福岡県福岡市出身(広島県生まれ)[1]。父は元博多大丸会長の太田清之助[1]。 太田家は、江戸期に遠賀から博多に出て、油屋で財を築いた初代清蔵以来、当主は清蔵を襲名している[1][2]。祖父の4代清蔵(元第一徴兵保険社長)が実業家として大成した[2]。福岡教育大学附属福岡中学校を卒業後に上京、伯母の家から慶應義塾高等学校へ進学する。同居していた従姉が福田貴代子であり、貴代子の姉の夫である毎日新聞記者・斎藤明から聞く話に刺激を受けた[3]。 1968年3月に慶應義塾大学経済学部経済学科(数理経済学専攻[4])卒業後、1973年3月に慶應義塾大学大学院経済学研究科に進学、福田正夫門下として学び、大学院の二年先輩に宮尾尊弘がいた。1972年の理論計量経済年次大会では最適制御理論を応用した投資行動モデルを発表[5]、1973年3月に博士課程を修了する。 1976年4月には福岡大学経済学部助教授(経