「平安時代日本に死刑はなかった」という「史実」が、21世紀の法務省での会合でほとんど説得力を持たず、当時の鳩山邦夫法務大臣に死刑大量執行のアリバイすら与えてしまった経緯から、私は、その場で鳩山氏も言及した自らの命をもって責任を取る「日本の伝統」なるものの正体を追究したいと考えるようになりました。 改めて問題を考え直してみると、平安時代の日本は「法治国家」ではなかった、という単純な事実に行き当たります。なるほど、9世紀の日本にも「法」のように見えるものはありました。律令制です。しかしこれは本当に「法律」なのか? より古く「聖徳太子」こと厩戸皇子の「十七条憲法」にさかのぼれば、これは官僚機構のモラルを説く道徳訓であって、現代で言うところの「法律」ではありません。 また大宝律令(702)以前、大化改新期の「班田収受の法(646)」にしても、律令制施行後の「墾田永年私財法(743)」あるいは「蓄銭