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思想に関するtukaimaのブックマーク (6)

  • 【阿比留瑠比の極言御免】「亡国の君主」-韓非子の予言、菅元首相にピタリ+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    民主党執行部から議員辞職と離党を勧告された菅直人元首相の24日の党常任幹事会での様子を取材した。目をいからせ、口をとがらせた不服そうな表情からは、「反省」している様子は読み取れなかった。 所属政党に迷惑をかけようと支持者を混乱させようと、思いのままにわが道をゆく。執行部の立場も、巻き添えをった候補者らの気持ちも一切考慮しないという驚くべき潔さだ。 「私は理屈は立つけれど、どうも情が足りないとみられている」 振り返れば菅氏は首相当時の街頭演説で、こう自己分析していた。当に理屈が立つのかは怪しいが、中国・戦国時代の法家思想の大成者である韓非子が「天下を治むるは、必ず人情に因る」と指摘した政治の要諦とはほど遠い指導者だったのは間違いない。 そして韓非子が説く「亡国の君主」の類型は、約2200年も前に書かれたにもかかわらず、まるで予言のように現代の菅氏にぴたりと重なるのである。 《君主がねじけ

    tukaima
    tukaima 2013/07/25
    断章取義にしてもひどい。『韓非子』でいう「情」はその「好悪」を賞罰でもって操作し民衆を耕戦に誘導するためのものであって(法家思想・耕戦思想)むしろ君主は情をさとられるようではいけないと説いてるのに。
  • 「宗教は悪だ」とバス内で幼児に教えていた親の話

    「ねーお父さん、しゅうきょうって何?」 「宗教はね、生活とかをめちゃくちゃにして、よくない考えを押し付けてだめにしちゃうことなんだよ」 幼児は三歳?四歳?五歳?とか小学校一年とかそこらへん。バスで後ろの席だったのでじろじろ見れなかった。 父親は普通のサラリーマン風。場所は休日の、政令指定都市の中流住宅街を通るバスの車内での出来事。 なんかうまく表せないんだけど、すごくもやもやした。 お父さんよ、あなたが言ってるのはカルトとか新興宗教のことだろう… それを十把一絡げにしてはいけない。 最近はこういう思想の人が多いんだろうか。 文化とか歴史とか芸術とか音楽とか文学、国のなりたちとかを学ぶうえで宗教は切ってもきれない関係にあると思うのだけれども それと幼児の問いかけは無関係なのだろうか? 問いかけにうまく答えられない父親の思考停止としかとれない答えに非常にもやっとした。 うまく言い表せないのだけ

    「宗教は悪だ」とバス内で幼児に教えていた親の話
    tukaima
    tukaima 2013/07/09
    私なりに二度とは同じ応え方ができないかも//このお父さんの言い方は具体的な手口を追って説明してるようだ。それまでの生活に戻れないほど変えさせておいて新たな考え方を植えつけるという。
  • 【中高生のための国民の憲法講座】第1講 百地章先生+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    ※国の姿形や歴史文化、共同体の絆を憲法に盛り込んだ世界の憲法には1993年のロシア憲法、97年のポーランド憲法、99年のスイス憲法などがある。 ■「国家権力を縛る」だけのものか これから、産経新聞が発表した「国民の憲法」を解説しつつ、憲法について考えていきたいと思います。 初回のテーマは「憲法とは何か」。よく新聞やテレビで「憲法とは国家権力を縛るものだ」と耳にするでしょう。これを考えます。 ◆多様な憲法の役割 実は「憲法」にもさまざまな意味があります。まず「固有の意味の憲法」。これは古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている統治のルールのことです。 次に、近代国家が誕生すると「立憲的意味の憲法」が登場します。これは憲法とは国家権力を制約し、国民の権利を保障するものという考えで、絶対王制でみられた権力者の横暴を抑制するために生まれました。「憲法が国家権力を縛る」というのはこのことです。 

    tukaima
    tukaima 2013/07/08
    引合いの憲法前文を調べれば人類「普遍」の価値に照らしそこで弱者が体験した辛苦から学んだことを活かす姿勢は明らか。ならば「普遍」に対し自文化中心主義な百地氏の論こそ短所・リスクに応えられなくては困るよ。
  • 『長州「正論」懇話会発足 全国で11番目 稲田行革相「日本は道義大国をめざせる唯一の国」 - MSN産経ニュース』へのコメント

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    『長州「正論」懇話会発足 全国で11番目 稲田行革相「日本は道義大国をめざせる唯一の国」 - MSN産経ニュース』へのコメント
    tukaima
    tukaima 2013/07/02
    稲田さんの要旨は1941年文部省教学局刊行の『臣民の道』ほぼそのままの国体論。国家を道徳の実現態とみなすもの。『わが闘争』にも同様の思想が見える。
  • 迷っています。スポーツではなく武道だった柔道にも、完全なるスポーツの論理を持ち込んでいいものなのか?(金子 達仁) - 個人 - Yahoo!ニュース

    そろそろ体罰問題から離れてオリンピックの招致活動について触れようと思っていたのですが、またしても大騒動が勃発してしまいました。柔道の問題です。ここまで騒ぎが大きくなってしまうと、触れないわけにはいかんでしょ。 改めて言うまでもないことですが、大前提として、わたしはスポーツに於ける体罰に反対です。ていうか、スポーツに罰を持ち込むという発想自体が間違っていると思ってもいます。 じゃ、なぜ反対なのか。 体罰くらってサッカーが、バスケットが、ゴルフがうまくなるとは思わないから──突き詰めると、この一点に尽きるわけです。 では、うまくなるのなら体罰はあっていいのか。 わたしの答はイエス、です。 殴られることが、罵られることが、自分の技量であったりチーム力の向上に確実につながるというのであれば、どうぞ殴ってください、罵ってください。勝ちたくて、強くなりたくてどうしようもない自分にさらなる力を与えてくれ

    tukaima
    tukaima 2013/02/02
    少なくとも日本の体育教育の先駆けでありアジア初IOC委員に就けた嘉納治五郎自身の経験と思想においては、まず精神と体力の充実、"理不尽さへの耐性"のごときは結果として自然にあらわれるものということになろう。
  • 「個と公」もしくは「愛国」というHENTAI - 地下生活者の手遊び

    そういえば昔、小林よしのりが「公と私」をすっぱり切断して暴論を展開していた。たしかに公私を形式的に分離するのが近代の原則ではあるが、私とは集団的なものでありえるし、個人は公的存在たりえる。小林のいっていた公ってのは、実は集団的な私にすぎないしな。 http://twitter.com/#!/tikani_nemuru_M/status/74071909687492609 とツイッターで発言したら説明を求められましたにゃー。以前からさくっとまとめようと思っていた事柄なので、メモもかねてこちらにあげますにゃん。 まず訂正から。 小林よしのりが「戦争論」などで言っていたのは「公と私」ではなく、「公と個」の関係でしたにゃ。 この「公と個」という設定を見るだけで、小林が公共性も個人主義もまったく理解できておらず、その主張する「公」とやらが実は肥大化した「私」であることは明らかだと僕には思えますにゃ。

    「個と公」もしくは「愛国」というHENTAI - 地下生活者の手遊び
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