日直のボウシータです。出張でパリ経由でブザンソンにきています。ブザンソンは、かつて小沢征爾がブレイクするきっかけとなった国際指揮者コンクールがある都市です。 そんなところまできて、しつこく「わかる」の話を続けています。 前々回・前回と確認してきたのは、 「わかる」というのは手持ちの理解のスキーマのなかに落としこんでいくことであるということ、 そうである以上、「わかる」ことと「わかったつもりになる」こととは、当人にとっては同じであるということ、 であった。 今回は、「読む」という情報処理のありようを見ていこう。 まずは有名な「なぞなぞ」から話を始めたい。 問1. ある男がその息子を乗せて車を運転していた。すると、車はダンプカーと激突して大破した。 救急車で搬送中に、運転していた父親は死亡し、息子は意識不明の重体。 救急病院の手術室で、運びこまれてきた後者の顔を見た外科医は息を呑んで、つぎのよ