1783年6月8日、地下水がマグマに触れて水蒸気爆発が発生し、長さ26kmにわたり130もの火口が誕生した。割れ目噴火である。しかし噴火規模は次第に収まり、プリニー式噴火、ストロンボリ式噴火、そして溶岩流を主体とするハワイ式噴火へと変わっていった。 この噴火はスカフタ川の炎(Skaftáreldar または Síðueldur)と呼ばれ、約15 km3の玄武岩溶岩と0.91 km3のテフラ(火山灰など)を発生した[2]。溶岩噴泉は高さ800-1400mに達したと推定される。溶岩の噴出は5か月で終わったが、噴火自体は断続的に1784年2月7日まで続いた。 ラキ火山近郊のグリムスヴォトン火山でもまた1783年から1785年の間に噴火が起きている。双方の噴火により、800万トンのフッ化水素ガスと1億2000万トンの二酸化硫黄ガスが噴出し、付近の羊の80%、50%以上の牛と馬を殺し、住民の21%の