される」という場合だろう。しかし最近、あまりそういう話は聞かない。成蹊大学卒でも、何の疑問も抱かれることなく首相になっている。まああと、数学とか理数系がダメなので国立へは入れなかったというのもあろうが、それでも早稲田に落ちるとしたらそりゃ、まあ、知的職業としては使い物にならんだろう。 呉智英さんは、たぶん、MARCHで教えたことがないのだろ

    学歴「差別」? - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2007/07/11
    ほぼ異論はない。ただし、例外ってのはどこにでもいる。おかしな因果のめぐり合わせで、こんなところにこんな人が!、ってことが5年に一度くらいはある。
  • 越智治雄のことなど - jun-jun1965の日記

    越智治雄という、日近代文学専門の東大教授がいた。駒場のほうである。当時、郷には三好行雄がいて、二人で東大の近代文学を担うかたちだった。吉田精一が短期間いたほかは、当時東大には日近代文学の教員はこの二人だけだったが、東大嫌いの谷沢永一はこの二人に猛攻撃を仕掛けた。三好のほうは文章での論争になったが、越智のほうは、口頭でやったらしく、どうも資料がない。 越智は、それから弱って、1983年、53歳で死んでしまった、というのだが、調べてみたら、もともと病弱で、薬をたくさん抱えていたという。顔はハンサムで、黒澤明に俳優になるよう勧められたというのだが、そう病弱では俳優は務まるまい。その病弱が、1976年から特にひどくなったようで、七年間病み続けて死んだらしい。 東大の「教養学部報」を見たら、田尻芳樹氏が河合祥一郎さんの訳したグリーンブラットの書評を書いていた。大昔は、文学研究といえば、作家

    越智治雄のことなど - jun-jun1965の日記
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    synonymous 2007/07/11
    『日本の諸学問の中でも、日本近代文学というのは、最も悲惨な領分だろう...そのくせ、ちゃんと伝記・実証研究をしている人はいて、しかしそういう人はなぜか不遇である。』
  • なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記

    前から気になっていたのだが、なぜ「モテない」と片仮名書きするのだろう。私は片仮名書きしたことはない。なっていたとしたら、文責・取材者である。どうも片仮名書きだと、嘲弄しているような、頭が悪いような印象を受ける。 さて、渡部伸の『中年童貞』を買った。私のが八冊も参考文献にあがっていて、ありがたいことである。ヨコタ村上のもあるが。 著者の言っていることの根幹、つまり恋愛は誰にでもできるものではない、というのは私と同じだ。もっとも、それを「資主義」に結びつけるのは、どうか。もう少しロマンティック・ラブ・イデオロギーの構成要素は複雑だと思う。民主主義とか平等思想とか、「愛のないセックスはいけない」思想とか。 ところでこのには、著者の学歴が書いていない。大卒であることは文中の記述から分かるのだが、大学名がない。もしかすると「渡部伸」というのは筆名で、半分匿名の方なのだろうか。もう一つ、奥付には

    なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2007/07/04
    『渡部伸の『中年童貞』を買った...要するに、「低学歴臭」が漂っているのだ。日東駒専臭といおうか、大東亜帝国臭といおうか』実に容赦がない。風俗入門にヘルスというのはそのとおりだろう。
  • 久木尚志の父 - jun-jun1965の日記

    先般来追求している稀代の悪人・久木尚志だが、情報提供者によると、父親も大学教授だったという。高校時代は、そんなことはおくびにも出さなかった。さて、それは誰か。 [訃報]久木幸男さん 79歳 死去=横浜国立大名誉教授・日教育史 2004.2.07 地方版/神奈川 久木幸男さん 79歳(ひさき・ゆきお=横浜国立大名誉教授・日教育史専攻)5日、肺炎のため死去。葬儀は8日午前11時、横浜市港北区綱島西1の13の15の東照寺会館。自宅は同区新吉田町2028の78。喪主は長男尚志(ひさし)さん。 毎日新聞 久木幸男は、教育学の世界ではかなりの大物である。大正13年生まれ、京都大学文学部哲学科〔昭和23年〕卒、京都大学大学院(旧制)前期課程修了。昭和25年西山短期大学助教授、39年教授、41年大谷大学文学部教授、42年横浜国立大学教育学部教授を経て、平成2年仏教大学教授。著書に「日の宗教−民衆の宗

    久木尚志の父 - jun-jun1965の日記
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    synonymous 2007/06/11
    粘着する猫猫先生。
  • 憎まれっ子世にはばかる - jun-jun1965の日記

    最近、訃報が多い。しかし「ああ、こいつやっと死んだか」というような訃報はないものである。死んで欲しくない人、別にさほどの害を与えているとも思えない人に限って死ぬ。これは過去にさかのぼってもそうである。誰だって最後は死ぬのだから、一人くらい、死んでよかったの類がいても良さそうなのだが、なかなかいない。 さて以前書いた、高校時代のいじめっ子久木尚志だが、北九州市立大学の教授と同一人物であると判明した。写真があったから。 http://www.kitakyu-u.ac.jp/foreign/in/hisakihisashiin.htm どうです。悪人面でしょう。しかもいちばん下の語「裏の裏」がひときわぶきみ。 さて、久木は、改心して労働史などやっているのであろうか。そうではないらしい。実は久木の近傍にいる某氏から手紙が来て、長年久木の陰湿ないじめにあっていると訴えてきたのだ。どうやら学内で絶大な

    憎まれっ子世にはばかる - jun-jun1965の日記
  • 言論は死んだ - jun-jun1965の日記

    二年半続けさせてもらった『文学界』の連載だが、前回で打ち切りと決まった。1973年だったか、立原正秋が『諸君!』に「男性的文学論」というエッセイを連載していて、芥川賞の選考委員が老齢化して、有望な新人に賞をやらないということを書いて、編集部から削除され、遂に連載を打ち切って『潮』に移動したことがある。 私の場合は、ここに書いた小林信彦「うらなり」批判である。ゲラにまでなった段階でストップがかかった。ブログに書いたものだからなどと言っていたが、最後には、内容に疑念を出してきた。私は、ではこれは見送って、佐藤優批判を出すと言ったが、そういう論争の場にはしてほしくないと言われた。それで、打ち切りと決めた。 『文学界』に載った小説の批判を同誌でやれないとか、連載中の人物の批判を載せられないとか、つまるところはそういうことだが、『週刊金曜日』もまた、佐藤への返答をウェブページに載せることを断ってきた

    言論は死んだ - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2007/05/25
    id:KGV ベネズエラみたいになる?
  • 「悲望」批評総括 - jun-jun1965の日記

    文藝雑誌は毎月七日発売である、などということは多くの人は知らないだろう。『文学界』と『群像』に「悲望」評が出たので、所感(弁明?)を述べておきたい。それにしても、雑誌に何かが載っただけでいろいろ評してもらえるというのは、小説家というのはずいぶん甘やかされているんだな、と思った。ただ全体に対して何か言うのは時期尚早あるいは不要なので、気になった箇所だけ触れる。 『文学界』の「新人小説月評」は、森孝雅と福嶋亮大。森は、甘んじて受けると言っておいた、小説になっていないという評。しかし、「もう少し時間をおいて、作品として差し出すことはできなかったのか。あるいは、どうしても今、これを書かねばならない事情があったのか」と結ばれているが、別にワインではないのだから時間をおけば小説になるというものではないと思う。小説になっていないとすれば、私に才能がないからに過ぎない。あれは十年くらい前に書いて、二年ほど

    「悲望」批評総括 - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2006/08/09
    『ある種の女子大学院生の中には、この種の潔癖症の人が少なくない』自分は理系の大学院にいたが、そういう潔癖症とは無縁だった。ずいぶん文化が違うのだね。
  • 西尾幹二への疑問 - jun-jun1965の日記

    八木秀次と西尾幹二が骨肉の争いをしている。今月の「諸君!」で西尾が八木を非難しているが、そこで、八木には天皇崇敬の念が足りない、新しい歴史教科書をつくる会の会長にふさわしいとは思えないと書いている。かくして遂に西尾は、「自由主義史観」なるものが、自由主義などではなく、皇国史観ないし天皇崇拝史観であることを明らかにした。なぜ日では、天皇を崇拝せずにナショナリストであることができないのか。 さて、そのこととは別に、私は近年の西尾の文業におかしなものを感じずにいられない。たとえば新しい歴史教科書編纂に加わっていた歴史学者・坂多加雄が死んだとき、西尾は「愛国と靖國--追悼・坂多加雄」(『諸君!』2003.1)という追悼文を書いた。そこで西尾は、末期がんだと知らされた坂ががっくりと意欲を失い、恐怖の発作で夜中に外へ飛び出し、夫人が懸命にとりおさえた、というようなことを書いた。そういうことは、

    西尾幹二への疑問 - jun-jun1965の日記
    synonymous
    synonymous 2006/07/05
    西尾センセイにおかれましては、今後とも暴発し続けていただきたい。
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