誕生したばかりの団地とは、どういう存在だったのか。 その頃を知る人々のお話から、団地創成期をのぞいてみた。 「食寝分離」の新しい住まいが誕生 戦後の日本は、あらゆるものが足りない中からスタートした。ことに住宅事情は劣悪で、昭和29年になっても、日本全国で約280万戸もの住宅が不足、その建設は急務だった。 日本住宅公団は大規模な宅地開発を行い、不燃住宅を供給することを目的に、昭和30年に設立された。都市への人口流入が進んだ高度成長期、日本住宅公団は都市近郊に大規模な団地を次々と建設していった。 「明るい台所にはステンレス製の流し台が設置され、浴室と水洗トイレが住戸内にある。これこそ新しい時代の住まいだと、大変な衝撃を受けました」 昭和31年、名古屋市に誕生した公団住宅・志賀団地で新婚生活を始めたという男性は、当時をそう振り返る。それまでの日本の家では、食事のときには和室にちゃぶ台を出し、それ
「すごく住みやすいです!」。フリーランスの作業療法士として働く中澤希紀さん(31歳)は、1年前に越してきた今の住まいが大のお気に入りだという。 確かに、聞けば非常に魅力的な物件だ。場所は渋谷区初台駅から徒歩5分で、周辺にはコンビニやスーパーもあり立地抜群。2階のその部屋は、日当たり良好で風通しもいい。しかも1DK(6畳DK+6畳居室)と1人暮らしにしてはゆとりある広さ。こうした好条件でなんと家賃は5万円というから驚きだ。 デメリットは、ただ1つ。風呂がない。 風呂掃除の必要なし! 畳ライフも魅力 ところが、中澤さんはここをデメリットと感じていない。「近所に銭湯があるので問題ないです。お風呂掃除の必要もないので本当に楽ですよ。あえて言うなら夜1時頃に閉まる銭湯が多いので、帰りの時間を気にしながら飲まねばならないことでしょうか」(中澤さん)。 築年数は約40年だが、「外観は確かに古いけど、中は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く