タグ

ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (21)

  • 「女なんかめんどくせ」の人、西島秀俊 - ohnosakiko’s blog

    テレビで顔を見ない日はないくらい大ブレイク中の俳優、西島秀俊の「熱愛報道」についてワイドショーでやっていたのをぼんやり見ていたら、西島氏が相手の女性に求める結婚の条件というのが出てきて、ちょっと笑ってしまった。 1. 仕事のワガママは許すこと 2. 映画鑑賞についてこない 3. 目標を持ち一生懸命な女性 4. ”いつも一緒”を求めない 5. ”女の心情”の理解を求めない 6. メール返信がなくてもOK 7. 一ヶ月半会話がなくても我慢すること 「とにかく俺に構うな」と言いたいように思える。条件を個別に見れば許容範囲だったとしても、それがずらずら並ぶと異常に頑なな印象。勝手に推測してみた。 1. 結婚なんかする気はないので、わざわざ女性に引かれるようなことを言っている。 2. 過去に非常にウザいタイプの女性とつきあっていた反動で、こうなってしまった。 3. もともと「女なんかめんどくせ」な、

    「女なんかめんどくせ」の人、西島秀俊 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2014/04/25
    性別が逆だったら、いろいろと物議を醸し出すであろう内容を、こうも開陳できるのってすげぇ。これでフェミニズムとか教えてんのかよ。イラストのセンス(絵の巧拙ではなく)も、頭悪くて面白い。
  • 無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog

    国や地域や宗教によって、さまざまなかたちを取るお葬式。日では仏教形式で行われることが多い。これまで私が参列した葬儀は9割方、仏式だった。あとはキリスト教。亡き伯父と伯母がクリスチャンだったからだが、では仏式で弔われた人々は皆仏教徒だったのかと言えば、おそらくそうではないだろう。 年輩者で定期的にお寺参りに行ったりお坊さんの説教を聞きに行ったりする人はいたかもしれないし、そこまでではない人もお盆で先祖の墓参りくらいはしたかもしれない。しかしほとんどの人は、「うちは◯◯宗らしいな」くらいのことはわかっていても、仏教とは無縁の生活を送っていたと思う。多くの人の日常において、特定の宗教の匂いは薄い。 だからいざ身内が死んで通夜だ葬儀だとなると、まず何をどうしていいかまごつくことがある。伊丹十三の映画『お葬式』では、遺族がビデオで仏式葬儀のあらましを学習するシーンがあった。他人の葬儀で何となく勝手

    無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2014/02/27
    本気で「遺体処理」という形で安く済ませるのなら20万くらいで出来たかと。医師の死亡診断書と、それを元に火葬場に持っていく手続きだけだったような。セレモニーを含めると7〜80万くらいになるのかな。
  • 作曲家の”嘘”と視聴者の期待 - ohnosakiko’s blog

    聴覚障害の作曲家 別人が作曲 NHKニュース 人生中途で耳が聴こえなくなった作曲家が障害と闘いながら交響曲などを書き、CDを18万枚も売り上げ、NHKスペシャルでも感動の涙を絞っていたらしい。ところが実は耳の状態悪化で、十数年前から別の人に構想を伝えて作曲を依頼していたことを、人が明かした。 上記のニュースのブックマークコメントを見ると、「客が音でなく物語を消費している」「モノを物自身の価値でなく、付加価値(この場合はストーリー性)有りきで消費する」といったコメントに賛同者が多い。 かつてNHKスペシャルを見て感動した人の反応記事も上がっていた。 ギャフン! ギャフン! ギャフン! - 北沢かえるの働けば自由になる日記 ここでも「私たちは物語を消費したがり過ぎている」という言葉があった。 Mamoru Samuragochi : I'm a fraud, admits "Japan's

    作曲家の”嘘”と視聴者の期待 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2014/02/07
    薄っぺらくてどうしようもない話 / こういう感覚の人がいるからこそ、「物語」で音楽やその他芸術を評価するアホが減らないわけで。本来、芸術のナニカを教える人は、こういうことに巻き込まれないよう注意するべき。
  • 野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog

    30歳を過ぎるまで、カラスミというものをべたことがなかった。そういう珍味が世の中にあることも知らなかった。 結婚して数年経った頃、お歳暮かなんかで九州の人からカラスミを頂いた。 「なにこれ」 「カラスミ。ボラの卵巣を塩漬けにしたやつ。ったことないか」 「ない」 「酒のあてに最高だぞ」 「へえー(ワクワク)」。 薄くスライスして皿に並べた。見たとこ奈良漬けそっくりだ。なんかパッとしないべ物だね。しかし一切れ齧ってみると‥‥ナニコレウマイ! 日酒を飲みながら「おいしいねー」と喜んでカラスミを口に放り込んでいたら、「おいおい」と夫に咎められた。 「そうパクパクうなて。奈良漬けじゃないんだから。これ、幾らするか知ってるか」 「知らない」 「五千円はする」 「えっ、そんなに」 「チビリチビリとべるもんなの、こういうのは。パクパクうもんじゃないの」 そうなんだ。 滋賀の人から鮒寿司が送ら

    野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2014/01/22
    「ジェンダー論」に関して口うるさく言う人として、これはおかしい。「カラスミをチビチビたべる」という「価値がわかっている人の態度」は普通。意識した事のない人の乱暴な態度を許せない人がこういう話をするの?
  • 上映中にコミュニケーションする人 - ohnosakiko’s blog

    公開中の『かぐや姫の物語』を観に行った時のこと。日曜日で”映画の日”、しかも「三歳未満入場可」だったので、小さな子ども連れもいるだろう‥‥ということは、途中で子どもの声に視聴を多少邪魔される可能性あり。それでもまあいいかと思って出かけた。 客席は6〜7分の入り。同じ列に子ども連れが3組いた。左の方に座ったのは小学校4、5年くらいの女子とお母さん。右に一つおいて座ったのは、それより少し小さいたぶん小学生の女子とお父さん。その向こうに5歳と2歳くらいの幼児を含む4、5人の家族連れ。 さてこの中で、周囲の人々の視聴を一番邪魔したのは誰でしょう。 幼児でも小学生でも、もちろんお母さんたちでもない。隣のお父さんの男性だった。 物語が始まってすぐ、その男性が普通の声で娘に話しかけたのが聞こえた。何と言っていたか忘れたが、スクリーンに映っているものについての感想だったと思う。ヒソヒソ声や低めた声ではない

    上映中にコミュニケーションする人 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2013/12/09
    他人の行動が「自分の映画視聴の邪魔」なら、DVDが出てから自分の家で一人で見りゃいいじゃないか。このオバサン、相変わらず無自覚に「自分の価値観が絶対正義」な感覚だよね。他人にそれを押し付けんなって。
  • 「山本太郎お手紙事件」に見るメシア願望 - ohnosakiko’s blog

    話題としては既に古くなった、山太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を渡したという”事件”。この件で最初に思い出したのは、かつて斎藤環が『新潮45』9月号の速水健朗との対談「「ヤンキー政治」にご用心!」で、山太郎について言った「ニューエイジヤンキー」という言葉だ。 速水健朗の意見は、「山太郎の支持層とヤンキーはあまり結び付かない」し、あれは「左翼が陰謀史観に流れていく典型」というもの。一方、斎藤環は「ヤンキーがインテリの思惑の中で別の可能性を開いてしまった特異例」だとし、山太郎人はヤンキー的だと言う。 山太郎は「ある地点で思考停止してしまう面があり、極端な危ない証拠を連呼するだけで、客観性を保つための情報収集を拒否」している「シンプルすぎる非知反原発」。だがそのシンプルさ、見かけのわかりやすさでポピュラリティも獲得した。そうした性質は、斎藤環が言うところの「ニューエイジヤンキー」

    「山本太郎お手紙事件」に見るメシア願望 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2013/11/29
    相変わらず、大野先生は頭が悪くて元気そうだ。アニメ版ナウシカや小泉純一郎の「反原発運動」に対してここまで事実と違うことを開陳される勇気に乾杯だ!メシア願望の人には、アレがメシアに見えるのか。
  • 『ねことオルガン』が教えてくれたこと - ohnosakiko’s blog

    『ねことオルガン』(1962、今西祐行、小峰書店)。小峰書店の創作幼年童話シリーズのうちの一冊だが、長らく絶版となっている。 子どもの頃に読んだこののことを最近急に思い出し、実家にまだあるか母に聞いてみると、姪(妹の娘)が小さい時にあげたという。今年20歳になる姪はこのを気に入って、ずっと大切に持っていてくれた。彼女から借りて45年ぶり(!)くらいに再読した。 擬人化された同士の会話がとても愉快で、可笑しくてしんみりするお話だったという記憶はあったが、小学低学年の頃は、こんなに深みのある内容だったということまではわからなかった。早い話が、読みながら私は泣いた。別に好きだからでは(断じて)ない。そもそもこれはを主人公とした多くの子ども向け物語と同様、の姿を借りた人間のお話なのだ。*1 なぜ大人が読んでそこまで沁みるのか、以下で少し詳しく物語を紹介しながら書きたいと思うので、どうし

    『ねことオルガン』が教えてくれたこと - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2013/03/01
    猫を猫として捉えられずに、「人間の物語だ」と、「人間に置き換えないと物語を読み取ることが出来ない」人って・・・えっ、もしかして、そういう人が多いの?なら「SFを理解できる人」も減るわけだ。
  • 婆は二度死ぬ‥‥映画『デンデラ』を観た - ohnosakiko’s blog

    「姥捨て山に捨てられた婆さん達が生き残って共同体を作るんだと」 「ほう。そんで鬼婆になって通りかかった村人を取ってうのかえ?」 「そこまでは知らん。浅丘ルリ子主演で、草笛光子に倍賞美津子に山陽子、白川和子‥‥へえー豪華だな」 「浅丘ルリ子はちゃんとババアを演じられるんかえ?」 などという会話を夫と交わした翌日、原作は未読なのでほとんど前知識のないまま、『デンデラ』を観に行った。 監督は『楢山節考』(1983)を撮った今村昌平の子息、天願大介。「姥捨て山には、続きがあった。」というキャッチコピーに小汚い風体のババア集団、いや老けメイクの大女優達がずらりと並んでこちらを睨みつけているというポスターは、そこそこ迫力がある(公式HP参照)。若い人は見に来なさそうである。案の定、周囲を見渡すと定年退職した感じの中高年の夫婦や中高年の女性ばかりだ。 (以下ネタばれあり) 70歳になった老人は「お山

    婆は二度死ぬ‥‥映画『デンデラ』を観た - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2011/07/02
    コメント欄。/ 結局、大野左紀子という人物は、「自分が観測して分析をするのは良い」が「自分を観測して分析はするな」という立場の人らしいwww / ネット上に公開している以上、「全ての人」が分析対象となるのにwww
  • 1967年の「みらいへのけんせつ」 - ohnosakiko’s blog

    放射性物質にさらされた世代 - 続・たそがれ日記 ブックマークコメントで「そう言えば雨に濡れるとハゲると言われた」といったコメントが散見されたが、これ「酸性雨」のつもりで書いている人も混じってないかな?とふと思った。「放射性物質を含有する雨」と「酸性雨」はまったく違うものですよね。 酸性雨は工場などの大気汚染によってもたらされる硫酸や硝酸を多く含む雨で、森林被害や湖沼の汚染、土壌汚染を引き起こす。19世紀末から1970年代にかけて重工業化が急速に進んだことで発生した。その雨に濡れたらハゲるというのは聞いたことがないが、酸性だから毛根にあまりいい影響はないと思う。『ブレードランナー』(1982、リドリー・スコット監督)でしとしと降っていたのはこれ。 放射性物質を含有する雨はウランやセシウムを含んでおり、もちろん土壌や河川を汚染するが、人体への被害としては、一定以上の放射能を帯びた雨に打たれる

    1967年の「みらいへのけんせつ」 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2011/03/24
    前提・背景となっている歴史・科学的知識が間違いだらけなものを、こうも堂々と開陳できる無邪気さがすごいwww
  • 「寛容」という言葉 - ohnosakiko’s blog

    人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シロクマの屑籠(汎適所属) 「昔の日人が寛容だった」というのはあくまで「身内」に対してであり、かつてのような地域社会の密接な人間関係が崩壊した結果、「身内」と呼べるような相手がいなくなったのと同時に、「寛容」に振る舞う契機も失われた(ネットの村コミュニティがそれを代替している)‥‥‥という主旨なんですが。 別にこのエントリ(が言わんとするところ)への反論ではないのだけど、「寛容」という言葉の使い方が気になった。 SNSなどネットのコミュニティに参加する人の多くが求めているのは、「触れ合い」じゃないかな。その副産物としてあるのは、「寛容」と言うよりむしろ「(被)承認」じゃないかな。 そもそも異質な者を排除した「身内」に対する「甘さ」を、果たして「寛容」と呼べるのか?という疑問がある。 「寛容」という言葉は、英語のtolerationを訳

    「寛容」という言葉 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2011/02/11
    古代ローマの「寛容」を無視して、近代キリスト教の「寛容」で語る。いくらなんでもこれは勉強不足にもほどがあるだろう。「ガリア戦記」くらい読め。 / えっ「寛容」の意味が時代や場所によって異なる事も知らんのか
  • 男と女の同性愛 - ohnosakiko’s blog

    今からもうかれこれ15年くらい前のことだが、『男と女の同性愛』という展覧会に参加したことがあった。企画者はアーティストの白井美穂さん*1 。東京、名古屋、京都方面のアーティスト7人ほどが参加し、東京の佐賀町bisと京都のギャラリーTAFで、連続個展形式で行われた。 「男と女の同性愛」というタイトルは、白井さんがあるシンポジウムの後の打ち上げの席で、別のアーティストの口からポロリと漏れた言葉を拾って決定したものらしい。サブタイトルは「FLICKER OF OTHERS」(他者の点滅)。 打ち合わせの時、参加者達はタイトルに対して「面白い」「なんか引っかかりがあっていい」「男女で同性愛っぽく感じることはある」などと言っていたが、それについて突っ込んだ議論になったというわけではなかった。そもそも性をテーマにした展覧会ではない。私も特別何か感想を述べた記憶がない。 だが、このタイトルはいつまでも気

    男と女の同性愛 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2011/02/09
    その実、何も論考してない駄文。「人間にとって性は文化である」なんて、何十年前の古くさい「人類至上主義」な捉え方よ。ボノボの社会形成も知らんのかwww
  • <男×女>という思い込み - ohnosakiko’s blog

    世界の雑記帳:「女性同士の浮気なら許す」、男子学生の半数=米調査 - 毎日jp(毎日新聞) 1月27日、米国の男子学生の半数は、彼女が浮気をしても浮気相手が女性ならば許すという調査結果が明らかに。写真は19日、米ロサンゼルスで撮影(2011年 ロイター/Lucy Nicholson) [ニューヨーク 27日 ロイター] 米国の男子学生の半数は、長く交際している女性が浮気をしても浮気相手が女性ならば許すという調査結果を、テキサス大学オースティン校の研究チームが発表した。 718人の大学生を対象に実施されたこの調査によると、女性同士の浮気ならば許して交際を続けると答えた男子学生は50%だったのに対し、交際相手の男性が男性と浮気しても許すと答えた女子学生は21%のみだった。 研究チームはこの結果について、嫉妬の能に基づいた反応だと結論付けている。男性の場合は男性のライバルが現れると子孫を残す機

    <男×女>という思い込み - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2011/02/01
    どうして、id:ohnosakikoは、「自分が経験した世界」=「世間一般の常識」と勘違いして敷衍するのだろうか?以前のゴタゴタもその意識が原因だったってのに、まだ気づかないのだろうか。こんな大学講師はバカすぎる。
  • id:font-daさんへのお返事 - ohnosakiko’s blog

    id:font-daさんにハイクのポストでidコール頂きました。 http://h.hatena.ne.jp/font-da/9258658669874907460 これについてid:elveさんにお返事まだ?と聞かれてブコメで「返事はこないだの記事に既に全部入っているのでしないです」と今朝書いたのですが、少し質問もあるのでやはり書いておこうと思います。 だいたいセクハラだと批判している人々の中で、自分の意見をちゃんとまとめてidコールしてくる人って、id:font-daさんくらいのものですし。*1 で、ほとんど書いてからfont-daさんがブログでずっと長くて丁寧な記事にしているのを見つけたのですわ(半分位は引用だけど)。あー‥‥。これに合わせて書き直す余力がない。でもハイクと重なる部分もありそうなので、あまり手を入れ直さないでこれはこれでアップしておきます。 id:ohonosakik

    id:font-daさんへのお返事 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2010/12/22
    結局、自分に都合の悪い部分は「ケースバイケース」として逃げているのに、「フェティシズムは基本的に男性のもの」というケースバイケースを適用していない自己の発言の暴力性には気づかず、かwww >>id:ohnosakiko
  • 男は「代用品」を愛する(なぜフェティシズムは基本的に男のものなのか) - ohnosakiko’s blog

    フェティシズム、セクハラ、ロリコン(前記事への反応に応えて) しつこいですが短めに。 フェティシズムはもともと「神の宿った呪物」を奉る物神(フェティッシュ)崇拝から来ており、来のものではなくその「代用品」を目的化し崇拝の対象にするということ。精神病理としてのフェティシズムで例に出される女性の下着やへの執着(それなしには性的に興奮できない)も、マルクスが指摘した資主義社会における貨幣への信仰(只の紙切れが特別な意味を帯びる)も、プロセスや手段となるべきものが目的化している、「代用品」への偏愛であるという点において同じである。 性的嗜好としてのフェティシズムの世界を見渡すと男が多いのは何故か。男にとって女とはファム・ファタールから制服の処女まで常に「妄想の女」であり、妄想=代用品を通してしか男は欲情できないからである。それなしにもし"女の実像"に到達すれば、ファンタジーは消滅し性的興奮は

    男は「代用品」を愛する(なぜフェティシズムは基本的に男のものなのか) - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2010/12/16
    「フェティシズムは基本的に男のもの」としたいがための我田引水な駄文www / もうちょっと自分の「社会」以外の「世間」を観察する事をお勧めします>>id:ohnosakiko
  • フェティシズム、セクハラ、ロリコン(前記事への反応に応えて) - ohnosakiko’s blog

    ※追記あり おばさんのフェティシズム - Ohnoblog2 ブックマーク メタブクマの階数がすごいことになっているが、とりあえず最初のブクマコメントで多く出された「フェティシズムって男のもの?」という疑問や「セクハラだ」という批判について答えてみる。 フェティシズムについて 「フェティシズム」とは精神医学用語で、女性の装身具など特定の物に偏愛を示す、男性に見られる性倒錯を指す。以下、手元の資料他から抜粋。 フェティシズムは倒錯のなかで理論的に非常に重要な位置を占めており、性的器官の代理といってよいものに対する多大なリビードの局在化を伴っている(以下で論じる事例研究で見るように)が、このことは少年に比べて少女の場合にはきわめてまれにしか起こらない。 (『ラカン派精神分析入門』(ブルース・フィンク/誠信書房)p.385) 確かに、フェティシズムはとりわけ男性のリビドーを特徴づけているというこ

    フェティシズム、セクハラ、ロリコン(前記事への反応に応えて) - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2010/12/14
    ラカンという「男女非対称な精神分析」屋の言説をもって「フェティシズムは男性に見られるもの」とは何のギャグかwww / 「フィギュアを愛でるのは女性より男性の方がずっと多い」リカちゃん人形を愛でるのは女の子。
  • おばさんのフェティシズム - ohnosakiko’s blog

    「最近の若い男の子ってきれいねぇ」 と、母が言った。母、73歳。 買い物に行くのにバスに乗ったら、たまたま近くの高校の下校時だったらしく、高校生がたくさん乗っていたという。全員男子。降りる停留所の近い母は、昇降口近くのポールにつかまっていた。母の手の少し上に、やはりポールをつかんでいる男子高校生の手があった。 「思わず自分の手、引っ込めたの」 「なんで?」 「だって私の手、シワシワのおばあちゃんの手でしょ。向こうはシミも皺もないきれいな手よ。あんまり違うもんで恥ずかしくてね」 吹き出した。 「誰もお母さんの手なんか見てないよ。見たとしても何とも思ってないって」 「でも恥ずかしいわよ。そんで男の子見上げたらさ、まあ肌のきれいなこと。あんまり陽に灼けてなくてツルンとしてて皺一つなくてねー。いいわねえ若いってことは」 「よしなさいよ、ジロジロ見るの。変なおばあさんだと思われるよ」 「そんでバスが

    おばさんのフェティシズム - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2010/12/13
    母親のような話は聞かないでもない。ただ、「フェティシズムは基本的に男のものだが」はいただけない。セックス視点にしろジェンダー視点にしろ、「フェティシズム」に性差を与えるのは間違っている。
  • 男であることのストレス - ohnosakiko’s blog

    男女論になるとよく「主語が大き過ぎる」という指摘が出る。「男とは」「女とは」という語りによって、現実には多様な男や女を一括りにしている、一般化してしまっているという批判だ。「私はここには含まれない」「こうじゃない人もいる」という意見も時々出る。 そういうことを言われるたびに、「男とは」「女とは」と言っただけで何故「すべての男」「すべての女」を指していると思うのだろうと疑問をもつ。生物学的な意味での男/女に必ず共通しているのは、それぞれ男性/女性の身体を持っている、ということだけだろうにと。 「男とは」を例にとってみよう。「男とは」話で言われるところの「男」は、文脈によって二種類ある。 一つは、「多くの男は」「男の全体的な傾向として」という話だ。大抵は「女の全体的な傾向として」という話と比較するために書かれる。そう書くだけのサンプルや統計資料、それに準ずるものがあり、尚かつ例外はあるに決まっ

    男であることのストレス - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2010/05/29
    日本語の使い方がなってないことを、自分にではなく、「なぜ読み取れない」と、他者に原因をもっていくオバハンの独り言。
  • 獣と檻 - ohnosakiko’s blog

    そういうことで、「男が獣なら檻に」議論は終わったんですか。 最初からそんな"議論"はなかったの!「予防拘禁」なんて言い出す人がいたからおかしくなっただけ! はい。そうかもね。でもえらいこと揉めたよ。 で、三周くらい遅れてつまらない話を(時間のある人は聞いておくれ)。 「男は獣」とは、「男=獣」ではなく、「男の性とは獣のようなもの」「男の中には一匹の獣がいる」の意です‥‥という当たり前のことは、もう既にどこかで出ました。 いくらトンデモなことばかり書いてるナベジュン先生でも、さすがに「男 is 獣、not 人間」と思ってるわけがない。「男というものはだね、みんな自分の中に獣を一匹飼っておるのです。もちろんボクの中にもね。まだまだ元気ですよ、ハッハッハ」と言いたいの。*1 男とは、より多くの女を抱きたいもの。欲望のままに生きたいもの。それが男の性(女とは違う)。これはずっと先生があちこちで

    獣と檻 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2009/12/23
    何周遅れているんだ、この人( ゚д゚)ポカーン / 「獣」は男女関係なくいるし、女性の「獣」が大人しいとも限らない。同性間における競争を見れば明らか。「自分のは弱かった」=「女性の獣は弱い」じゃないだろ。
  • 「ブスなのに何故」問題 - ohnosakiko’s blog

    北原みのり|よしもとばなな よしもとばななの容姿をめぐる自意識についての、北原みのりと友人のBさんの会話がCさんを"誤爆"してしまい、大変なことになったという話。 以下は、例の居酒屋ワイン事件についての「勘違い」エッセイに驚いたという下りの続きの部分。 いやー、よしもとばなな、すごいね。 その安定感は、やはり、父親の名前が大きいからなの? というようなことを私が言うと、その場にいた女友だち(仮にBさんとします)がすかさず、 「そういう人なんですよ。よしもとばなな。前にエトロのパーティで、全身エトロを着て・・・ええ、もちろん、全く似合っていないんですけど、ピーコのファッションチェックを満面の笑みで受けてたことがありますよ」 と言うのである。なるほど、作家に必要なのは客観的に自分を観る力ではなく、自分に酔える力だ。妄想力だ。よしもとばななの自己肯定感は、父にそっくりな容姿を得た故なのか、それと

    「ブスなのに何故」問題 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2009/12/23
    結局のところ、「よしもとばななの容姿」と「何」がどう関係性をもっているのか、焦点がぼやけて何を言いたいのかわからない考察(?) / この文が理解できるのは北原みのりとその友人の心理に共感できる人なのかな。
  • 猫と(キモい)私 - ohnosakiko’s blog

    タマがうちに来てから二ヶ月近くになる。タマとはのことです。 オスだけど、「タマ」という古典的な名前がなんとなく好きなので名付けた。柄はキジトラ。 十月に親戚の家に遊びに行った時、「、飼う気ない?」と年長の従兄弟に言われた。一人暮らしの娘さんが飼っていたのだがアレルギーだとわかって親の家に引き取ったものの、前から飼っているチワワがを怖がって困っているとかで。まだ産まれて四ヶ月。 私のところは犬を軒先で飼っているが、室内で動物を飼ったことがないし、飼おうと思ったこともない。は嫌いじゃないけど、うちの中は雑誌や書類やがあちこちに山積み状態なので、こんなとこでなんか飼ったら部屋がめちゃくちゃになると思っていた。 しかし「まあ見るだけでも見て」と言われて見たのが運の尽きでした。キジトラの仔は細いしっぽをピンと立て、物怖じもせず私の膝に乗ってきて「ミャ!」と鳴いた。 こりゃ連れて帰らね

    猫と(キモい)私 - ohnosakiko’s blog
    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/07
    猫(特に子猫)は人を変える。あれほど(いろんな意味で)困ってしまう、しかし、あれほど愛くるしい存在もなかなかいない。