2006年4月11日のブックマーク (21件)

  • 2006年度の転機 - Munchener Brucke

    2006年はある意味日の転機になるかも知れない。今の日の状況は右か左かという 20年前のモノサシでは全く解析不能である。むしろ共同体主義/リバタリアニズム/リベラリズムといった三分立で考えた方がわかりやすい。 90年代以降、共同体主義とリバタリアニズムが同居してきた日の保守主義が決別せざるを得ない状況に追い込まれた。 元々中曽根時代にアメリカのネオリベラリズムが日に移入され、日の保守主義に大きな影響を与えた。アメリカではネオリベラリズムが伝統主義と相和性が高いため、なんとなくそのまま移入されたが、10年以上経ってようやく拒絶反応が起きた。日は伝統的に共同体主義なのであって、リバタリアニズムが根付く土壌がまだ存在していないのである。 アメリカでも90年代後半から小さな政府を標榜する新自由主義からキリスト教福音派の影響を受けたメンタル保守主義の影響が増している。日でもその影響か世

    2006年度の転機 - Munchener Brucke
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
    むしろ共同体主義/リバタリアニズム/リベラリズムといった三分立で考えた方がわかりやすい。
  • 「都市型リベラル」の戦略的定義に向けて - *minx* [macska dot org in exile]

    民主党(日)の党首交代に合わせてという意味でもないですが、宮台真司さんがちょっと前に論じていた「都市型保守」「都市型リベラル」「農村型保守」の3分類をちょっと安易なグラフにしてみました。それぞれの軸につけたラベルが適切なのかを含めてまだ考え中なので、いろいろご意見ください。 今後考える事&やる事: ・ラベルをより適切なものにする。 ・解説を書く。 ・公私の概念がそれぞれの範囲でどう変化するかを書き込む。 ・具体的な社会政策やその変遷を書き込む。 ・現実の政党や政治家を書き込む(できるのか? → みんなの投票で決めちゃおうか)。 ・ポリティカルコンパス的な自己採点テストを作る(笑)

    「都市型リベラル」の戦略的定義に向けて - *minx* [macska dot org in exile]
  • macska dot org ? Blog Archive ? 【保存版】売買春とフェミニズム理論4分類

    ええと、今回から始めるシリーズとして、過去にわたしが掲示板やMLに書いた記事の中から、それだけで役に立ちそうな内容のモノを紹介していこうと思います。第1回は、様々なフェミニズム理論における売買春の扱いについてで、2001年にわたしが Wendy Chapkis という人の「Live Sex Acts」(1997) というの最初の20ページくらいを、わたしの主観によりさらに簡単にまとめたものです。 ***** 売買春について私とだいたい意見が近いフェミニストにWendy Chapkisという人がいますが、彼女の「Live Sex Acts」というの第1章ではほんの20ページくらいの文章でフェミニズムにおける売買春についての論争を具体例を挙げてきっちりまとめています。 ここではそれを私の主観によりさらに簡単にまとめてしまいます。 Chapkisによると、フェミニズム内部の売買春についての分

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 成城トランスカレッジ!  - 「教育基本法」について知るためのメモ/「新教育基本法案」へのツッコミまとめ。

    昨日の朝、「現行教育法と「新教育法案」の比較」を作ってみました。せっかくなので、以下に同法案へのブロガーやネチズンの皆さんのツッコミをまとめてみます。目標は、とりあえず短期間で各条文への批判をまとめ、論点を整理することと、「基法」の性格についての議論を再確認&再検討することでしょか。そうすれば今回の法案について考えるのみならず、いろいろと応用可能だし。 というわけでツッコミスト大歓迎。「ツッコミしてみました!」という方は、TBをいただければ見逃さずに紹介できると思いますので、このエントリーにTBをバシバシ送ってくださいませ。コメント欄も、もうちょっと開放継続。特に、法律に明るい人のご意見をお待ちしております。 「基法」への無理解へのツッコミ 法律を「国家に属する国民の守るべきルール」を定めたもの、憲法を「国民に責任を負う国家の守るべきルール」を定めたもの、という「立憲主義」を採

    成城トランスカレッジ!  - 「教育基本法」について知るためのメモ/「新教育基本法案」へのツッコミまとめ。
  • 持続可能なチャンネル:教育基本法「改正」反対

    先頃、教育法改正促進委員会による新教育法案が公開されました。条文はこちら@ONO-Masa Home Page (はてな出張所)に、また現行法との条文の対比はこちら@成城トランスカレッジ.com!にあります。この法案にはいろいろと問題を感じたので、法学も教育学も不勉強な私ですが、どういう点が問題と感じたかを挙げてみます。 前文つまり法律の理念に関する根的な問題は教育法改正促進委員会による「新教育法案」のだめなところ@+ C amp 4 +に詳しい。以下引用。 しかし、現代の立憲主義の国家において、公教育に課せられた役割は、伝統を尊重する個人の育成でもなければ伝統文化を受け継ぐ国民の育成でもない。そのような価値観がいかに主観的には大切にされても、それは立憲民主制における市民の資質として必要な条件ではないのである。 端的にいって、公教育は、きわめてConstitution

  • 2005-07-10

    「治安国家」拒否宣言―「共謀罪」がやってくる 作者: 斎藤貴男,沢田竜夫出版社/メーカー: 晶文社発売日: 2005/06/01メディア: 単行 クリック: 6回この商品を含むブログ (13件) を見る読了: 斎藤貴男・沢田竜夫[編]『「治安国家」拒否宣言 「共謀罪」がやってくる』。「監視・密告社会」を現実化する「共謀罪」がこっそり生み出されようとしている。上からのこっそり革命。その内実と想定可能な諸帰結とに関する、現時点でのレポート。ぞっとした。「教育法改正」の件に関してもそうなのだが、こういうことは、運動圏の内部で「こわいよねえ」とか「やばいよねえ」とか馴れ合っていても仕方がないわけで、とにかく身近な人たちに伝える努力をしなくてはいけないのだと思った。一人だっていい。その一人に、また別の一人に伝えようという動機を与えることができさえすればよい。あとはその一人が(以下略)。はてな

    2005-07-10
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
    「漏れはこんな法令に違和感を感じるよBaton」
  • 2005-09-12

    しかし、ここまでとはねぇ…。 思わず今日の授業で演説をぶってしまいました。 大人達の一部を代表して、まず諸君に謝らなくちゃならないことがある。わたし達が君たちに残せたものは、戦争だけだった。昨日をもって、日はいよいよ格的に「戦前」になった。 今後、教育法改悪・憲法改悪などを通じて、「強者の論理」がまかり通る社会ができていく。だれもが「強者」になれるわけではない。「強者」は実は、一人しかいない。残りすべては、実は「弱者」である。しかし、そうした社会を求めたのは、実はわたしたちだった。 なぜか?わたしたちはヒーローを求めてしまった。そして、合法的に選ばれた「ヒーロー」を生み出してしまった。これは、かつてドイツがワイマール憲法下で歩んだ道と同じである。 わたしは、いずれあと20年、30年後には死んでしまう。死なないまでも、すでに戦争は行かない年齢になっているだろう。しかし、戦争に行くこと

    2005-09-12
  • 平和と平等をあきらめない - 新・整腸亭日乗

    1945年8月9日は、長崎に原爆が投下された日。8月6日の広島のときに、原爆文学として作品の一部を列挙した。映画としては、黒澤明の『八月の狂詩曲(ラプソディ)』(1991)と、黒木和雄『TOMORROW 明日』(1988)が長崎を舞台にしている。黒澤明は、反核的なイメージを訴えていた。原作は村田喜代子『鍋の中』(1987)。 平和と平等をあきらめない 作者: 高橋哲哉,斎藤貴男出版社/メーカー: 晶文社発売日: 2004/05/30メディア: 単行 クリック: 5回この商品を含むブログ (14件) を見る ここで唐突に、高橋哲哉・斎藤貴男『平和と平等をあきらめない』(晶文社 2004.6)に触れたい。デリダやカントの哲学者・高橋哲哉氏と、経済ジャーナリスト斎藤貴男氏の対談は、通常ではまず考えられない組み合わせだ。ポスト団塊世代の二人が、「平和」と「平等」について語らなければならない時代に

    平和と平等をあきらめない - 新・整腸亭日乗
  • 自民党の動き・もう少し詳しく - Words and Phrases

    昨日の記事(id:june_t:20050603#p5)は簡単すぎたので、もう少し詳しく書きます。内容は重複します。申し訳ありません。 ■自民党ジェンダーフリー/性教育PTが文部官僚に要求を 自民党プロジェクトチームが、5月20日に文科省高等教育局課長を呼んで、要求を出したそうです。内容は、策定中の男女共同参画基計画案から、「女性学・ジェンダー研究の充実を促す」という主旨の記述を削除せよ、というもの。その理由として、中部地方の大学*1で開講されているジェンダー関連科目の事例を使っているそうです(このあたり、どういう内容について何を言ったのか、具体的にはよくわかりません)。そのほか、原ひろ子さんの放送大学の教材を槍玉にあげる動きもあるそうです。 ■26日のシンポでの発言 安倍晋三、山谷えり子、八木秀次といったメンバーが出てきたわけですが。 出席者のメモから抜粋します。(文体は変えておきま

    自民党の動き・もう少し詳しく - Words and Phrases
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
    行基本法にある「男女共学」の条項は削除しよう、という議論が出ている
  • http://d.hatena.ne.jp/demian/20050511/p1

  • 個人の尊厳 - chez sugi?

    教育法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている。 陰惨で不可解な事件が起きたときに、とりあえず自分が嫌いなもののせいにするという、よくあるパターンのひとつだ。もちろん、教育法前文に書いてある「個人の尊厳を重んじ」というのは、自分だけでなくすべての個人が尊く厳かであるということを重んじる(ような人間を育成する)ということなので、殺し合いとは正反対の価値観であり、まったくのいいがかりにすぎない。 「個人の尊厳」という言葉から自己中心的というような意味しか見いだせない平沼氏個人には、残念ながら尊厳を感じることができない。そういう意味で、「個人の尊厳」を自ら否定していて、自己完結的だ。

    個人の尊厳 - chez sugi?
  •  「教育基本法「改正」とは何か」 - メガネ共和国

    県教組による県教研準備集会の第一部が、大内裕和氏の講演会。お題は「教育法「改正」とは何か」。ファシズム化する教育行政/現場の実態と、それを制度化しようとする政権サイドの動きについて。 茶色の朝 作者: フランクパヴロフ,ヴィンセントギャロ,藤一勇,高橋哲哉出版社/メーカー: 大月書店発売日: 2003/12/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 58回この商品を含むブログ (61件) を見る『茶色の朝』の世界を既に地で行く東京都。やがて日全国が、東京都化していくだろうとの予測。疲弊する教育現場――子どもも、教職員も――ゆえの、思考停止とあきらめの蔓延。不安を煽りつつ人々をそうした疲弊状況へと固定化するものとしての「学力低下」キャンペーン。それは同時に、近代立憲主義の大前提――市民社会が国家権力を憲法で拘束――となる批判精神や人権思想そのものから、教職員/子どもの関心を逸ら

     「教育基本法「改正」とは何か」 - メガネ共和国
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
    「教育基本法「改正」とは何か」
  • 若者自立塾、ニートの対話力不足に照準(東京) - kmizusawaの日記

    ■若者自立塾、ニートの対話力不足に照準(東京) http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20060407wm02.htm この記事だと対話能力を向上させることが仕事への意欲につながるとほぼ無条件に称えられているが(そしてもちろんそれが意欲につながった成功例もある以上は、対話能力向上が無意味とはまったく思わないが)、職場でわけのわからない「空気読め」とか対話を迫られることが苦痛で仕事やめちゃう人もいると思うんだよな。むしろ無駄話とかしたくもないコミュニケーションしなくてもいいのが「当たり前」になってほしい。喋りたい人たちは喋る、そうでない人は黙って別のことをする。業務上必要な連絡もできないのは困るが、そんなん簡単なことならメモでもいいし、業務上接待やお愛想言うことなどが必要な職種はともかく、最低限それさえできれば、話すことや「つきあい」に関してはあとはどう

    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
    多数派にあわせること
  • 猿虎日記 - 抵抗としての怠惰1&2

    1961年に出版された『地に呪われたる者』(鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房)において、フランツ・ファノンはこのように言っている。 パリあるいはエクスで、アルジェあるいは、バス=テールで、幾度われわれは見たことか、黒人の怠惰paresse と言われ、アルジェリア人の、ヴェトナム人の怠惰と言われるものに、植民地原住民 colonisé が激しく抗議する姿を。にもかかわらず、植民地体制のもとで仕事熱心な自営農民(フェラー)、休息を拒むニグロこそ、まさしく病理学的個性にすぎないということは、まるで真実に反しているのだろうか。植民地原住民の怠惰とは、植民地機構に対する意識的サボタージュだ。それは、生物学的にみればみごとな自己防衛の一方式であり、また所詮は、国全体に及ぶ占領者の支配に、一定の遅延をもたらすものなのだ。 (邦訳291-2頁) このように、ファノンは「抵抗」「自己防衛」としての「怠惰」に

    猿虎日記 - 抵抗としての怠惰1&2
  • 教育基本法「改正」反対 - 女教師ブログ

    教育法「改正」反対 僕も、annntonioさんらに乗っかります。 乱暴に加速した教育法「改正」の動きへ抵抗するための、netやブログの工夫した使い方の発案について http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060410/1144621283 (参考:かなり危険な状態になっていることがよくわかります) http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060409/1144588720 http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060410/1144621284 成城トラカレさんのとこのまとめ(何が問題なのかすごくよくわかります) http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu.html いろいろキャッチフレーズを考えてみたんですがいまいちなのしか思いつかないんです(と言いつつ晒す

  • + C amp 4 +

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

  • 覚え書き 4月9日(日)朝日新聞教育欄「選ばれる学校2 公立一貫校の求める子」

    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
    「選ばれる学校2 公立一貫校の求める子」
  • 教育基本法改悪反対の出発点として - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「教基法」カテゴリ設置。こんなにやることが山ほどあるにも関わらず、与党から鳴り物入りで提出されてくる案件はどれもこれも「改悪案ばかり」というのはどういうわけだろう。障害者福祉しかり、尊厳死・安楽死しかり、医療政策しかり、教育政策しかり、あげく基法および憲法。愚痴ってもしゃーないので、言えることは言っておこう。3月31日の集会も盛り上がったみたいだし、「諦めても」やれることはやっておこう。annntonioさんからの呼びかけもあることだし*1。 とりあえず、基資料。他にもあれば教えてください。随時追加します。 教育法の基礎知識@教育法の改悪をとめよう!全国連絡会 現行法 0323改正促進委案*2 上記二つの対照表。>「現行教育法と「新教育法案」の比較」*3 0412大島案:これはまだ出てないけど。0412に与党協議会座長の大島理森が提案をするらしい。 「国家と反国家 (1

    教育基本法改悪反対の出発点として - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 抵抗としての「怠惰」2 平等と怠惰 - 猿虎日記

    かつてここ*1でとりあげたように、齋藤孝は、ゲームのモノポリーについてのコラムにおいて、「運と勘と交渉術で一等地にホテルを建てることもできるし、一歩間違えば即退場」というこのゲームが「共産主義にケンカを売っているようなゲーム」であり、「だからおもしろいし、熱狂する」と言っている。 考えてみれば、共産主義ではこうはいかない。全員が平等で、計画どおりに働き、時々ストライキやデモを起こしてみるといった程度では、ゲームにならない。あったとしても退屈で、労多くして幸すくなそうだ。つまりゲームの世界においても、資主義は共産主義を凌駕しているのである。 「共産主義」は「平等社会」であるが、そうした社会は「面白く」なく、人々は労働意欲を失って社会は停滞する(旧ソ連のように)……こうした「俗流共産主義批判」は、かつてしばしば聞かれたものだ。 それに関しては、まず第一に、ソ連が「平等社会」であった、という前

    抵抗としての「怠惰」2 平等と怠惰 - 猿虎日記
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/04/11
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  • 抵抗としての怠惰1 アフリカ脳 - 猿虎日記

    1961年に出版された『地に呪われたる者』(鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房)において、フランツ・ファノンはこのように言っている。 パリあるいはエクスで、アルジェあるいは、バス=テールで、幾度われわれは見たことか、黒人の怠惰paresse と言われ、アルジェリア人の、ヴェトナム人の怠惰と言われるものに、植民地原住民 colonisé が激しく抗議する姿を。にもかかわらず、植民地体制のもとで仕事熱心な自営農民(フェラー)、休息を拒むニグロこそ、まさしく病理学的個性にすぎないということは、まるで真実に反しているのだろうか。植民地原住民の怠惰とは、植民地機構に対する意識的サボタージュだ。それは、生物学的にみればみごとな自己防衛の一方式であり、また所詮は、国全体に及ぶ占領者の支配に、一定の遅延をもたらすものなのだ。 (邦訳291-2頁) このように、ファノンは「抵抗」「自己防衛」としての「怠惰」に

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    t-hirosaka 2006/04/11
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