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ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (8)

  • パチンコについて語るときに僕の語ること - 琥珀色の戯言

    まずは、この2つのエントリを。 (1)< ビンボーの 原因は パチンコ > (2)パチンコを必要として無い人間が言うな 最初に言っておこう。 いままでパチンコ(スロット)店に入ったことがない人、パチンコ(スロット)に触ったことがない人、そういう人たちは、ぜひそのまま人生を歩んでもらいたい。パチンコほど、人生において不毛な娯楽はない。それは間違いない。 ただ、パチンコというのは、不毛なところが魅力だというのも僕は知っている。 僕は一時期、パチンコにハマっていたことがある。 いや、「ハマっていた」なんておとなしいものじゃないな、あれは「依存」だったのだろう。 母親が亡くなってしばらく、田舎で働いていた僕は、夜になると家にひとりで居るのがなんだかとても辛かった。 田舎の病院というのは、朝が早く、勤務時間内は座る暇がないほど忙しいが、夜がふけてくると当直医以外はけっこう自由な時間があることが多いの

    パチンコについて語るときに僕の語ること - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2009/01/08
    パチンコ依存症もアルコール依存症も周囲にいないので他人事でしかないが、ネット依存症とかゲーム依存症とかは真剣にやばいなと思う今日この頃
  • 『琥珀色の戯言』 BOOK OF THE YEAR 2008 - 琥珀色の戯言

    今年も残り少なくなりました。 恒例の「今年僕にとって面白かったベスト10」です。 いちおう「ベスト10」ということで順位はつけていますが、ジャンルもまちまちですし、どれも「当に多くの人に読んでみていただきたい」です。 2008年に発売されたものではないも含まれていますが、「このブログで2008年に紹介したのなかで」ということで。 (ちなみに、このブログで2008年中(12/29まで)に感想を書いたは、186冊でした。ちなみに去年は158冊) まず、10位から6位まで。 <第10位>赤めだか 赤めだか 作者: 立川談春出版社/メーカー: 扶桑社発売日: 2008/04/11メディア: ハードカバー購入: 30人 クリック: 195回この商品を含むブログ (296件) を見る このの詳しい感想はこちらです。 評判に違わず素晴らしい「ひとりの若者の成長物語」であり「芸の世界の厳しさ

    『琥珀色の戯言』 BOOK OF THE YEAR 2008 - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2008/12/31
    藤巻さんすげえ
  • 2008-03-02

    公式サイト:http://www.soreboku.jp/index.html 『Shall We ダンス?』の周防正行監督が、11年ぶりにメガホンを取った格的な社会派ドラマ。電車で痴漢に間違えられた青年が、“裁判”で自分の無実を訴える姿を、日の裁判制度の問題点を浮き彫りにしつつ描く。ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』に出演し、世界的に注目を集めた加瀬亮が、作で初主演を果たす。主人公を弁護する弁護士には、瀬戸朝香、役所広司らがふんする。3年もの歳月をかけて“裁判”について取材した監督が、現代の日における“裁判”の現実を突きつける。(シネマトゥデイ) ああ、これは当に凄い映画です。ぜひ一人でも多くの人に観ていただきたい。2時間半近い長尺なのですが、かなり寝不足の状態で観にいったにもかかわらず、最後まで全然目が離せませんでした。過剰な演出が無いかわりに、ムダなシーンも全然ありません。

    twainy
    twainy 2008/03/02
  • 「新風舎問題」と「素人と専門家の深すぎる溝」 - 琥珀色の戯言

    出版の素人が見た甘い夢 - OhmyNews:オーマイニュース 僕は↑の記事を読んで、「多くの人が新風舎でを出すことを選んだ理由」が少しわかったような気がしたのです。 先日、北澤強機記者が新風舎が民事再生法の適用を申請した、という記事を書いていたが、現在、契約中という出版希望者の中には、私の知人の70代男性も入っている。 彼は、2007年、手付け金27万円を支払って、手書き原稿を送ったが、その後、数カ月ウンともスンとも言ってよこさないので、秋に私に相談を持ちかけてきた。 内容を聞くと、最終的に、137万円支払うと、500部を刷り、人には50部渡し、後は書店に売り込みをかけるという事だった。話自体におかしいと思われる点はないが、まず137万円の明細書がない。この男性は、出版契約書もよく読まず、私があれこれ聞いても契約内容を全く把握していない。 日頃「金がない」を繰り返し、月々3000円ほ

    「新風舎問題」と「素人と専門家の深すぎる溝」 - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2008/01/15
    『人は「信じたいものを信じる」』
  • 「論理的」が嫌いな理由 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/chanm/20060602/1149213119 「論理的」って書けばなんでも正しく聞こえるなんて思っているのだとすれば、それは傲慢かつ愚かですよ。あなたは「論理」という言葉の意味を当にご存知なのですか? というような文章を、大昔に書いたことがあります。いや、これは自省すべきことでもあるのですけど、僕はこの「論理的」という言葉と、それを億面もなく使う人が嫌いです。 多くの人が、「論理的」の対義語は「感情的」だと思っているのではないかと僕は想像しているのですが、当に「論理的」と「感情的」というのは、対極にあるものなのでしょうか? 僕は「論理」というものの多くは、人々の「感情」の集積によって成り立っているものだと僕は考えているのです。 ところで、この「論理的」って言葉を使う人って、率直に言うと「わかってない」人が多いんですよね。 偉そうなことば

    「論理的」が嫌いな理由 - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2006/06/05
    「論理的」批判。良くやるので反省せねば
  • 「才能」の墓場から - 琥珀色の戯言

    先日ある宴席で、同僚の女性にこんなことを言われた。「先生って、あんまり勉強しなくても成績良さそうなタイプですよね」と。そんなふうに実際に言われてみると、それはそれで悪い気はしない。もちろん、そういう言葉にはイヤミとしてのニュアンスが含まれている場合も多いのだが、彼女はそんな感じで言ったわけではなさそうだし。 そんなふうに言われて、むろん悪い気はしない。そうか、そんなに頭良さそうに見える?なんて、心の中でニヤついていたりして。 でもまあ結局、僕と彼女は似たような偏差値の大学を出て、一緒に働いているわけであり、僕としては、「いや、自分なりに勉強したつもりなんだけどねえ」なんて答えたのだけれど。 僕の学生時代は「勉強ができる人たち」と過ごしていた時期が長かった。「天才的にできる人たちばかり」という領域ではなかったけれど、「天才的から中の上くらいの偏差値」の人たちばかりが、僕の周りにはいたわけだ。

    「才能」の墓場から - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2006/04/14
    僕が今になって思うのは、高校時代に半分尊敬し、半分バカにしていた「自分の能力というマヨネーズのチューブを、最後の一滴まで搾り出そうとする人」のほうが、自分より遥かに「有能な人間」だったということなのだ
  • 琥珀色の戯言 - 「空気が読めない人」

    「嫌われている証拠を見せて」 http://aozora.sub.jp/diary/rnote.php?u=diary/2006/03/20050306_1442.htm 「空気の続き」 http://aozora.sub.jp/diary/rnote.php?u=diary/2006/03/20050308_1515.htm 「子連れは邪魔?」 http://kasumination.blog50.fc2.com/blog-entry-13.html 僕は「空気が読めない人」というのが大嫌いなのですけど、この3つの文章を読んでいて、それが誤りだったということにようやく気がつきました。そう、僕が嫌いだったのは、当は「空気が読めない人」じゃなかったのですよね。 逆に「当に空気が読めない人」に対しては、全然腹なんて立ちません。例えば、お葬式で3歳くらいの子どもが異様な雰囲気に耐え切れずには

    琥珀色の戯言 - 「空気が読めない人」
    twainy
    twainy 2006/03/14
    空気が読めないっていうのはコンテキストを無視した行動のことのような気がする
  • もう、「マイノリティのもの」ではなくなったインターネットへ - 琥珀色の戯言

    http://artifact-jp.com/mt/archives/200602/netglobalism.html 思いついたことをだらだらと。そういえば、マイコンというのが出始めた時期というのは、当に「マイナーな趣味」であって、それこそ、「えーっ、家でそんなことやってるなんてくら〜い!」と後ろ指をさされるような趣味だったのだ。まあ、当時のマイコンなんて当にユーザーに対して素っ気ないもので、今よりはるかに低機能にもかかわらず操作は難しく、それこそ「使う側も勉強しないと何もできない」ようなシロモノだった。僕はシャープのX1というのを使っていたのだが、あれは「クリーンコンピューター」という思想に基づいてつくられていたため、マシン語のゲームを直接起動するとき以外は最初にBASICのテープを入れなければ当に何もできず、最初に家にX1がやってきた日には、それこそ徹夜でなんとか「キーボードを

    もう、「マイノリティのもの」ではなくなったインターネットへ - 琥珀色の戯言
    twainy
    twainy 2006/02/11
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