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哲学に関するtzccinctのブックマーク (12)

  • ハミッド・ダバシ「ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈した」|早尾貴紀

    ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈したハミッド・ダバシ(試訳=早尾貴紀) 2024年1月18日 もしイラン、シリア、レバノン、トルコが、ロシア中国に全面的に支援され、武装し、外交的に保護されながら、テルアビブを現在のガザと同じように、3カ月間昼夜を問わず爆撃し、何万人ものイスラエル人を殺害し、数え切れないほどの負傷者を出し、何百万人もの家を失い、この都市を人が住めない瓦礫の山と化す、そのような意志とその実現手段があったとしたら、と想像してみてほしい。それから、イランとその同盟国が、テルアビブの人口の多い地域、病院、シナゴーグ、学校、大学、図書館、あるいは実際に住民のいるどんな場所であれ、そこを意図的に標的にし、民間人の犠牲者を確実に最大化するということがあり、そしてイランと同盟国が、「イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と彼の戦時内閣を探していただけだ」と世界に言ったとした

    ハミッド・ダバシ「ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈した」|早尾貴紀
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    tzccinct 2024/01/27
    エマニュエル・レヴィナス。ユルゲン・ハーバーマス。マルティン・ハイデガー。
  • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい|ふろむだ@分裂勘違い君劇場

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい 『たまたま「これがニーチェだ(永井均)」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。』 という小野ほりでいさんのツイートに対し、「ニーチェの答えがすごい」というコメントがいくつも寄せられています。 その小野ほりでいさんのツイートで引用されたのは永井均『これがニーチェだ』の以下の部分です: この問いに不穏さを感じ取らずに、単純素朴に、そして理にのみ忠実に、答える方途を考えてみよう。相互性の原理に訴える途しかないー きみ自身やきみが愛する人が殺される場合を考えてみるべきだ。 それが嫌なら、自分が殺す場合も同じことではないか、と。だが、この原理は、それ自体が道徳的原理であるがゆえに、究極的な説得力を持たない

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい|ふろむだ@分裂勘違い君劇場
  • パノプティコン - Wikipedia

    ベンサムによるパノプティコンの構想図 パノプティコン型刑務所の例。プレシディオ・モデーロ(キューバ) プレシディオ・モデーロの内部 パノプティコンの監視方法 パノプティコンまたはパンオプティコン (Panopticon) は、イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所施設の構想である[1]。その詳細が記された『パノプティコン』が1791年に刊行されている。 pan-は「すべてを」(all)、-opticonは「みる」(observe) の意で、全展望監視システムなどとも訳される。 功利主義者であったベンサムは、「社会の幸福の極大化を見込むには、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要である」と考えていた。 ベンサムの功利主義的な姿勢はパノプティコンにも反映され、ベンサムの考える限りにおいて、運営の経済性と収容者の福祉が最大限に両立されている。ベンサムは「

    パノプティコン - Wikipedia
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    tzccinct 2021/07/03
    ギリシア神話で100の目をもつ(あるいは体に多くの目をそなえた)、孔雀の尾羽根にある目になったとされる巨人アルゴスの異名Panoptes(普見者、パノプテース)と同語源。
  • 無限後退 - Wikipedia

    無限後退の概念図[1]。「なぜ」と「なぜならば」の連鎖が無限に続く。 無限後退(むげんこうたい、英: Infinite regress)とは、ものごとの説明または正当化を行う際、終点が来ずに同一の形の説明や正当化が、連鎖して無限に続くこと。一般に説明や正当化が無限後退に陥った場合、その説明や正当化の方法は失敗したものと見なされる。同一の形の説明が果てしなく続く、という意味で循環論法と似ているが、循環論法が一般にループするタイプの説明や正当化の連鎖を指すのに使われるのに対し、無限後退は一般に直線的な形の説明や正当化の連鎖を指すのに使用される、という違いがある。無限背進(むげんはいしん)、無限遡行(むげんそこう)などとも言われる。 ものごとの説明、正当化の連鎖は、究極的には説明なき原理もしくは独断を終点とするか、または循環論法に入るか、または無限後退に陥らざるを得ない、と考えられる。このことは

    無限後退 - Wikipedia
  • アキレスと亀のパラドックス / 頭脳労働ウィキ by 考難

    アキレスが亀のスタート位置まで走る間に、亀は何メートルか進んでいます。 その亀の位置までアキレスが走る間に、亀はさらに前へ進んでいます。 その位置までアキレスが走る間に、さらに亀は… このようにして、俊足のアキレスは永遠に亀に追いつけない、というパラドックスです。 拙著(56ページ)では、 数学的には、この話が成り立つのは「アキレスが亀に追いつく瞬間まで」に限定されるため、 パラドックスとはならない(追いつく瞬間までは、追い越すことができないのは当たり前である)。 と解説していました。 これではわかりにくいかもしれないので、もう少し補足します。 ↑ この話の問題点 † このパラドックスでは、常に まず亀がいた位置までアキレスを動かし、 その後、その間にさらに亀を動かす という話の進め方をしています。アキレスが動いて追いついた後で亀を前に進めるので、結局、必ず亀が前にいることになります。 ま

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    tzccinct 2017/06/29
    単に「アキレスが亀に追いつく位置より前では、絶対に追い越せない」という、ごくごく当たり前のことを述べたに過ぎない、ということがわかります。
  • タブラ・ラーサ - Wikipedia

    感覚論において魂は外部からの刺激による経験で初めて観念を獲得するとされており、その経験以前の魂の状態。ロックの用語とされるが古くからある概念。プラトン、ストア派、特にアリストテレスに同様の考えがあり、タブラ・ラーサはアリストテレスの訳語としてローマのアエギディウスが考案したとされる。後にアルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナスが用いて定着した[1]。 経験主義の比喩。原義はラテン語で「磨いた板」の意味。人は生まれたときには何も書いていない板のように何も知らず、後の経験によって知識を得ていくというものである。

    tzccinct
    tzccinct 2015/03/29
    tabula rasa. 原義はラテン語で「磨いた板」の意味。
  • 対局者あいさつ

    ■森内俊之竜王 「皆さん、アローハ。私は2日前にこちらに入りましたが、環境もいいところで快適にすごさせていただいております。時差も直って、いい状態で明日を迎えられるのではないかと思います。ハワイ対局で注目を集めて盛り上がっておりますので、皆さんの期待にこたえられるように内容の濃い将棋を指したいと思っています。 タイトル戦は普段はよく知った相手と対戦することが多いですが、糸谷さんとはこれまで対戦したことがほとんどなく、どうなるか分からないということは自分でも楽しみですし、指しながら理解を深めていければと思います。海外対局の機会ですので、地元の皆さんに少しでも将棋を知ってもらえればと思います」 ■糸谷哲郎七段 「皆さんアローハ。私はあいさつに入ると、長くて分かりにくいと言われるので手短にしたいと思います。 昨日、領事館にうかがわせていただきました。そこで一つ啓示的な話をいただきました。母の実家

    対局者あいさつ
  • ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia

    ディオゲネスの胸像 ディオゲネス(英: Diogenes、希:Διογένης Diogénēs、紀元前412年? - 紀元前323年)は、古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。シノペ生れ。シノペのディオゲネスとも。 犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、「犬のディオゲネス」と言われた。また、大樽を住処にしていた。翻訳によっては、「甕(かめ)」とも訳されるが、これは古代ギリシアの酒樽が木製のものではなく、甕であったためである。そのため、「樽のディオゲネス」ないし「甕のディオゲネス」とも言われた。 「ディオゲネスは銀行家(Τραπεζίτης:トラペジテス)のヒケシオス(Ικέσιος)の子でシノペの人。彼の父親は市(ポリス)の公金を扱う銀行家(έπιµελητής:監督者)であったが、“通貨(ノミスマ)を変造(パラハラクシス)した

    ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia
  • 悟性 - Wikipedia

    悟性(ごせい)とは、英語のUnderstanding、ドイツ語のVerstandに対する西周による訳語である。日においては来禅の用語であった。英和辞典や独和辞典を参照しても分かるように、この語はもともと「知性」や「理解力」などと同意義であるが、西洋哲学においては様々な哲学者がそれぞれの定義の下で用いる。ただ「知性」「理性」「感性」などとくらべて一般認知度が高い言葉とはいえず、悟性という言葉が、それが対応する外国語を邦訳する際に適切な言葉であるかどうかの問題がある。ただ、これではわかりにくく山口裕之は「理解力」と訳すのが良いと述べている。 概要[編集] 一般論としては、対象を理解する能力が悟性であり、その理解をもとに推論を行うのが理性である。 ジョン・ロックの「人間知性論(An Essay Concerning Human Understanding)」の最初の和訳は「悟性論」であった。

  • 止揚 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "止揚" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年10月) 止揚は、「あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと」「矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」という意味を有する[1]。 ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した(ヘーゲル弁証法)。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容

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    tzccinct 2011/05/24
    「ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。」
  • 君主-奴隷道徳 - Wikipedia

    君主‐奴隷道徳(くんしゅ-どれいどうとく、独:Herren- und Sklavenmoral)は、ドイツの哲学者ニーチェが提示した哲学概念。『善悪の彼岸』に初めて提出され、後に『道徳の系譜』に最大限に発展された。 対を成す前者は日語訳で「主人道徳」「支配者道徳」とも訳され、後者はその同調性を批判するときに「畜群道徳」とも呼ばれる。 最も基的な道徳形態は「君主道徳(貴族道徳)」と「奴隷道徳」の二種類がある。君主道徳では行為が「良」と「悪」に分けられるのに対し、「奴隷道徳」では行為が「善」と「悪」に分けられる。君主道徳の主な特徴は、自己肯定、傲慢、主動であるのに対し、奴隷道徳は自己否定、謙遜、慈悲である。ある人の道徳がどの道徳になのかは、その人の身分と地位で決まるのではなく、その人が行動する時の気持ちで決まる。したがって、ある独裁者の道徳が奴隷道徳である可能性もある。なぜなら、その独裁者

  • ミュンヒハウゼンのトリレンマ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ミュンヒハウゼンのトリレンマ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年8月) ミュンヒハウゼンのトリレンマは知識・論理などの確実な根拠が得られることはないという懸念を提起する問題である。ミュンヒハウゼン男爵のエピソードにちなんでこう呼ばれる。ドイツの哲学者ハンス・アルバートが『批判的理性論考』(1967年)において近代的認識論・基礎付け主義は充足理由律による正当化を前提にしているが、それは独断論の一種にすぎないとして批判的合理主義を展開する際に提起された問題である。 どんなものでも正しいといえるためには根拠が必要である。

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