私たちは、知覚や感覚といった、いま自分が経験していることに対して、そしてまた私と同様にさまざまなことを経験しているはずの他者に対して、いくつもの捉え方を ― あるものは自覚的に、あるものは無自覚の内に ― している。だが、私たちが哲学的な反省以前に抱いているそれらの捉え方は実は整合していない。そこには矛盾が含まれており、その軋みが哲学問題を発生させる。私たちはもう一度、経験のあり方と他者の存在を巡る自分の直感を見なおしていかなければならない。 そのために、私は私が「眺望論」と「相貌論」と呼ぶ議論を展開する。眺望論は、知覚し感覚する経験を空間と身体という観点から捉え、経験の公共性を明らかにする。相貌論は、経験を意味という観点から捉え、それをさらに「物語」ということによって論じ、そこに他者性の核心をあぶりだす。そして眺望論と相貌論によって経験を捉えなおし、私たちが実物そのものを知覚しているとい
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