2021年6月13日 よみうりホール 昼の部にて 特別映像提供:伊集院光 作品中に一部不適切な表現があるかもしれませんが 作品や当時の文化に従い、修正なく配信しております。
寿限無(じゅげむ) 寿限無(じゅげむ) 五劫(ごこう)のすりきれ 海砂利(かいじゃり)水魚(すいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ) 雲来末(うんらいまつ) 風来末(ふうらいまつ) 食(く)う寝(ね)るところに 住(す)むところ やぶらこうじの ぶらこうじ パイポ パイポ パイポの シューリンガン シューリンガンの グーリンダイ グーリンダイの ポンポコピーのポンポコナの 長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ) 【解説】 長い名前によって起こる笑いを主題とした古典落語の一節で、「寿限無」から「長助」までが、1つの名前です。寿限りなしで死ぬことのない「寿限無」、天人が三千年に一度下界に下るたびに衣で巌を撫で、巌を刷り切るのに要する時間が一劫からくる「五劫のすりきれ」、膨大で獲り尽くせない海の幸「海砂利水魚」、衣食住は欠かせず「食う寝る所に住む所」、生命力強靭な藪柑子「やぶらこうじのぶらこ
柳家 小ゑん(1953年9月15日 - )は、東京都目黒区出身の落語家。落語協会所属。本名∶富田 実。出囃子∶「ぎっちょんちょん」。 五代目柳家小さん一門定紋 「剣片喰」 経歴[編集] 都立玉川高校卒業。1975年1月に武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部電子通信工学科中退、2月11日に五代目柳家小さんに入門し、「柳家みのる」となる。12月にみの助と改名して楽屋入り。 1979年5月、林家しん平、林家のん平と共に二ツ目に昇進し小ゑんと改名。 1985年9月、古今亭志ん輔、四代目桂三木助、林家かん平、入船亭扇遊、七代目桂才賀、柳家三寿、林家らぶ平、林家時蔵、春風亭正朝と共に真打昇進。 芸歴[編集] 1975年 1月 - 五代目柳家小さんに入門、見習い名「みのる」。 12月 - 前座となる、前座名は「みの助」。 1979年 - 二ツ目昇進、「小ゑん」と改名。 1985年9月 - 真打昇進。 演
落語家・三遊亭円楽(71)とタレント・伊集院光(53)が落語会を行うことが25日、分かった。6月13日に東京・有楽町よみうりホールで「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」として昼夜2公演を行う。昨年、円楽がTBSラジオ「伊集院光とらじおと」にゲスト出演した際に、提案し実現にこぎつけた。 伊集院は、84年に17歳で円楽(当時・楽太郎)に入門し、「楽大」を名乗った。88年に二ツ目に昇進したが、師匠に内緒で出演していたラジオ番組で売れて、90年に廃業し、タレント活動に専念していた。 円楽は「落語が好きな芸能人はいっぱいいる。みんな味方だし、(落語をやる芸能人には)やってくれて『ありがとう』だと思っている。伊集院には『売れたんだから落語をやれよ。俺は喜ぶよ』と言ったら、乗ってきてくれた」と話した。伊集院との関係も「俺は破門にしていない。勝手に廃業しただけ。『休業でもいい』と言っていた」と変わらぬ師弟関係
通称「八っつあん」「ガラッ八」。「一目上がり」では「八」まで省略され、「がら」と呼ばれてしまう。「がら」とは江戸弁で「悪意はないが、軽々しくあけすけに喋ること」[1]を意味するが、そのあだ名どおり相当うるさい性格で、しかも粗忽者(おっちょこちょい)という人物(設定)である。人の話を半分しか聞かず、『つる』などで見られるように騒動を巻き起こすパターンも結構多い。 吉原通いを趣味の一つとしており、その悪影響で坊主になってしまったことも。『妾馬』では侍に出世している。 「能天熊にガラッ八」と並べられる[2]割には、熊五郎との競演は少ない[1]また、熊五郎同様に上方落語にも登場することもあるが、数作の上方落語に登場している熊五郎と異なり、確認出来るのは『八五郎坊主』ぐらいである。 『崇徳院』:恋煩いの旦那のために、崇徳院のお歌を手がかりに相手のお嬢さんを探しに行く。 『一目上がり』[1]:『がらっ
落語界には“フラ”という言葉がある。 理屈では計算できないおかしさを身にまとっている芸人のことを、芸人仲間が羨望の眼差しでもって「フラがある」とたたえる。 けいこによって噺はうまくなるが、フラだけはどうにもならない。持ってうまれた先天的なものだからである。 昔昔亭桃太郎には、それがたっぷりとある。現在67だが、「もっと早くおじいちゃんになってほしい落語家の筆頭」だ。 満面に笑みを浮かべることもなく、その日の客席の様子を探りながら噺を進めるようなサービス精神も、高座からは一切感じられない。 最初からぐいぐい。最後までぐいぐい。聴く側が引きずりまわされ、ペースにはめられ、やがて訪れるニンマリとした後味。装飾のないむき身の言葉のつぶやきと、ぼやきが、桃太郎の真骨頂だ。 ロンドン五輪開催中の高座では、早速五輪ネタを取り入れる。ビーチ・ボーイズのコンサートに行けば、それをネタにする。 「ポール・マッ
噺家の愛おしき素顔と業を描くTVアニメーション作品。アニメファンのみならず落語・音楽業界からも大絶賛された第一期放送から一年を経て、この冬、さらなる感動の物語が始まる。
落語「大工調べ」の舞台を歩く 立川談志の噺、「大工調べ」(だいくしらべ)によると。 頭(かしら)が与太さんの所に出掛け番町で長丁場の仕事だから道具箱の用意をしろと言ったが、道具箱が無いと言う。聞くと、昼間寝ているとそいつが入ってきて道具箱を持っていった。ここが我慢のしどころだと思い黙っていた。翌朝、そいつが井戸端にいたので後ろから「おはようございます」と、挨拶をした。聞いている頭はカリカリしてきて「後ろからはり倒してやれ」。そいつとは大家であった。店賃の抵当(かた)に道具箱を取られてしまった。 1両2分と800の滞納で身動きできない与太さんに、頭は持ち合わせの金1両と2分を渡した。与太は「1両2分しかないが1両2分800は1両2分と同じなのか」、「1両2分800のところ、800持っていくのではなく1両2分持っていくのだから、800は御(おん)の字で”あたぼう”だ」と言う。あたぼうって何だと
2011年01月17日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、伊集院光が落語家時代に落ち込んでいて、その時に奮起させてくれた野球選手について語っていた。 「僕が小学校1年生くらいの時に日本ハムファイターズというプロ野球チームができましてね。そのチームがすごい好きで、ずっと応援してて」 「僕がファンになったときは6位だったんですけど、1年で1位ずつぐらい順位を上げていって、僕が中2くらいで初優勝するわけですよ。球団創設以来、初めての優勝となるわけです。その前、チームの前身である東映フライヤーズでは1回優勝してるんですけどね」 「久しぶりの優勝をするわけですよ。その年、ジャイアンツと日本シリーズであたるんですけど、ジャイアンツに負ける。日ハム2勝、ジャイアンツ4勝で、その2勝をあげたのが工藤幹夫ってピッチャーで、サイドハンドのピッチャーなんですよ」 「このピッチャーね、そのシーズンすごい良いピッ
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