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論理に関するtwainyのブックマーク (3)

  • 並列論理和の続き - sumiiのブログ

    http://d.hatena.ne.jp/sumii/20070511/p6 の続き。質問の仕方からわかったかもしれませんが、教科書的解答は「(逐次言語では)実装できない」です。たとえば、名前呼び(call-by-name)や値呼び(call-by-value)のλ計算(要するに逐次関数型言語)では、簡約規則についてよく考察すれば、porは定義できないことが証明できてしまいます。 ところが、(たとえば領域理論などの)表示的意味論では、porも「計算可能」な連続関数になります。ということは、たとえば「関数fを受け取って、fがporを実装していればtrueを返す」という関数is_porと、「fを受け取り、falseを返す」という関数は、操作的意味論では等価なのに表示的意味論では等価でなくなってしまいます。 ということで、 (普通の)λ計算はあくまで逐次言語に過ぎず、(porのような意味での)

    並列論理和の続き - sumiiのブログ
    twainy
    twainy 2007/05/14
    逐次処理言語で並列論理和が実現できるか
  • 形式化願望

  • 「論理的」が嫌いな理由 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/chanm/20060602/1149213119 「論理的」って書けばなんでも正しく聞こえるなんて思っているのだとすれば、それは傲慢かつ愚かですよ。あなたは「論理」という言葉の意味を当にご存知なのですか? というような文章を、大昔に書いたことがあります。いや、これは自省すべきことでもあるのですけど、僕はこの「論理的」という言葉と、それを億面もなく使う人が嫌いです。 多くの人が、「論理的」の対義語は「感情的」だと思っているのではないかと僕は想像しているのですが、当に「論理的」と「感情的」というのは、対極にあるものなのでしょうか? 僕は「論理」というものの多くは、人々の「感情」の集積によって成り立っているものだと僕は考えているのです。 ところで、この「論理的」って言葉を使う人って、率直に言うと「わかってない」人が多いんですよね。 偉そうなことば

    「論理的」が嫌いな理由 - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2006/06/05
    「論理的」批判。良くやるので反省せねば
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