デヴィッド・フィンチャー最新作『ゴーン・ガール』。自分もエントリーを上げたが、多くの人もまた大きく心動かされてエントリーを上げている。内容的には理解出来ないような物ではないが、一筋縄ではいかないキャラクターや展開に韜晦させられている人も多い。 また、フィンチャー過去作との比較をしているものもあったのだが、奇をてらった解釈が流行りなのか、首をかしげざるをえないものも少なからずある。そこで、フィンチャー作をデビューから最新作まで俯瞰して、ごくごく一般的なデヴィッド・フィンチャー作品の解釈・テーマの読み解きをしようと思う。 失敗したデビュー 『エイリアン3』(1992) ●「体内のヘビ」よもう一度 エッジの効いたPVを作るフィンチャーならMTV感覚のクールな映画を作るだろうと監督起用されたが、待っていたのはスタジオの過度な介入と、いくつもの案をツギハギにした歪な脚本。誰がやっても暗澹たる結果にな
川原泉傑作集 ワタシの川原泉I (花とゆめCOMICSスペシャル)作者: 川原泉出版社/メーカー: 白泉社発売日: 2013/11/05メディア: コミックこの商品を含むブログ (7件) を見る川原泉傑作集 ワタシの川原泉II (花とゆめCOMICSスペシャル)作者: 川原泉出版社/メーカー: 白泉社発売日: 2013/12/05メディア: コミックこの商品を含むブログ (1件) を見るおまけマンガ以外全部既読だったのだけれど、改めて読んでしみじみと良さをかみしめた。読者の人気投票で収録作品を選んだとのことで、ミカエルものの中で「空色の革命」だけなかったり、一次産業三部作では「大地の貴族」だけ入っていなかったり、ちょっと不満も残る。ちなみに読者投票1位は、「美貌の果実」(「I」に収録)。2位は「オペラ座の怪人」(「II」に収録)。私が川原泉さんのマンガに傾倒していたのは10代の頃。その頃、
リメイク版『キャリー』日本公開版のレイティングがPG12になっています。アメリカでの公開時のレイティングはR(R15)です。日本とアメリカではレイティングの基準が違うので日本の一般公開で上映されるものと、アメリカで公開されたもので違いがあるのか、ツイッターの公式に聞いてみました。 3回。 全部無視です。 ちなみに『飛びだす 悪魔のいけにえ3D』に同様の質問をした時には、即答で 映画『飛びだす 悪魔のいけにえ』 @ikenie_mov6月18日 全くもって、してないけにえ。純度100パーです。よろしくいけにえ“@samurai_kung_fu: 『飛び出す 悪魔のいけにえ』公式 @ikenie_mov さんに質問です。本編映像にボカシ処理など日本公開に際しての画像処理は行われていますか?” と、返事をいただきました。100点満点の120点の回答です。この質問のあとで知ったのですが『飛びだす
2005年に韓国語版の原著が刊行され、2006年には日本語版が刊行された朴裕河(パクユハ)『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島』は、平凡社ライブラリー版(2011年)では、「大震災のあとに、未来を考える」という「まえがき」が付いている。 「わたしがこの本で目指したのは、「和解」それ自体ではなく、「和解のための議論」が可能な「土台」を作ることだった」と著者はいう。韓国では、植民地化や慰安婦の問題に関して、大半の人が「謝罪も補償もしない」日本という認識をもっているのに対して、日本政府は、国家補償の問題は一九六五年の日韓基本条約で解決済みだという点を強調する。 著者はこの本で、「日本はともかくも謝罪をした(たとえそれが不十分なものであっても)」という事実に注目したが、それは「もはや日本は新たな補償をしないでいいとする」ための議論ではなかった。 彼ら(「新しい歴史教科書をつくる会」の人々
私がジャン=ピエール・デュピュイのことを知ったのは、スラヴォイ・ジジェク氏の『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書、2010年、原著2009年)を読んだときだった。 ジジェク氏はデュピュイの次のような一節を引用していた。 大惨事は運命として未来に組みこまれている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていても、起こるはずはなかった、ということだ。(……)たとえば大災害のような突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずがなかったのに起こったのだ。にもかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事が現実になること――それが起こったという事実こそが、遡及的にその必然性を生み出しているのだ。 私が「大惨事」の例として当時(2010年)思い浮かべたのは、1995年の阪神大震災や地下鉄サリン事件、2001
柄谷行人氏は、『哲学の起源』で、アテネに代表されるようなギリシアのポリスと、ギリシア本土からの植民によって形成されたイオニアの諸都市は異質だと指摘し、イオニアにはアテネに見られるような貨幣経済による階級分解や門閥(大土地所有者)支配、言い換えれば「不平等や支配−被支配の関係」がなく、イソノミア(無支配)が存在したと言っている。《…イオニアでは独立自営農民が主であり、大土地所有者はいなかった。その原因は使役可能な他者がいなかったことにある。土地をもたない者は、他人の土地で働くより、別の土地に移動したのである。》《…アジア全域に広がったイオニア人の交易は、国家的ではなく、私的交易であった。それは商工業者のネットワークによってなされた。イオニアのポリスは、ある意味で、このような商工業者たちの評議会なのである。国家による交易の独占がない場合、交易の利潤は平準化される。したがって、市場経済や交易がた
『竹取物語』の大まかなストーリーは広く知られている。竹の中で見つけられ成長したかぐや姫が五人の貴公子に求婚されるが、かぐや姫は無理難題のプレゼントを要求して求婚者を次々に退け、最後は天人たちに迎えられて月に帰るという話である。 だが、今回初めてビギナーズ版の『竹取物語』(角川ソフィア文庫、武田友宏解説)を読んでみて思ったのは、かぐや姫がこの物語の登場人物たちにとって異質な他者であるだけでなく、『竹取物語』という「日本最古の物語」自体が日本の文学伝統にとっての「他者」なのではないかということだった。『日本書紀』が日本の歴史にとっての「他者」であるのと同じような意味で。『竹取物語』や『日本書紀』では、いわば「日本の外から日本を見る」という超越的・外在的な眼差しが徹底しているように思えるのである。 武田友宏氏によると、『竹取物語』はもともと『竹取の翁(おきな)の物語』と呼ばれていたらしい。とす
このところいろいろと忙しく、なかなか腰を据えて本を読む余裕がないが、少しずつ鎌田慧『六ヶ所村の記録――核燃料サイクル基地の素顔』上・下(岩波現代文庫、2011年、原著1991年)を読み進めている。 とりあえず、1「開発前史」から4「開発幻想」まで読んだところだが、ここまでは1970〜71年頃の取材記事が基になっているらしい。 鎌田氏は1970年3月、「あるちいさな経済雑誌の依頼で、この基地の町で突如としてはじまった開発ブームを取材するため」に、青森県三沢市を訪れる。その前年、69年5月末に閣議決定された「新全総」(新全国総合開発計画)では、「一方、小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺ならびに八戸、久慈一帯に巨大臨海コンビナートの形成を図る」という二行で、この地域の将来がラフにスケッチされていた。 迂闊なことに、私は先日図書館で鎌田慧・斉藤光政『ルポ 下
以前、大塚英志『「捨て子」たちの民俗学――小泉八雲と柳田國男』(2006年)を読んだとき、ラフカディオ・ハーン、柳田國男、折口信夫という3人の「起源の民俗学者」たちが、いずれも「来歴否認」や「血統幻想」、言い換えれば「ファミリーロマンス的不安」を抱えていたことを軸に、大塚氏が「民俗学の起源」の問題に迫ろうとしていることに強い印象を受けたことがあった。 大塚氏が他にも『怪談前後――柳田民俗学と自然主義』(2007年)という本を出していることは知っていたけれども、大塚氏に対する私の関心はむしろ『「彼女たち」の連合赤軍――サブカルチャーと戦後民主主義』や『サブカルチャー文学論』のほうにあり、民俗学的テーマには向かわなかった。 最近になって図書館で、大塚氏の『偽史としての民俗学――柳田國男と異端の思想』(2007年)や『公民の民俗学』(2007年)という本を見つけ、『「捨て子」たちの民俗学』『公民
毎日新聞の記事が燃えさかっている。橋下大阪市長が人形浄瑠璃文楽を鑑賞し,感想を述べた。その感想に対するものだ。 はてなブックマーク - 橋下市長文楽を鑑賞 「台本が古すぎる」と苦言− 毎日jp(毎日新聞) だが,現在この記事のウェブ版はタイトルも本文も微妙に変更されている*1。 文楽協会への補助金凍結を表明している大阪市の橋下徹市長は26日夜、国立文楽劇場(同市中央区)で近松門左衛門原作の「曽根崎心中」を鑑賞した。橋下市長は鑑賞後、記者団に「古典として守るべき芸だということは分かったが、ラストシーンがあっさりしていて物足りない。演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」と持論を展開した。橋下市長:文楽を鑑賞「演出不足」と持論展開− 毎日jp%28毎日新聞%29 おそらくそれは橋下がtwitterで毎日の記事に対して不満を表明したためだろう。http://bit.ly/NwDt
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