インドからやって来たという菩提(ぼだい)達磨(だるま)を祖と奉じつつ、中国の唐の時代にはじまった禅。夏目漱石や西田幾多郎といった日本の著名人はもとより、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブスも傾倒していたことはよく知られています。また、最近では「マインドフルネス」と禅との関係といったことも、よく耳にするようになりました。時代を超え、国を越えて生き続ける禅の生命とはいったいなんなのでしょうか。中国禅宗史を研究する小川隆先生にお聞きしました。 ――ここでちょっと20世紀の禅についてもお聞きしたいのですが。西田幾多郎や鈴木大拙は明治以降の文明社会への対抗原理として、西洋列強諸国に対する日本人のアイデンティティのひとつとして禅を捉えていたのではないかとのことですが、その西田や大拙の考えとはどのようなものだったのでしょうか。 日本の思想の欠陥は「根底がない」ということで、漱石はこれを「空虚の感」