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2011年8月28日のブックマーク (5件)

  • 早川マップの怪(黒木玄と東北大物理のひとたち)

    @QEnergyTeleport 間違いが分かった寄磯小学校の値も含めて牡鹿半島が0.25超えしている根拠は何もないということになる。更に今回の実測により牡鹿半島や南三陸町の値は0.10-0.15程度であることが確定した。早川氏(@HayakawaYukio)は早急にこの地域に塗った0.25超の緑色を訂正すべき。 @QEnergyTeleport (続き)宮城県北測定でわかったこと。(1)早川氏(@HayakawaYukio )の汚染マップは女川を含む牡鹿半島、南三陸町で完全否定された。(2)宮城県登米市の汚染稲藁は、雨での繰り返し乾燥濃縮を考える必要はなく、単に田圃の広い面積に落ちたCsを1つの藁ロールに固めたため。

    早川マップの怪(黒木玄と東北大物理のひとたち)
    twilightmoon99
    twilightmoon99 2011/08/28
    G大狂授…このマップだけはマトモだったのかとおもいきや、やはりチガッタでござるの巻♪ 自己顕示欲だけはいつもどおり旺盛らしいがw
  • 落とし穴転落死:近くに友人ら 救出までに2時間 - 毎日jp(毎日新聞)

    夫婦が落ちて死亡した落とし穴付近を調べる捜査員ら=石川県かほく市の大崎海岸で2011年8月28日午前11時26分、社機から後藤由耶撮影 27日午後10時ごろ、石川県かほく市大崎の大崎海岸の浜辺で、金沢市湖陽1、会社員、出村裕樹さん(23)とで事務員の里沙さん(23)が、波打ち際から約30メートルの砂浜に掘られた穴(約2.4メートル四方、深さ約2.5メートル)に転落した。2人は約2時間後、駆け付けた救急隊員に救出されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。県警津幡署によると、里沙さんと友人が落とし穴として掘ったという。死因は砂に埋まったことによる窒息死とみられる。 同署によると、里沙さんは同日午後から、友人男女5人と遊びに来ていた。友人の話では、裕樹さんが来月上旬に誕生日を迎えることを機に落とし穴で驚かそうと、里沙さんと友人が昼過ぎに掘り、シートをかけて上から砂をかぶせたという。現場には

    twilightmoon99
    twilightmoon99 2011/08/28
    深さ2.5メートル…!?
  • なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ

    1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史 震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。 バックナンバー一覧 3月11日午後2時46分。東北地方を

  • 水野義之教授(@y_mizuno)の被曝に関するオンライン講義まとめ

    MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno 3月のヨウ素131騒ぎも、セシウムは殆ど出ず。セシウムは地表面に留まり、流れが悪いのも事実。でも多少は流れる?  @niigatamama この前の新潟福島豪雨の時も、阿賀野川、信濃川ともに若干検出量アップでした。泥水が流れてきたので、Csもかなり流れ出たのではないでしょうか。 MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno 環境放射線による自然被曝の世界平均2.4mSv/年の内訳(詳細)。よく知られるK40以外に、ウラン等の(自然)内部被曝まで細かく明記。実は体内にも微量のウラン238やトリウム232も存在する。これは自然環境の岩石や土壌にも、微量 http://t.co/KoPlf1d

    水野義之教授(@y_mizuno)の被曝に関するオンライン講義まとめ
  • 時代の風:放射能とケガレ=精神科医・斎藤環 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇キヨメでは癒やされぬ 岩手県陸前高田市の高田松原と言えば、かつては「日百景」にも選ばれた美しい海岸だ。私も子供時代に、何度か遊んだことがある。 その見事な松並木が、東日大震災の津波でなぎ倒された。この松を巡って繰り広げられた一連のドタバタは、いまだ記憶に新しい。岩手出身の私にとっては、あの美しい松たちがこうむった悲哀を、とても人ごとに思えなかった。 経緯をかいつまんで振り返ってみよう。 今年6月、大分市の美術家の発案で、高田松原の松で作った薪に犠牲者の名前などを書き、京都市の「五山送り火」で燃やすという計画が立てられた。しかし市民から被ばくを恐れる声が相次いだため、計画は中止となった。集められた薪から放射性物質は検出されなかったにもかかわらず、である。 ところが今度は京都市などに「風評被害を助長する」などの2000件以上もの抗議が殺到した。そこで、もう一度新たに薪を取り寄せたところ、