タグ

論理に関するtsuneaki02のブックマーク (30)

  • 相対的な位置と身体と環境|DaiTamesue為末大

    昨日は左右のことについて書きました。その際に左右は相対的だけれども、上下や東西南北はそうではないからというご意見がありました。しかし、宇宙空間から眺めてみると上下も東西南北も相対的です。地球の側を向いている方が下であり、反対側が上であるだけで地球がなければ上下もまたありません。東西南北もまた地球に依存しています。インフレーション理論ってのを詳しい人に教えてもらうと、どうも宇宙は膨張し続けているそうで、そうなると空間上に絶対的な位置というものがそもそも存在するのかという疑問が湧きます。膨らんでいるなら何かとの関係でしか位置を把握できません。 素人ながらそう考えていくと全てのものの位置は相対的なものでしかないのではないかという気がしてきます。私はスポーツの定義を「環境と身体の間で遊ぶこと」としています。それは自分の競技経験からどちらかが主体であるということ自体がただの思い込みではないかと感じて

    相対的な位置と身体と環境|DaiTamesue為末大
  • 左右と個人|DaiTamesue為末大

    息子はまだ右左ということが理解できていません。そこの道を右に曲がってと言っても右か左かがよくわからないのです。同世代と比べても比較的言語の習得が早かったと思うのですが、上下前後はわかっても右左の概念の習得には時間がかかっています。ふとこれは右左という概念が人工的だからではないかと思うようになりました。 いや、人工的というなら全ての言語は人工的ではないかというのはまさにおっしゃる通りなのですが、言語が生まれる前から生存に重要かつ自然に認識されているようなことを言語で表現し理解することは比較的容易なのではないかと思います。一方、人間同士のコミュニケーションのために生まれた言語、概念ほど理解が難しいのではないかと息子を見ながら考えています。 言語に詳しい方であればよくご存知ですが、右左を定義することは難しいと言われています。辞書を見れば私が東を向いているなら南側のことが右であるなどと書かれていま

    左右と個人|DaiTamesue為末大
  • マジックワードの多い教育界|shinshinohara

    その言葉を聞いた途端、思考が停止してしまう言葉をマジックワードと言うらしい(日だけに通じる使い方らしい)。教育界ではこのマジックワードがとても多い。例えば「子どもは愛情をもって育てる」「子どもは時に厳しく接しなければ」「わかりやすく教える」これらは問答無用に良しとされている。 でも、私には何を言っているのか分からない。具体性がない。どんな場面でどう接することを指すのかも分からない。そしてそれらの対応が果たして効果があるのかも怪しい。なのに「そうだよね」とみんながうなづき、文句なしに賛同する言葉になっている。その手のが教育界には非常に多い。 孫のことを、まさに目に入れても痛くないようなかわいがりようで愛情深く育てたおばあちゃんがいた。その子は、白昼夢を見ているような子どもになった。べるのも着替えるのも全部おばあちゃんがやってしまうので、何もさせてもらえないこの子は心の中のお花畑におでかけ

    マジックワードの多い教育界|shinshinohara
  • 競争相手の立場になってみること|DaiTamesue為末大

    戦略や戦術を考える際、競争相手の内在的論理を理解することは極めて重要です。内在的論理の内訳は、相手がどんな現実の捉え方をしていて、何を重視しているかを理解する必要があるということです。この相手の内在的論理を知る上で三つの障壁があります。それは正義感(自分の価値観)と希望(楽観主義)と言霊主義です。 そもそも正義感がなければ何を良いこととするかが定義できないので、正義感があることは大切だと思います。問題は正義感の出し入れを自由に行えなくなることです。例えば戦時中日では、米国は敵国だからと英語を使わないということが行われました。敵国の言葉だからという理由です。逆に米国は日を徹底的に分析しました。先の論理から言えば、相手の言葉こそ研究しそのような言語を扱う人間の心理構造はどうなっているのかを理解した方が勝率は高まります。 ところが正義が先に立つ人はこれができません。つまり「まず競争相手の身に

    競争相手の立場になってみること|DaiTamesue為末大
  • イラク派閥、「米はわが国を破壊したことで制裁課されるべき」

    イラクのある派閥が国際社会に対し、すべての国に同一の基準で対応して、アメリカにもイラクを荒廃させた理由で制裁措置を取るよう求めました。 アメリカが率いる有志連合軍は2003年、大量殺戮兵器がイラク国内に存在するという口実のもとに同国へ侵攻しました。しかしその後、この侵攻時にイラクには大量殺戮兵器が一切存在しなかったことが明らかになりました。 アメリカによるイラク戦争での死亡者数に関して正確な統計はありませんが、一部ではこの戦争の影響でおよそ100万人が死亡したとされています。 イラクのマアルーマ通信によりますと、イラクの派閥「アサイブ・アフロルハック(正義の連合)」の政治局員Saad Al-Saadi氏は、演説の中でウクライナ戦争をめぐる国際社会、中でも国連や安保理の態度について言及し、「ウクライナに対する国際社会の態度は、イラクが米国により占領されてインフラや安全保障システム、あらゆる経

    イラク派閥、「米はわが国を破壊したことで制裁課されるべき」
  • 仮説(理論)には適用範囲がある|shinshinohara

    人工知能の研究してる人から「僕、ポパーの反証可能性、キライなんです。人工知能が出した予想を、反証可能性がないじゃないか、っていびる教授がいて」と言われた。ああ、その気持ちわかる、と思った。その教授は反証可能性の適用範囲を間違ってる。 反証可能性は、ある程度検証が進み、妥当だと認められた仮説、つまり「理論」には必要だけど、まだ予想でしかないものに強く求めるとただの「予想つぶし」にしかならない。 病気だと症例報告というのがあるらしい。これまで知られている病気とはどうも異なるという場合、もしかしたら新しい病気かもしれない、というもの。もしかしたら二度と現れない病気かもしれない。気のせいだったかも、勘違いだったかもしれない。しかしそれを見逃したら大変なことになるかもしれない。 エビデンス出せっつったって、一件しか症例しかなければ、出しようがない。「反復数がないものはエビデンスとは言えない」なんて言

    仮説(理論)には適用範囲がある|shinshinohara
  • “作られた現実”を、さらに解体する。 - 悩みは、心の外にある

    物理的な現実に根ざす、と聞いても、 「そうはいっても、私の容姿は物理的に劣っている」 「学歴がないのは、物理的な現実です」 という考えが拭えない、という場合があります。 (参考)→「“作られた現実”を分解する。」 もちろん、それもローカルルールによるもので、それ自体が、「物理的な現実」ではありません。 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 「でも、容姿は物理的なものでしょう!?」というかもしれません。 これもやっぱり、実はローカルルールによるものなのです。 確かに、実際には、人間の能力には凸凹があります。 容姿にも違いがあります。 ただ、それは、「違い(差異)」であって、「優劣」ではないのです。 例えば、ある女性芸能人がいらっしゃいますが。その方はとてもふくよか(太っていて)で、いわゆるモデルさんのような容姿では全くありません。 しかし、ふくよかな容姿が好きな男性はいて、モテモテなのだそ

    “作られた現実”を、さらに解体する。 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/18
    『物理的な現実に根ざすと「代表」も機能するようになってきますから、社会の位置と役割の中で、異物のようであった自分というものが解消されていく感覚が得られるようになってきます』
  • 結果から見て最善の手を打とうとすると、自分の主権が奪われる。 - 悩みは、心の外にある

    TVも新聞も、毎日、新型コロナウイルスのニュースばかりです。 健康と経済生活とを両方天秤にかけながら、政治・行政も難しい決定が強いられているな、と感じます。 (参考)→「知覚の恒常性とカットオフ」 意思決定というときにしばしば問題になるのは「結果」です。 結果が悪いと、「なぜ、あのときもっとこうしておかなかったのか!」と叩かれてしまいます。 私たちも、失敗すると、「ああ、なぜあのときこうしておかなければ」と後悔することがあります。 特にトラウマを負っていると、自責感、後悔というのは激しく心のなかでうずまきます。 自分を責めて叩いて、後悔する。 そして、次に同じ機会が訪れたときに、結果が気になって萎縮してしまって、自信を持って決断できなくなる。 今度は失敗するまいと判断する範囲や情報を広げすぎてしっちゃかめっちゃかになってしまう。 「自信がない」「決めることができない」 これは、トラウマを負

    結果から見て最善の手を打とうとすると、自分の主権が奪われる。 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/18
    『[……]あたかもインチキ評論家が結果で物事をあとから論じて自分は事前に見通せていました、というように[……]』,『「他にうまく行っている人がいますよ」というのは詐欺の常套句です』
  • 不意打ちの恐怖 - 悩みは、心の外にある

    トラウマを負った方に多いのは、不意打ちされるのではないか、という恐れが強いということがあります。 “不意に”嫌なことを言われるのではないか? とか、 “不意に”自分が気づいていない欠点、弱点を指摘されるのではないか? とか、 街を歩いていたら、 “不意に”怒られるのではないか?とか、 仕事でも、 “不意に”上司やお客さんが怒り出すのではないか?とか そういった恐れを持っていたりします。 攻撃が外から来るだけなら、まだマシです。 その恐怖心を解消し、日常では確率が低い出来事なんだ、ということがわかれば、警戒は解けていきますから。 しかし、“不意打ちされる”原因が自分にある。だから自分はおかしい。自分はミスが特別に多いのだ。楽観的にわかったつもりになっているとろくなことがない。自分は大事なことに見落としがある不注意な人物なんだ、といった感覚を持っている場合は、なかなかそうもいきません。 外から

    不意打ちの恐怖 - 悩みは、心の外にある
  • 「この薬は1日1錠、ただし15歳未満は服用しないでください」のような文章の場合一文目を読んだ時点で処理が走るので怖すぎる

    twinrail (一時休止中) @twinrail_ut 「この薬は1日1錠を服用して下さい。ただし、15歳未満は絶対に服用しないで下さい。」みたいな文章、1文目を呼んだ時点で既に処理が走っている可能性があり怖すぎる ちゃんと「もし15歳以上ならば、1日1錠を服用して下さい。そうでないならば、絶対に服用しないで下さい。」にすれば処理が走らない 2021-04-26 03:26:09

    「この薬は1日1錠、ただし15歳未満は服用しないでください」のような文章の場合一文目を読んだ時点で処理が走るので怖すぎる
  • リベラル派男性として「弱者男性論」に賛同できない理由

    モテるモテないは個人の問題であって社会的な「問題」ではないと思う。容姿とかは人にはどうしようもないから自己責任とは言えないけど、お前がモテないのはお前の問題であって社会の問題じゃないでしょ。少なくとも俺は振られ経験しかなく告られ経験なんて漫画やアニメの中でしか味わったことがないけど、それを社会に訴えかけるべき「問題」とは思わない。女性が上昇婚するのはどう考えても個人の自由。男性が若い女性や見目麗しい女性を選びがちなのと一緒。他人がとやかく言ったり矯正させようとするような話ではない。そもそも根的にカネは再配分できるが女は再配分できない。当たり前。貧困は非正規雇用の拡大とか社会保険料の増大とかそういうのが原因なんだから、助けを求めるべき相手は労組とかそういう相手でしょ。ちな俺非正規雇用、来年度の雇用は怪しいのでこんなのはおかしいと政府に文句を言うことにしている。女性の配偶者を得ていない成人

    リベラル派男性として「弱者男性論」に賛同できない理由
  • Kiichi Tachibana

  • debate history

    はじめに ここ数年でがぜん脚光を浴びてきたディベートは、いったいいつ頃から行われてきたのか。「ディベート」という言葉が目新しいため、ディベートを最近のものだと思っている人も少なくないが、ディベートはすでに古代ギリシャで始まり、少なくとも二千四百年以上の歴史を持つものである。 日では一九五〇年から英語によるディベートが大学生によって今も行われており、また松道弘氏はディベート教育をすでに二十年以上にわたって提唱している。 日にディベートが入ってきたのは明治期というのが定説になっているが、ディベートはすでにキリスト教とともに十六世紀には、日に一度入ってきているのである。 十六世紀~明治時代~大正時代とディベートの歴史を追いながら、今盛んになっているディベートをこのままブームに終わらせないように、ディベートが消えていった理由をその歴史から学び、温故知新としたい。 1 日人とレトリック ア

  • 説得しない哲学者 ――國分功一郎『スピノザの方法』感想 - 鳥籠ノ砂

    國分功一郎『スピノザの方法』はデカルトの思想とスピノザの思想を対比した上で、ある驚くべきテーゼを発見している。デカルトの思想が他者への説得を試みるのに対し、スピノザの思想は他者への説得を試みない、というのだ。 書の問いは、人はいかにして真の観念・真の認識に到達できるのかという「方法」の問題から始められている。まず、方法は精神にとって外的な「道具」と見なされた。しかし、そのような方法を探究するにはまた別の方法が必要であることから、懐疑論者(ソフィスト)によって無限遡行の問いを付されてしまう。そこで、デカルトは方法を精神にとって内的な道具と見なした上で、懐疑論者を説得する外的な「標識」を求めた。決して疑い得ないコギト、すなわち「我思う、ゆえに我あり」がそれである。さらにデカルトはコギトから、決して私を欺くことのない神の存在を証明しようとした。二つのア・ポステリオリな証明と一つのア・プリオリな

    説得しない哲学者 ――國分功一郎『スピノザの方法』感想 - 鳥籠ノ砂
  • 論説文と小説 - reroの日記

    2005/07/08 の日記 で, 小説は試験問題に適さない 論説文は試験問題に適する と結論づけたけれど,上で述べた「観察の理論負荷性」に基づき, 論説文も含め,国語は試験問題に適さない という反論があった. そして,実際に「観察の理論負荷性」を調べてみて,やはり自分の考えの方が正しい,と思ったわけだ. まず,「観察の理論負荷性」とは,「論理実証主義的科学観」に疑問を投げかけるものだ.「論理実証主義的科学観」とは,過去の仮説から論理的に導いた「理論命題」と,人間が実験などで観察した「観察命題」が一致することで「論理」が「実証」され「科学」となる,という考え方である.しかし,観察者の経験によって「観察命題」に違いが生じる,というのが「観察の理論負荷性」で,万人に対して「理論命題」と「観察命題」は一致するのかと疑問を呈している. ここで注意して欲しいのは,「観察命題」は「観察の理論負荷性」に

    論説文と小説 - reroの日記
  • 集中連載「橋下徹とメディア」 第1回「囲み取材」という放談会が生んだ「従軍慰安婦」発言 【前編】(松本 創) @gendai_biz

    取材・文/ 松創(ジャーナリスト) 大阪市役所5階でニュースは「作られる」 大阪市役所の5階は他のフロアに比べて照明がぐっと抑えられ、エレベーターホールから続く通路は昼間でも休庁日のようにひっそり静まり返っている。 フロアの南側は「Office of the Mayor」と文字の入った磨りガラスの壁で仕切られ、奥へ進めば市長室、副市長室、秘書たちが控える政策企画室秘書部と二つの応接室。反対の北側には「大阪都」構想を推進する府市大都市局、市長が指示した政策やプロジェクトを担当する政策企画室企画部、広報・広聴や報道機関に対応する同室市民情報部、そして市政記者室がある。 つまり、市幹部の執務室および市長直轄の重要政策を扱う中枢部門と、それを"監視"する報道機関が一つのフロアに同居し、市長室は南東角、市政記者室は北西角と、対角線上で相対している。照明を落としているのは、一般市民の出入りが少ないた

    集中連載「橋下徹とメディア」 第1回「囲み取材」という放談会が生んだ「従軍慰安婦」発言 【前編】(松本 創) @gendai_biz
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2013/07/05
    「だから簡単なことで、そんな囲み取材なんか行かなきゃいいってだけの話じゃないのかな」
  • 橋下氏:会見で釈明も「軍のため女性利用」認識に批判集中- 毎日jp(毎日新聞)

  • 「橋下徹の言論テクニックを解剖する-その2」中島岳志‐マガジン9

    マガジン9 憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。 |「マガジン9」トップページへ|「カフェ・ハチャムの挑戦」:バックナンバーへ| 2011-11-11up 中島岳志の「希望は、商店街! 札幌・カフェ・ハチャムの挑戦-その2」 第7回 橋下徹の言論テクニックを解剖する その2 -ありえない比喩、前言撤回、ふっかけ、 涙、脅し、言い訳…… ■「たとえ話で論理をすり替える」 前回に続いて、橋下徹氏の言論術を彼自身の著書『図説・心理戦で絶対に負けない交渉術』(日文芸社)を使って分析してみたいと思います。 このの第2章のタイトルは「相手を言いくるめる詭弁の極意」。以下で検討する橋下氏のテクニックは、人が「詭弁」であることを認識し、「相手を言いくるめる」ことを目的として提示しています。まずはこのことを、はじめに確認しておきたいと思います。 橋下氏は、ここで次のように言います。 絶対に

  • 「自分のことが嫌い」な人は、僕に5分だけ時間を下さい。

    これから、「自分嫌い」が治る考え方について話します。自分が好きになる方法ではありませんが、一瞬にして視界が開けるかもしれません。 自分が嫌いな人は、自己否定的になりがちです。自分はダメな人間なんだ。何の価値もない人間なんだ。 この考え方が劣等感を生みます。(あるいは逆かもしれませんが) そして、その劣等感があることで、他人を「自分では絶対に敵わないもの」と捉えてしまい、 結果自分より上の存在としてみなすことになります。 (このことが権威主義的な考え方や、他人を絶対視することに繋がります。) するとどうでしょう。他人に自分が攻撃・否定されても、「自分は劣っている」からそうされて当然の存在なんだと思うようになります。その結果、どんどん自分で自分を貶め、他人からも貶されるという、悪循環に陥ってしまいます。 ですが、来、「あなた自身の存在意義は、あなたの価値(社会に・他人に評価される価値)とは無

    「自分のことが嫌い」な人は、僕に5分だけ時間を下さい。
  • 思考法 - 演繹法と帰納法

    思考法-演繹法と帰納法 序 数千年以上前から、私たち人間は「より正しい答え」を導くために「より正しい考え方」を模索してきました。 そして、哲学者、科学者、技術者といった多くの人に培われた思考法は身の回りの出来事を論理的に解明することを可能とし、現代文明の礎となっています。 ここでは数多の先人が考え、発展させてきた思考法を、その欠点を含めて稚拙ながら私なりに整理して紹介します。 欠点を紹介するのは、それを知ることにより間違った証明や詭弁を見抜くことができるようになるからです。 1.演繹法と帰納法 思考法の代表的な手法に演繹法と帰納法があります。 1.1.演繹法 演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法です。 代表的な手法に、大前提・小前提・結論による三段論法があります。 (例) 大前提(一般的原理)「人間は死ぬ」 小前提(事実など)「Aは人間である」 結論(個々の