2004年12月8日、佐賀県鹿島市議会の議場。市長(当時)の桑原允彦(まさひこ)は悲壮な覚悟を胸に壇上に立っていた。 「知事が約束をほごにされるならば重大な決断をしなければならない」 当時の佐賀県知事は古川康。この6日前、長崎県知事(同)の金子原二郎は九州新幹線長崎ルートの建設を巡り「長崎県が佐賀県の負担軽減のため応分の負担をすることを積極的に検討したい」と県議会で述べた。着工の条件となる並行在来線(肥前山口-諫早)のJR九州からの経営分離に、古川が同意できるよう環境を整える意図があったとみられる。だが鹿島市など沿線7市町は地域の衰退につながるとして経営分離に反発していた。 桑原の「重大な決断」は、沿線市町の了解なく古川が同意すれば、結果責任を取る形で市長職を辞することを示唆していた。翌9日、古川は経営分離受け入れを表明しながら「着工には沿線市町の同意が必要」と条件を付け、「延長戦」(桑原