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書誌に関するtsuneaki02のブックマーク (164)

  • エクリチュールについて(承前) - 内田樹の研究室

    エクリチュールについて(承前) ロラン・バルトのエクリチュール論そのものが、そのあまりに学術的なエクリチュールゆえに、エクリチュール論を理解することを通じてはじめて社会的階層化圧から離脱することのできる社会集団には届かないように構造化されていた・・・というメタ・エクリチュールのありようについて話していたところであった。 同じことはピエール・ブルデューの文化論についても言える。 『ディスタンクシオン』もまた、(読んだ方、あるいは読もうとして挫折した方は喜んで同意してくださると思うが)高いリテラシーを要求するテクストである。 おそらく、ブルデュー自身、フランス国内のせいぜい数万人程度の読者しか想定していない。 自説が理解される範囲はその程度を超えないだろうと思って書いている(そうでなければ、違う書き方をしたはずである)。 だが、「階層下位に位置づけられ、文化を持たない人には社会的上昇の

  • エクリチュールについて - 内田樹の研究室

    クリエイティブ・ライティングは考えてみると、私が大学の講壇で語る最後の講義科目である。 80人ほどが、私語もなく、しんと聴いてくれている。 書くとはどういうことか。語るとはどういうことか。総じて、他者と言葉をかわすというのは、どういうことかという根源的な問題を考察する。 授業というよりは、私ひとりがその場であれこれと思いつくまま語っていることを、学生たちが聴いているという感じである。 「落語が始まる前の、柳家小三治の長マクラ」が90分続く感じ・・・と言えば、お分かりになるだろうか。 昨日のクリエイティヴ・ライティングは「エクリチュール」について論じた。 ご存じのように、エクリチュールというのはロラン・バルトが提出した概念である。 バルトは人間の言語活動を三つの層にわけて考察した。 第一の層がラング(langue) これは国語あるいは母語のことである。 私たちはある言語集団の中に生まれおち、

    tsuneaki02
    tsuneaki02 2010/11/05
    「〜だけれど〜」は、うまくやると、楽しかったり格好良かったり。『無難ではない選択肢』に過ぎないのだろうけど。「キャラ化する世界」も思い出す。
  • 愛に値しない者にたいして注がれる“父親の愛”:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) エロス、カリス、カリタス、アガペー これまで古代の愛の概念として、欠如を埋めるエロスの概念、平等な者どうしのカリタスの概念、夫婦の間の和合としてのカリスの概念を考察してきた。エロスは愛するわたしだけに注目した「わたしは愛する」という一人称の愛の概念だった。カリタスとカリスは二人の間の相互的な愛に注目した「わたしたちは愛しあう」という二人称複数の愛だった。 これから考察しようとするのはキリスト教のアガペーの概念であり、これは「わたしはあの方を愛する」、「わたしはあなたを愛する、あの方があなたを愛するがゆえに」という三人称の愛の概念である。アガペーとはもともとは「愛餐」を意味した。これはキリスト教の信者の親善と博愛のための会

    愛に値しない者にたいして注がれる“父親の愛”:日経ビジネスオンライン
  • 愛する相手との関係でこそ感じる「他者」:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 「対他・存在」としての愛 すでにみてきたように、サルトルは「第三者なるものの出現は、二人の愛の破壊である」[1]と語ったのだった。それは第三者が登場することで、二人の親密な世界が破壊されるからという意味だけではない(破壊されるのはたしかなのだが)。愛する者どうしが親密な世界に閉じこもっているつもりでいても、つねにそこに第三者が存在するからだ。 それは「わたしたちが二人きりで、わたしの部屋にいて、事実として〈二人きり〉であるとしても、それは権利として〈二人きり〉であることではない。実際に誰も私たちを見ていないときにも、私たちは、すべての意識個体にとって存在している」[2]からである。愛する者どうしも、自らの意識から他者の存在と

    愛する相手との関係でこそ感じる「他者」:日経ビジネスオンライン
  • 「パレート最適」の先生の冷たい方程式に、あえて熱く燃えてみる:日経ビジネスオンライン

    「最適」ってどういう意味? 限りあるものは、なるべく効率的に使いたい。 できるだけ適切な割合で配分したいと思う。 でも、どういうふうに配分すると、「最適」な配分になるのだろう。 たとえば受験生を想像してみよう。 彼は浪人生で、今、一日の生活プランを立てている。 一日24時間という限られた時間を「最適」に配分するには、どうしたらいい? 事・入浴に4時間必要。それ以下は無理で、それ以上はいらない。これは4時間で決まりだ。 残り20時間を、睡眠と勉強に配分しよう。 彼は熟慮の末、「睡眠5時間、勉強15時間」に決める。 これ以上、睡眠時間は増やせない。勉強不足になって学力が落ちるから。 これ以上、勉強時間も増やせない。睡眠不足になって体を壊すから。 睡眠5時間と勉強15時間は、どちらも、もうこれ以上増やせないギリギリの時間配分だ。 これが受験生の彼にとって、「最適」の時間配分なのである。 そう提

    「パレート最適」の先生の冷たい方程式に、あえて熱く燃えてみる:日経ビジネスオンライン
  • どっちの指揮者SHOW!『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』 ~「いい人」のまま組織を束ねることはできるか?:日経ビジネスオンライン

    趣味は何ですか? と訊かれて「クラシック音楽鑑賞」と答える人は、無邪気な人だ。 まったくクラシックを聴かない人から「お高くとまっている」と思われていることも知らないし、クラシック音楽にどっぷり浸かっているクラシックマニアから「何も知らないくせに」と内心軽蔑されていることに気づいていない。だから、クラシックマニアは不用意に「趣味はクラシック」なんて答えない。 かくいう私は、「クラシックが趣味」と公言することの怖さが分かる程度の「クラシック憧れ人」だが、そんな私から見ると、クラシックファンにはスゴい人が多いのに驚く。 交響曲といえばまだベートーベンの「運命」と「第九」くらいしか知らない高校1年の夏、訪ねた友人の部屋にクラシックレコードが300枚も並んでいるのを見て、あ然としたことがある。また、会社の先輩の中には「フルトヴェングラーの現存する録音を全て集めるのが趣味」という猛者がいたし、「同じ曲

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  • 他者からの愛と自己愛、この二つの愛がどうしても必要なのである:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 他者への愛と異性への愛への困難 フロイトがこれまで繰り返して強調してきたことは、人間が他者を愛するということ、他者のうちでも異性を愛するということは、当然のことでも正常なことでもなく、さまざまな条件のもとでしか成立しないということである。誰もが自己を愛するものであり、他者は二の次になりがちである。他者を愛するとしても、男性が女性を愛するためには、いくつかの困難があり、同性への愛へと進む傾向があるし、女性が男性を愛するためにも、いくつかの困難があるとフロイトは考えるのである。 それでも多くの場合、思春期に男性と女性は愛しあう。それが可能となる道筋をこれまでたどってきたのだが、まだ言われていない重要なことがいくつか残っている。そ

    他者からの愛と自己愛、この二つの愛がどうしても必要なのである:日経ビジネスオンライン
  • 「やむをえない人生」に、吹けよ、風!:日経ビジネスオンライン

    「讃岐の国の多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語 第十四」(『今昔物語集』巻第十九 朝付仏法) 『今昔物語集』1059話の中から見つけた深く美しい力 『今昔物語集』は、平安時代の末期(12世紀の初め)に成立した仏教説話集だ。作者未詳、書き出しはすべて「今は昔……」で統一された1059話。 ぼくは何か機会があるたびに、つまみいのようにして読んだだけだ。おもしろい話もあったし、退屈な話もあった。そして、この「讃岐の国の多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語(さぬきのくにのたどのこおりのごい、ほうをききてすなわちしゅっけせること)」のように、いつまでも心に残る、かけがえのない、深く美しい力を持つ話もあった。 主人公は讃岐の国の極悪人、源大夫 舞台は讃岐の多度郡、今の香川県仲多度郡の多度津町や善通寺市あたりだ。源大夫(げんだいぶ)という名の極悪人がいて、毎日のように人を傷つけ殺すので、地

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  • 「ヴァギナ」はスゴ本 【全年齢推奨】

    知ってるつもりのヴァギナが、まるで違ったものに見えてくる。 のっけからのけぞる。モザイクかかっているものの、ヴァギナそのものが誇らしげに表紙に掲げている(遠目だとちゃんと認識できる)。表紙だけでなく、子を産むヴァギナや、常態のヴァギナなど、普通では見られない写真や図版も豊富にある。写真だけでなく、科学や宗教、歴史、神話と伝承に、文学と言語、人類学、芸術の幅広い資料から徹底的に調べ上げている。 そして、偏見と妄想をとっぱらったヴァギナを多角的・広角的に紹介する。同時に、ヴァギナに対する文化的・科学的バイアスを指し示すことで、どれだけ歪んだヴァギナ・イメージに染まっているかをあぶりだす仕掛けになっている。これを読むことで、男女問わずヴァギナ観がガラリと変わることを請合う。 まず、神話や伝承、民俗学では、恐れ敬われ、魔よけともなる力強い姿が紹介される。さまざまな神話や伝承が示す、着衣をまくりあげ

    「ヴァギナ」はスゴ本 【全年齢推奨】
  • 1945年の『終わらざる夏』 ~8月15日に戦争は終わっていなかった:日経ビジネスオンライン

    猛暑、いかがおすごしでしょうか? ワタシはひどい多汗症で、冷房のきいた電車に乗っていても、背中のあたりがびっしょびしょ。シートが汗でぬれてしまうので、空いた席に座るのもはばかられ、憂です。そんな悩みって、65年前の人たちもしていたんだろうか? 悩んでますなんていうと、当時の人たちからしたら、ゼイタクって言われそうですが……。 今年もまたやってきた、8月15日。さて、何の日? 「終戦記念日」だと、多くの方はお答えになるでしょう。しかし、この日から3日後に、千島列島北端の小さな島で、激戦が始まったなんてことを知っている人はどれぐらいいるのだろうか? ワタシはこので初めて知ったわけですが。 終戦後に始まった日ソの戦闘 日の無条件降伏直前に、ソ連軍が満州や樺太にドサクサで攻め込んだことは知られていても、千島のこの小島での戦闘については、どうして多くの日人が知らないままに過ぎてきたのか。 守

    1945年の『終わらざる夏』 ~8月15日に戦争は終わっていなかった:日経ビジネスオンライン
  • インテリ縄文人はすごい!『「理科」で歴史を読みなおす』 ~彼らはピタゴラス三角形を知っていた:日経ビジネスオンライン

    ドラえもんを毎朝読んでいる。 朝日新聞の雑学コラム「しつもん!ドラえもん」。歴史やことわざネタの他に理数系ネタもあり、その「答え」に思わず「へぇ~」となってしまうのである。 例えば――。 「地球の自転速度は、新幹線の4~5倍(時速約1360km)」 「46億年の地球の歴史を1年でたとえると、今年は12月31日23時59分50秒台」 同新聞では、「マグロが泳ぎ続けるのは?」「水流に溶けた酸素をエラに集めて呼吸するから(死ぬまで泳ぐ)」といった素朴な疑問に専門家が答える夕刊の「DO科学」欄も面白い。 読んで、理系リテラシーが自分史上最高に上がった(気分の)評者。調子に乗って、手に取ったのが書というわけである。 大阪大理学部長などを歴任した物性物理学の権威である著者は、これまで「政治経済」とともに歴史を動かしてきたのは、数学的知識や、暦の作り方など広い意味での「理科力」だと言う。なるほど、そう

    インテリ縄文人はすごい!『「理科」で歴史を読みなおす』 ~彼らはピタゴラス三角形を知っていた:日経ビジネスオンライン
  • デューラーに学ぶネットワーク・サイエンス(その1):日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 前回「サイバー自衛」の問題を取り上げたところ、コメント欄でもツイッターでも、様々な反響を頂きました。ありがとうございます。変に煽り立てるのでなく、落ち着いてこうした問題を考え続けることが大切だと思います。 分かりやすい話、前回のような内容を「日はサイバー軍拡せよ!」みたいにショッキングなタイトルで書くことも可能です。多分そのほうがアクセスも多いでしょう。でも、そういう耳目の集め方で考えるべき問題ではない、というのが正直、僕が思うところです。 なんでそんなことを思うか、という動機を、少し補っておきましょう。 山田耕筰の轍を踏まないために 今年も終戦の日が近づいて来ましたが、こうした問題を考える僕の個人的動機は、祖父の後輩だった山田耕筰氏の戦時

    デューラーに学ぶネットワーク・サイエンス(その1):日経ビジネスオンライン
  • 人は相手の善意ではなく</br>自己愛(セルフ・ラブ)に訴えるのだ:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 政治経済学の誕生 さらに重要なことは、誰もが自分の保存を第一の目標とする権利があるというこのホッブズの原理は、政治哲学の分野にとどまらず、経済学の分野でも基的な原理となったのである。資主義社会の発展とともに、経済というものの考え方が基的に変化してゆくのである。 経済学(エコノミクス)という語はギリシア語の家政術(オイコノミケー・テクネー)からくる。オイコスは家であり、経済学は家の管理と支配の術の意味だった。家の主人が女たちに手仕事をさせ、奴隷たちに労働させ、家計を管理するための術である。この伝統は中世を通じてそのまま維持された。近代の初頭になっても、経済学は君主の家計の意味からそれほど逸脱していなかった。 それがやがて

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  • 移行期的混乱 (内田樹の研究室)

    平川克美くんの近著、『移行期的混乱』(筑摩書房)のゲラを読む。 タイトルは二転三転してまだ決まらないようだけれど、執筆中から、の話をするときは、ずっとこのタイトルで話していたので、私は勝手にそう呼ばせてもらう。 文明史的なひろびろとした展望の中で、現代日の景況・雇用問題・少子化・高齢化・格差といった「困った問題」をわしづかみにするような豪快な議論を展開している。 平川くんによると、今日経済学者や政治家たちはリーマンショック以後の経済危機を「システム運用上の失敗」に過ぎないととらえている。 だから、効果的な経済的な政策さえ実施すれば「再度新たな経済成長が期待できるはずである」という見通しを語る。 それがうまくゆかないのは個別的な政策の当否や為政者の賢愚という正誤問題に過ぎず、正しい政策、賢明な政治家に取り替えれば、問題は解決する、というのが彼ら政治家やメディア知識人たちの見たてである

  • 現代の政治哲学に通じる 「自己の保存」というリアリズム:日経ビジネスオンライン

    (前回から読む) 自己への愛に依拠すること、これは近代の政治哲学の端緒を告げる重要な視点だった。それまでは人々が社会を作り、人々と結びつきを作りだし、国家を構築するのは、人間の性の働きのためだと考えられていた。この伝統をごく駆け足でたどってみよう。 人間の性と国家――アリストテレスの政治哲学 アリストテレスはすでに「人間は自然にポリス的な動物である」[1]と定義していた。この定義によると、人間はその性からして政治的な生き物であり、人間の最高の善は、ポリスで生きることによって実現されることになる。「共同体へと向かう衝動は自然にすべての人のうちに備わっている」[2]のであり、「共同することのできない者か、あるいは自足しているので共同することを少しも必要としない者は決して国の部分ではない。従って野獣であるか、さもなければ神である」[3]。国家を作らない者は、神のように人間を超えているか、野

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  • 愛するということは、自分の精神と身体の喜びを拡大させるものを好むこと:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (「わたしは愛する【2】」から読む) 内在と超越 すでに考察してきたように、ストア派の哲学には、自分に親しいもの(オイケイオーシス)を愛すること、自己を愛することから始まる道徳の考え方を示していた。これは外的な価値観、自己から超越したものに依拠する必要がないという意味では、「内在」の哲学の考え方と呼べるだろう。外部にその権威をもたず、誰もが自分の心にたずねてみるだけで、納得できる考え方なのだ。 この超越に対する内在という概念は、すでにプラトンが提起していたものだった。プラトンはごく初期の対話編『エウチュプロン』において、敬虔とは何かという問いを提起している。そしてそれは「神が愛するものだ」という答えを聞いて、「神が愛するものが敬虔なのか、それ

    愛するということは、自分の精神と身体の喜びを拡大させるものを好むこと:日経ビジネスオンライン
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 47. ジンクスは「物語」から生まれ、占いは「一般論」から生まれる。:日経ビジネスオンライン

    日直のボウシータです。今週は長野県飯田市から、相変わらず「わか(った気にな)る」の話を続けてお送りします。 前回まで、「物語」の形をしているものは「わか(った気にな)り」やすい、という話をしてきた。前回はとくに、ジェラール・ジュネットとロラン・バルトが書いたものを参考にしつつ、「物語」的な認知の一特徴を指摘した。 すなわち、私たちは世界を「物語」的に認知するときに、「前後関係」を「因果関係」と混同してしまいがちである、という話だった。人間にはf1のあとにf2が起こったら、ついf1のゆえにf2が起こったというふうに考えてしまう癖があるのだ。 私たちは縁起担ぎなどの場で、こういうことをしょっちゅうやっている。 江夏豊が重要な役割を果たすベストセラー『博士の愛した数式』の作者・小川洋子は、親の代からの阪神タイガースファンだ。少女期の家族団欒の思い出を、小川さんはつぎのように回想している。

    47. ジンクスは「物語」から生まれ、占いは「一般論」から生まれる。:日経ビジネスオンライン
  • 45. 私たちの脳の、宿命的な欲求。:日経ビジネスオンライン

    日直のボウシータです。帰国の時差ボケが直らないまま、前回に引きつづき、「認知の枠組としての物語」について書こう。 「物語」というのはごくふつうの言葉だけれど、文脈によっていろんな使われかたをしている。批評(文学・映画漫画その他)、文化人類学、認知心理学、科学哲学、歴史研究など、さまざまな分野で使用されているだけでなく、批評なら批評という同じ分野でも、文脈によって論者によって、「物語」という語に背負わせる意味が違う、なんてこともある。 で、当面のところ、私はこの文章では、「物語」をいわば認知の枠組の一種としてユルーくあつかっている。

    45. 私たちの脳の、宿命的な欲求。:日経ビジネスオンライン
  • 44. 「わかる」とは、因果関係をでっち上げることである。(前):日経ビジネスオンライン

    日直のボウシータです。昨日、出張から日に帰ってきました。 前回、「わかる」ためには「思いこみ」=「書いていないことまで読んでしまう癖」が必須である、ということを書いた。と同時に、「思いこみ」=「書いていないことまで読んでしまう癖」のおかげで、バックボーンの違う人の発言が「わからなく」なる危険もある、という話も書いた。そしてそのマクラとして、ちょっとしたなぞなぞ(問1)を紹介したわけである。 今回は予告どおり、もうひとつのなぞなぞを出してみよう。これもまた、「わかる」のもうひとつの側面を照らし出すものだ。

    44. 「わかる」とは、因果関係をでっち上げることである。(前):日経ビジネスオンライン